うまれる ずっと、いっしょ。|映画『うまれる』

  • ブログ
  • メルマガ
  • 掲載メディア
  • 監督・豪田トモ
  • 講演会
  • 商品
  • 体験談
  • プロダクションノート
  • サポーター
  • ボランティア
  • 私たちの夢
  • 『うまれる』シリーズとは?
  • よくある質問
  • お問い合わせ
  • ENGLISH
うまれる ずっと、いっしょ。

現在妊娠中の体験談 の全体験談

体験を投稿

明日予定帝王切開を控えています。

この子は3人目の男の子。

2人目を授かってから、
2年後初期流産を経験して以降、ピタッと妊娠できなくなり、
通院してタイミング療法や排卵誘発の内服や注射をしても全くダメ、
そのうち治療も中断し、
気づけば2人目出産から8年が経過していました。

そんな我が家にひょっこりやって来てくれたのが、
今お腹にいる子です。

家族5人での平凡な生活をただ望んでいただけなのに、
明日の手術を控え、私は今大学病院に入院しています。

妊娠28週に心エコーで異常がみつかり、
上2人を産んだ産院から紹介され、この大学病院に転院。

様々な検査をして頂き、わかったのは最重症の先天性心疾患、
左室低形成の上、僧帽弁閉鎖、総動脈幹症、心房中隔閉鎖の併発。

これは世界的にも数例しか報告が無く、
この奇形の中でも心房中隔閉鎖を併発している報告は
全くないとの説明を受けました。

出生後一刻を争うので、オペ室を隣合った2室を用意し、
ただちに蘇生をして開胸手術で心房中隔に穴を開ける手術を予定していますが、

呼吸がてきる肺や肺の血管が形成しれていない可能性や
穴を開ける際に穿孔の危険もあり、命の危険もあるとのこと。

ほんとにやっと授かった命助けてやりたい。
生命力を信じるしかないのはわかっていますし、
ここ2ヵ月心の準備中もそれなりにしてきました。

今はこれから起こる現実に
立ち向かうしかないという気持ちですが、

明日我が子を目にし、現実を目の前にした時、
自分がどのようになるようになるのか想像ができません。

幸い私達には2人の子どもがいます。
私以上に育児に奮闘している旦那もいます。

子ども達には2人にも赤ちゃんの心臓の事は話し、
赤ちゃんに会えるようにがんばると、
今も家でがんばってくれています。

どのような結果が待ち受けていようとも、
家族で乗り越えていけると信じて、明日を迎えたいと思います。

どんな事があっても私は3人の母親だから。

私達を選んでやって来てくれたこの子が
がんばってくれると信じて。

2017.06.20 投稿者:セロリ/岡山

結婚が決まり、同棲生活を始めた3か月後、妊娠が発覚。

まだ、入籍前で、正直二人とも喜びより焦りしかなかった。
入籍まで、あと1ヶ月ほとあったため、早まった…

病院で7週目であることを確認。両家へ恐る恐る報告。
有難いことに、喜んでくれた。

2週間後の再検査で双子であることが発覚。

つわりもひどくなり、みるみる体重が落ち、
精神的にも不安定で泣いてばかりの日々。

でも、赤ちゃんは親を選んで来てくれた。
私たちを親として、選んでくれた赤ちゃんが一気に二人も。

5ヶ月を過ぎ、体調も落ち着いて、エコーを旦那と見ていたとき、
旦那にこれからが楽しみだね、と言われ、初めて妊娠して喜びを感じました。

妊娠生活も折り返し地点。

まだまだ、何があるか分からないけど、
元気にうまれてきて欲しいです。

2016.06.05 投稿者:みおぽん/山形県

結婚2年目の春、赤ちゃんを授かりました。

22週を過ぎた健診で心奇形の疑いありと大学病院を紹介され、
そのまま出産まで10週間を病院で過ごしました。

18トリソミーとの診断で、お腹の中で、
いつ命が途絶えてもおかしくないほどの重篤な状態でした。

でも、私がいるのは産科病棟。
産まれる命がたくさん集う場所です。

私の病室は分娩室の近くでしたので、
お産が始まる時は病院スタッフの足音でわかります。

『あぁ、また始まるな』
『よかった、元気に産まれてきたね』

産声を聞いてはホッとし、
でも気が付くと大粒の涙が頬を伝い声をころして泣くという夜を何度も過ごしました。

わが子は仮にお産したとしても、
それは死につながることを意味していましたし、亡くなってしまう命をお腹で育てているという背反した現実が、とてもとてもつらかったです。

