うまれる ずっと、いっしょ。|映画『うまれる』

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うまれる ずっと、いっしょ。

愛着障がい・親子関係 の全体験談

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私も愛着障がいなのか?!
今まさにかもしれないです。

両親、兄3人 弟2人 妹2人です。
歳が離れていて全員揃ったことは無いです。
兄は2人亡くなっていますが。

今までの経験もこれからも、
親の顔色ばかりみたりして苦しくなります。

母親の事を聞かれるだけでも殺意が湧き上がって来るほどで、
今年から、母親と連絡を絶ちました。

これで、少なくとも落ち着けると想いましたが、
何をするにも、母親の言葉が聞こえて来て、イライラさせますね。

言われ続けて来たことを
学習に置き換えて出来たらいいのにと思えるほど
邪魔な存在の言葉ばかり。

笑顔になれない、笑えない。
鏡で笑顔の練習、

感情を顔に出すな!お前はすぐに顔に出る!

お姉ちゃんだから…

なんの取り得もない

しゃべるな

片付けも出来ない

早く死んでお母さんを楽させて

飛行機で墜ちるなら落ちて死ぬんだよ

お父さんが死んでくれたら…保険が入ったのに…

学校に行くより弟妹の面倒みるのがお姉ちゃん

今シングルで4人家族です。
子ども向かい合わないといけないですが、自分が模索中。

うまれるを読んでいて変わらなければと、
うまれるを本当に観てみたいと思います。

そしたら、少しでも変われるでしょうか。

変わりたいと思っています。

2016.06.19 投稿者:もののけ

父親は私が物心ついた時には母に暴力をふるっていました。

私が9才の頃から更にひどくなりました。

母はあざだらけ。
止めに入ると私も殴られました。
兄も殴られました。

夜中ずっとケンカなので、寝れません。
兄にも包丁を向けて追いかけるような人でした。

私には
「お前なんかいらない。お前を育てるのにかかった金、全部返せ」
と言い続けてきました。

父親は7年前に他界しましたが、他界するまで暴力の人でした。

30年、暴力をふるう父親を見ていたことになります。

人間不信、男性恐怖症になりました。
父親を殺す夢を何度も見ました。
父親に殺される夢も何度も見ました。
殺されそうになったこともあります。

結婚してからも家を焼きに行くと言われたこともあります。

死んでから父親が愛着障害だったんだろうと分かりました。

父親には怒りしか感じませんでした。
失望もしました。
人はみんな信じられないと思っていました。

父親に「お前を育てるのにかかった金、絶対返せ!今すぐ働いて返せ!」と言われ続けていたことは、父が死んだ今も忘れられません。

私が息子を産んで、父親から見たら可愛い孫なのに、
それでもカッとなると、孫に物を投げつけ孫が泣くまで怒鳴っていました。

トモさんの映画に出逢う前に
池川さんの本や江原さんの本に出会い、読みまくりました。

そして、こんな父親でも、私が選んできたんだと理解出来ました。

トモさんの映画のとき、トモさんの挨拶を聴いて、

「私と同じだ、親との仲が悪くて苦しんでいる人が作った映画なのだ」と
心が動いたことを覚えています。

トモさん自身にお会い出来たのがすごく大きかったです。
いろんな本を読んで理解出来ていたことが、
トモさんの映画で身体で分かった感じがしました。

この時にはすでに父親は他界していましたが、
やっとその時に父親を少し、少しだけ許せた気がしました。
愛着障害の方に出会ったとき、分かるようになりました。

私もその1人ですし、父親もそうだったからです。
父親は病気で弱かったので、
両親、家族に嫌われ、施設に入れられていた過去がありました。

父親はそれが強烈に辛かったのです。

死ぬ1年前は混乱して幼少期の話を何回もしていました。
父親は克服できないまま死にました。

私は父親のおかげで、
生きている間に何かをほんの少し気付けた気がしています。

2016.03.07 投稿者:匿名

口唇口蓋裂という障害を持って生まれました。

いじめや偏見も沢山ありましたが親は気づいてくれませんでした。
なぜ病名を教えてくれなかったのか、両親に聞いた事がありましたが、
父は「何のこと?」と、とぼけられてしまいました。

その結果、治療の痛み、苦しみや辛さ、
いじめや偏見に対しても自分だけで立ち向かわなければいけないと思い、
親には心を開かなくなりました。

『うまれる』を見て、
出産シーンで助産師さんが「生まれてきてくれてありがとう」と言う
感動シーン全然感動できず、逆にショックを受けました。

理由を考えたところ、自分が生まれてきた時、そう思ってもらえたのか不安、
という気持ちがあって、ショックを受けたんだと思いました。


自分は「生まれてきてくれてありがとう」と言って欲しかったんだ、
と気づいたので、

言ってもらえないなら先に自分から言おう、と思いました。

36歳の誕生日に両親にメールで伝えました。

『うまれる』の自主上映会もすることになり、
自分の障害のこと、親との軋轢のことを取材で話す機会があったので、
両親と腹を割って話し合いました。

上映終了直後に、スタッフの方々がサプライズを仕掛けて下さり、
母にマイクが渡って、初めて、「生まれてきてくれてありがとう」と言ってもらう事が出来ました。

記録カメラには、それを泣きながら見ている父が写っていました。

上映会後、
ひと月半後に付き合い始めた男性とスピード婚をして今に至っています。

以前はいじめの影響で男性が苦手でした。

とは言え、愛着障害を本当に乗り越えられたか分かるのは、
今後のパートナーとの関係をみないと分からないと思います。

両親や周囲の方々、そして『うまれる』を通じて頂いた愛情に感謝しています。

2016.03.07 投稿者:匿名

とても迷いましたがなかなか苦悩の渦から抜け出せない今のため、書いて前進できたらと思い投稿しました。

小学校2年生の娘がいます。
借金が多額になり娘の将来の事を考え私が貯金しようと決意し娘を連れて2年前に別居しました。しかし、すぐに夫が迎えに来て、何度か繰り返しましたが娘はお互いの家を行き来するようになりました。

 離婚裁判を起こしました。その間、夫の所でできていないことがいろいろ目につき、過度に教育や躾をし、怒鳴っていました。そのことで、娘が精神的に不安定になるため、との判断と、娘の希望はパパと過ごしたいと言ったため、先日の裁判で離婚になり、親権が夫になってしまいました。

 ほぼそのような結果になる事を知った3か月前から反省し、娘に優しくなり、子育て講座にも参加し、教育と躾方法を柔らかく楽しく送るように切り替えました。しかし、娘の心の傷はすぐには治らず、いくら裁判で訴えても、弁護士に訴えても、一度決まった法は変わりませんでした。最終裁判までの3か月間いろいろと手を尽くしましたが結果は変わりませんでした。

 会社に離婚し親権を取れなかった報告をしたら、理事長に「良かったじゃん」と言われ冷たい言葉で心がさらに折れました。いろいろ報告しましたがさらに冷たい言葉をかけられ、精神的にショックが重なり翌日から勤務できなくなりました。

 親子連れを見るとつらくなり、顔を背けてしまいます。これではいけないと、泣いている子供に困っているお母さんに近づき、そのお子さんに話しかけて前進し、翌日は子育てサークルのイベントスタッフに参加しましたが、みな親子。だんだん辛くなってきました。誰にも話せません。以前に話した人もいましたが、笑われてしまい、とてもショックだったことがあり、今回は誰にも話そうとは思いませんでしたが苦しくて苦しくて。。。
 
 必ず女の子は母親の所に来るってどの相談員さんにも言われますが、今の現状しか見えておらず、苦しいです。そして、そういう時だからなのか、親子連ればかり見えてしまいます。生きているのに一緒に生活できない苦しさ。そして、まだ現実を受け入れられずにいるため、誰にも会いたくないし、笑顔になれません。

2015.09.14 投稿者:usako(静岡県)

20年以上苦しい思いを心の中にとどめていました。
フェイスブックで『うまれる』を見てから、伝える場所が見つかったと思いました。

私には年子の兄がいます。
中学になると不登校になりました。
年子なので、兄の事で中学では肩身の狭い思いをしました。

誰かが話しているのを見ると、兄のことと自分のことを言われているようで、被害妄想がひどく、心から話せる友人もいませんでした。

兄は部屋にこもってゲームばかりしていました。父親は単身赴任、母親は弱く頼りなく、祖父祖母も同居でしたが、子供を気遣うよりも世間体を気にする人達でした。

父は兄がこうなったのは母のせいにし、母は、自分と父を責めていました。

父は夜飲み歩き、母も夜家を空けることがありました。
祖父祖母は見て見ぬふり、私からしたら父母も同じです。
みんな結局、兄から逃げ出したのです。

兄のストレスのはけ口が、一番弱い妹の私に向けられました。気に食わないことがあると、部屋の前のドアを傷つけられたり、ぶつぶつ文句を言われたり、私が限界に達して物にあたると向こうがキレて、暴力を振るわれたりしました。