それでも病院スタッフみなさんの支えがあり臨月を過ぎた数日後、
陣痛がおこり出産することが出来ました。

息子はお産の途中で息絶えてしまいましたが、かわいいわが子を胸に抱き、
そのぬくもりを感じることができました。

息子が亡くなって1年後、再び男の子を授かりました。

やんちゃ過ぎて、やれやれと思うことも多いのですが、
もしかしたら亡くなった息子の分も一緒に子育てしているのかもしれません。

2016.06.05 投稿者:みーむー/新潟県

現在の主人との出来事

付き合って1年の高校3年の夏予期せぬ妊娠

妊娠に気づかず毎日激しぃ運動にバイトに夜遊びの日々、つわりとは気づかずノロウィルスだと思いすごしていたが妊娠3ヶ月で気付いき、話し合った結果産むと決心した矢先の流産でした。

その3年後に入籍し1年後に1人目出産、10ヶ月でまた予期せぬ妊娠で年子出産、その3年後に3人目出産、そして今8ヶ月で予期せぬ4人目妊娠中です。

色々ありましたが可愛い3姉妹に囲まれお腹には新しい命を授かり幸せいっぱいです!

2015.10.28 投稿者:雅mam.長崎市

当時わたしは仕事が好きで、キャリアアップすることを1番に考えていました。
彼とも付き合って半年。結婚は3年後くらいかな?なんて話していた矢先に、予期せず妊娠。
自分の人生が音を立てて崩れていくような感覚でした。
自分自身まだ、自分がかわいく、子どもを優先に過ごす生活は自分の時間を奪われるという感覚しかありませんでした。
妊娠が発覚して、彼は迷わず結婚を選択してくれましたが、問題はわたしの心の中でした。
毎日、自分の人生を諦めるというネガティヴな思いに支配されていました。

妊娠8週目頃。
彼にその思いを、伝えてみました。
彼は、考えて、わたしに言いました。

『予期しなかった妊娠だけど、すごくうれしかった。
でも、あきがそんなに辛くて、受け入れられないなら…、残念だけど、あかちゃんは諦めるしかないよね』

そう言われたとき、
急に胸のあたりが締め付けられるような気がしました。

お腹に手をあてると、エコーで見た、まだ心臓が動いている丸いだけのあかちゃんが頭に浮かび、
繋がっているという実感が全身に広がりました。
その瞬間、自然と涙が出てきたんです。

この子は、生きてるんだ。
わたしたちを選んで、ここに来てくれたんだ。

諦めるしかないのかなと言われて、わたしがうなづくと、終わる。

ネガティヴで支配されていた自分が、変わった瞬間でした。
この子を、迎えたい!

そんなことを経験した息子はもう7歳。
かわいくて、かわいくて、宝物です。

わたしはいま、第2子を妊娠中。

息子を見て、胎動を感じて、妊娠は奇跡なのだと、日々感謝して過ごしています。

2015.10.28 投稿者:あき/兵庫県

2014年2月14日 待ちに待った出産。喜んだのも束の間…生まれた我が子は2回か細い声で泣き、それから20時間後、お空にかえっていきました。

悲しくて、悔しくて、辛くて…何で私たちの子供なの!?と答えのない疑問を毎日毎日問いかけていました。

そんな中でも、一度でも会えた我が子のかわいさが愛しくて、またすぐに子供がほしいと思っていました。

幸いなことに、5ケ月後に新たな命を授かりました。

嬉しくて嬉しくて主人と泣いて喜びました。

不安はつきません。もしまた…と考えると怖くて怖くて眠れない日もあります。

来年3月、今度は一体どんな運命が待っているのか…
私は必ず笑っている そう信じて頑張ります!!

2014.09.10 投稿者:しほ 鳥取県

結婚前に今の主人の子供を子宮外妊娠し、左卵管の切除をしました。

その後、すぐ籍を入れましたが1年は子供を亡くしたショックから塞ぎがちになりました。

子供を望み妊活を始めると不妊である事が判明。すぐに治療に入りましたが思う結果は得られませんでした。

結婚から4年。今度は主人が精巣ガンになりました。子供は自然では授かれないと諦めていました。

主人が完治し、体外受精を進めようとしていた矢先。自然妊娠が判明。
まさかと担当医が驚くほどの奇跡。

10ヶ月後。元気な男の子が産まれました。
今7ヶ月の活発に動く子。無事に産まれてくれて本当によかった。

不妊治療は本当に痛かったし体調は崩れるし辛かったけど息子が産まれて家が明るくなった。
我が家の希望の光です。

2014.08.31 投稿者:なーママ/長野県

3年前、第二子である息子の水中出産をした経験をこちらで書かせていただきました。

第一子・第二子ともにAIH(人工授精)で授かりました。

AIHにステップアップしたのは、【舅・姑からのプレッシャー】【35歳で初産をしたいという希望】【毎月、生理が来るたびに襲われる虚脱感】からでした。

そして、今、自然妊娠で第三子を宿しています。今、35週。来週で臨月に入ります。

私自身、3人兄弟で育ったせいか(姉・兄・私)、3人子どもは欲しいと思っていました。
でも、最初の妊娠が35歳・38歳だったため、不妊治療はせず、赤ちゃんが空から来てくれるのを心待ちにしていました。ダメで元々。という気持ちもありました。