暴力というよりも、陰湿なやり方で精神的にやられたほうが多かったです。

高校に行くようになったときに、親が見かねて、私が一人暮らしをするようにアパートを借りました。

ゆっくり眠れるようになりましたが、思春期の私は、親と暮らせなくて寂しくてたまりませんでした。

次第にこう思うようになりました。

なぜ?被害者の私が我慢しなければならないのだろうか?
親は本来なら私を優先すべきじゃないのか。
なぜ守られるのは兄で追い出されるのは私なのだろう・・・。逆なのではないのか。

結婚し実家へ帰ることがありましたが、父が亡くなってからまた兄がおかしくなり、私が実家へ行って帰った後に、母と祖母に八つ当たりするようになったので、今は何年も実家へ帰ってません。

心のどこかで父と母のことを恨んでいます。
それが今でも抜けれないのです。
私のためにしてくれたことはたくさんあります。

でもどこか無責任な親だったと思えて仕方ないのです。

私はそんな親になりたくないと思ってしまうのです。

今、子供が2歳です。

男の子と聞いたとき正直不安でした。
私の遺伝子を継いで、兄のようになるんじゃないかと・・・。

兄弟を作るのが、不安でなりません。

みんな、一人っ子は可愛そうとか兄弟っていいよと言われます。
でも、私は兄弟がいて、悲しい思いしかしたことがないので分かりません。

ずっと暗いトンネルの中をさまよっていましたが、子供が産まれる瞬間、光が見えました。

気付いたらトンネルの中に戻っているときがありますが、引き戻してくれるのが主人と息子の存在です。

生きていて、救われたことが主人と息子に会えたことでした。

長い間ためこんでいたので、すっきりしました。

読んでくださって、ありがとうございました。

2014.01.11 投稿者:マロン/富山県

自分が大嫌いでした。生まれてきた意味がわからなくなることもあった。

今は、愛してくれて味方でいてくれて、何があっても私を嫌いにならないでくれる、信じられる主人と出会えたことで、前より自分を肯定できるようになりました。

私の祖母は、母に酷い嫁いびりをする人でした。
母が外出することは許さず、出かけなければいけない用事があれば、かならず嫌味を言ったり、家に鍵をかけ、母が家に入れないようにしたり。

子供は嫌いと言い、兄を妊娠した母に「こんな時期に(自営が忙しくなる頃)子供なんか作るな!」と。

生まれてすぐには、「その辺に転がしておいても死にはしないから早く仕事をしろ」っと仕事をさせたり、親戚のお葬式を手伝いに行った母に電話し、「子供がうるさいから早く帰ってこい」と子守を拒否したり。

孫の私たちにも、「うるさいから寄るな」「お前はバカだ」などと平気で言う人でした。

そんな祖母に育てられたからなのか、父も自分勝手で、気に入らないことがあれば不機嫌になり怒鳴り散らす、自分は間違っていても絶対謝らないし、意地でも自分の言うことを聞かせようとする人。

小さい頃から、怒らせてはいけないとビクビクすごし、恐くて話もできず、ほとんど会話をせずに過ごしてきました。

母は毎日、祖母の仕打ちに泣くか怒っているかイライラして、我慢できなくなればキッチンでお皿を床に叩きつけて割ったり、私たちに八つ当たりしたり。

家族で笑った思い出がなく、小学生の頃から私は母に「もう離婚して!」ってお願いしてました。

この人たちはなんで結婚したのか、子供は必要だったのか、私は愛されて生まれてきたのか。

いつもいつも分からずに過ごし、祖母や父の血を受け継いでいることが嫌で嫌で仕方がなかった。
母に父とのお見合いをすすめた人さえ、恨んだ時期がありました。

自分は結婚もしたくないし、子供もいらない。そう考えていたけれど、縁あって主人と出会い結婚できました。子供も、授かれればいてもいいかなって思えるようになりました。

『うまれる』を観てたくさんたくさん泣いて、色々考える機会を与えられました。

たくさんの人がこの映画を観て、命や家族、それぞれの人生について考えられればと感じました。

子供を授かることができた人には大切に授かった命を育てて欲しいし、全ての子供が愛されて生まれてきて欲しいし、愛されて育って行って欲しいと願います。

いつかもし、自分が子供を授かることが出来たなら、心から愛してあげたいし、パパとママが愛し合って生まれた、大切な大切な命であることを伝えて育てて行きたいと思っています。

2013.11.12 投稿者:ミミ/愛知県

私は、“甘える”ということがわかりません。
私の原家族は、両親・弟の4人家族でした。

私は、特に、母には甘えることができませんでした。
一般的には、子どもが100点満点のテストで100点をとったら、親はどうするものなのでしょうか。
褒めて伸ばしてあげるものだと、子どもは授かっていませんが、今の私はそう思っています。

私の母は、100点満点のテストで「100点をとって当たり前」と、100点満点のテストに120点を求めるような人でした。
頑張っても頑張っても報われない。
勉強だけでなく、習い事、スポーツ、日常生活においても決して褒められることがありませんでした。

理不尽なことであったとしても、完璧でないことを叱られ、我慢することを覚えてしまいました。
大人になり、生きづらさを感じるようになりました。
仕事をしていても、家事をしていても、見えない母親の姿に怯え、色々なことを自分で背負うようになってしまいました。

今は、結婚して、夫と二人暮らしをしていますが、やはり、一人ですべてを頑張ってしまいます。
幼少から身体も弱かったこともありますが、身体が弱いことを母に責められたため、以降、身体が弱いことを自分で責めるようになりました。
そんな私を、一生懸命、夫は支えよう、フォローしてくれようとしています。

母との間には、沢山の確執があったため、家族というものがわからなくなったこともありました。
正直、今でもわかりません。

だけど、支えてくれようとしてくれる夫がいると思うだけでも、少し、身を預けるという“甘える”ということが最近できるようになったように思います。
もし、少しでも、身を預けるという甘え方が両親に…母親にできていたのなら、今の私は、もっとうまく生きることができたのではないかと思います。

今は、夫に少しだけ“甘える”ことができるだけで、友人や知人には、まだ、そういう想いを持てないため、これから何十年とかけて、克服しなければいけないことなのだと感じています。

2013.08.19 投稿者:澪

映画「うまれる」を見てきました。
感動する事も涙するだろうことも予測していましたが、
涙腺の蛇口が壊れたみたいで、その後何を聞いても見ても涙があふれてきます。

私も父や母との間に葛藤があり、経験して来た苦しみが
いつも苦い経験として心の隅にありました。

何かうまく行かない時は、いつも自分の育ってきた境遇や
親のせいにして来ましたが、映画の中に自分と重なる境遇を見て
今まで辛いと思っていた経験は、私に与えられた宝物だったんだと思えました。

一緒に見た娘が言ったのです。「みんな、どうして泣くのって?」
私は、「この人たちの喜びや苦しみが自分の事のようにわかるから、
私たちの魂と身体にすっごく響くから自然と涙が出るんだよって」娘に答えました。

この映画を見てはじめて私の痛みの意味が分かりました。
この痛みがあるから、私はやっぱり人がすきなんだと。

そして、その大好きな人のために自分が出来る事は何だろうって
考えるとき、音楽をはじめ様々な物が私から「クリエイト」として
生まれてくるんのだと感じました。

私にとって父親という存在は有りません。
私が生まれてから2ヶ月目に父と母は離婚しました。
その後、私は16歳の時に自分の意志で父に会いにいきました。
その後、22歳で父が亡くなるまで会っていません。

最後にあったのは、最後のお別れで棺桶の中で眠る父でした。
父のおでこを見ていると、急に私の奥深いところから本当に深い
味わった事のない悲しみがこみ上げて来て、自分でも不思議なくらい
泣きじゃくっていました。

なんだか、とても不思議な感覚で私はもう一人の私を冷静に見ていて、
何でそんなに悲しいのかわからないのだけど、一口に言うとDNAとか
魂とかがせっかく父と子として生まれて来たのに、
一緒に過ごせなかった事を悲しんでいました。

でも、私はそんな事一度も悲しいとは思った事もありませんでした。
私は、去年父が亡くなった年を越えました。
この世で一緒に過ごせなかったけど、やっぱり父からの愛は私という形で
存在しているのですね。

そんな事を思い出させてくれた映画でした。
皆さんも、機会があればぜひ見てみてください。

Happy Fathers Day!
お父さん、私を生んでくれてありがとう。

2013.08.02 投稿者:U.K.

私は、児童相談所にお世話になったことのある人間です。

最初はシングルマザーの母と一緒に暮らしていました。
母は仕事ができて、家事もこなし、ケンカばかりの祖父母のフォローをしていました。
再婚してから私を殴ったり一晩中外に出したり
ご飯を一切与えないなど、世間でいう「虐待」をするようになっていました。


当時の私は、確かに今の家庭には邪魔なのかもしれないけど
言葉で伝えれば、全部変わっていくのではないかと子供ながら必死に訴えました。

結局、溝を埋めることはできず、
児童相談所に行き、父を自力で探し引き取ってもらいました。

そこでは毎日、母と母方の親戚がいかに血も通わない人かというのをずっと聞かされました。
母に関する物事をすべて否定されました。
父の家庭ともうまくコミュニケーションがとれず結局絶縁になり、一人になってしまいました。

友だちや先生方、ほかにも大勢の方が私の周りにはいてくれて私は幸せです。
しかし、ここまで来るのにはすごく時間がかかりました。

「幸せ」というカタチにこだわり、中身を見ることができず、
人を信頼できず、周囲の気遣いさえ心の中では敵視していました。
心ではなく、形式上、依存できるものを必死に探していました。

でも、心の中では孤独でいつまで苦しめばいいのだろうということばかりで、
たった一人で死んで誰も悲しんでくれはしない、
死んでもどこまでも一人ぼっちな気がしていました。

仕事をし始めて少しずつ考えが変わりましたが仕事に依存してしまい、
働きすぎて身体を壊しました。手術までしました。

そこから今までずっと休んでいます。

でも、この「休み」は私の人生の中で生まれて初めての「自分のために休んでいい」でした。
最初はこのことを認められませんでしたが、最近はちゃんと休めるようになって
心に余裕が出てきました。

そうしたら、母親のことも許そうかな、と初めて感情の部分で思うことができたのです。
これから、父のこともそう思えるのかなと、そう思えるようになりました。
そして、そう思えるようになったのも人とのつながりのおかげなんだなぁと感じています。

2013.08.02 投稿者:MK

私は弟と2人兄弟の長女です。
まじめで、責任感が強く、弟思いで、みんなのお世話が大好きな典型的な長女です。
そうやって40年近く生きてきました。

この40年は、苦しいことが多くて、自分の思い通りにならない事ばかりでした。
他人のための行動を優先し自分を後回しにしたり、
(夫の前妻への養育費を払い続けていました。)
いつも「やっぱり駄目」な状態を自ら選択してきました。

発端は母親の顔色を伺うことが始まりでした。
母から怒られないように、母に誉めてもらえるように、顔色を伺っていたのです。
誰よりも愛していたからなんですけどね。

そんなことをしてきたので自分が好きなことがわからないんです。
嫌いなこともわかりません。
自分のことは本当にわからない状態なのに、他人を一生懸命わかろうとするようになりました。

母も同じで、自分より家族や他人を大事にしなくちゃいけないと思っている人です。
だから、自分をないがしろにする余り、常に不機嫌でこどもである私たちには辛く当たる人でした。
夫との上手くいかないパートナーシップの憂さをはらされている感じでした。

父は、30年も前に他界した祖母のことをずっと恨み続けている人です。
母親に自分をわかってもらえなかった。と拗ねているのです、今でも。
誰よりもおばあちゃんを愛していたのにです。

両親は結局離婚を選択しました。
母は私と一緒に生活をしており、父は彼女さんと生活をしております。

私が2度目の離婚をしたとき、「私の何かが間違っている」と認めざる終えない状態でした。
それまでは正義の塊で、「私が正しい」を身体で表現しているような生き方でした。
そもそもそれが歯車を狂わせていた根源だったと気がつくのに数年をようしました。

今は、心理カウンセラーになるため勉強をしております。
その中で、大きな気付きだったのが、
「私は弟を恨んでいる。」という事です。

弟が生まれ、母親を取られたことをずっと恨み続けていたのです。
でも、うらんでいる自分を認めたくないので、ずっと演じ続けてきた人生だったような気がします。
弟を恨んでいるを認めたあたりから、自分の駄目な部分を少しずつ受け止められるようになって来ました。
もっともっと自分をあるがまま認めるよう、今は意識しております。

女性問題で家を出て行った父とは、一生話をしないまま人生を終えるだろうと思っていましたが、
今は彼女さんとも仲良くしていて、3人でお酒を飲みに行ってます。
母には内緒ですが。
母とは、近くに居る分、ぎこちなさは残りつつも
言いたいことを少しずつ言えるようにはなってきました。


上記の通り、咀嚼して言語化できていないところが、迷いとか苛立ちとかすねを自分で感じます。
職場でも上司の顔色を伺う男性を見て、ご両親との愛着障害を感じるのです。
多くの方が苦しんでいるんだろうと想像しています。

私も含め、その苦しみを軽く出来ないかといつも考えています。
そんな時に、豪田監督のフェイスブックを見て、これだ!と思いました。
ノープランですが、私の生きてきた人生を伝えることで何かを感じてくれれば良いなと思ったんです。

2013.07.30 投稿者:ひみつ

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2013.07.11 投稿者:※※※※※