妊娠が発覚した時の話です。

娘と息子が通う保育園のイベントで、年中の娘が舞台に上がれる事になり、数週間前から絞りのTシャツを作り、楽しみにしていた前日の夜のこと。

2歳の息子が41度の熱。もともと喘息もちの2人。幼い息子は入院を数回していたので、この時も致し方ない。と思っていたら、娘までも38度の熱。そして、喘息発作がひどく、二人とも入院となりました、

私はチケット係り&受付けを担当していたので、どーにも外せず。主人に子どもたちを託し、病院から会場へ。

他の子どもたちは、元気な姿をして、楽しそうなのに、わが子が2人ともここに居ない。とても悲しくて辛いものでした。

そんな中、そーいえば生理が遅れているような気がする。とふと気付き、妊娠検査薬を購入。
会場から病院へ戻り、子どもたちとトイレに行ったついでに、「お母さんもトイレ」と密かに検査。

すると、あっという間に極太の陽性ラインが出現!
昼間の辛さが吹っ飛び、思わず携帯で写真を撮りました。

すぐに主人に写真のみメール。すぐに折り返しの電話があり、『え?このタイミングで???』と驚いていました。

私が自主上映を主催した時の娘は、年中の4歳。映画『うまれる』の大ファンで、私と主人の会話だけを聞き、『お腹に赤ちゃんがいるかも。』ということをすぐに察知した様子。

3人目が授かれば嬉しい。と思いつつ、夫婦で産むか産まないかの決断をしてから、子どもたちに報告しなくては、と思いました。

主人は、戸惑いつつも『自然に来てくれたんだから、産まない、という選択肢はないよね』という私の気持ちに寄り添ってくれました。

病院で妊娠確認をしてからすぐにつわりが始まり、妊娠9か月の現在も水を受付けず、甘酒を飲む毎日。

3人目のせいか、骨盤底筋が緩んでいるのか、くしゃみをする度に尿漏れ。
トイレを少し我慢するだけでも、ウエーっとなり、登園中の車の中や食事を作っている最中でも【牛ガエルのような嗚咽】

つわりが始まった2月に【桃】が無性に食べたくなり、姉に無理をいって、桃缶を買ってきてもらった事もありました。スイカが出始めてからは、水の代わりにスイカを食べる毎日。その合間に、桃を食す。(桃は高いからね♪(笑))

そして、お腹の赤ちゃんには『ももか』と名付けました。

自主上映を主催したときは、生後9か月だった息子はもうすぐ3歳。
お腹をさすってくれたり、つわりで苦しんでいるとすぐさま『大丈夫?お布団に横になって。おいで、抱っこしてあげる。』と優しく介抱してくれる。幼いなりにしっかりわかってるんだなぁ。と感心。

妊娠線予防で、馬油をお風呂上がりに塗ってくれるのも娘と息子。二人に触られるとお腹のあかちゃんはお喜びで暴れだす。お腹に話しかける子どもたち。こんな幸せはもう味わえないんだろうなぁ。と楽しく過ごす日々です。(今のところ、4人目は考えられないから)

41歳の3度目の出産。経産婦とはいえ、リスクがないわけではありません。
生まれて、この子に逢えるまで、不安が付きまといます。健康で生まれてきますように。ただどれだけを願っています。

なにか背負って生まれてきても、心から愛する覚悟はあります。

でも、やはり五体満足でありますように、と願うのは親心。ですよね。

過去の出産の時、暴言を吐いたり、痛みと体調不良のため、我をわすれてしまう、騒がしい出産だったので、今回は静かに産みたいなぁ。としみじみ思い、ソフロロジーという出産方法をやろうと毎日CDを聞いています。

無事に出産出来たら、ソフロロジーの効果を含め、報告出来れば、と思っています。
出産予定日は、2014/9/18

☆わが身に何かあったり、わが子に何かあったら。。。お腹の子が確かに生きていた、という証を残したくて、こちらに投稿しました。

2014.08.18 投稿者:まゆみ/愛知県

結婚して二年、旦那は仕事柄地方へ行くことが多くお盆や正月などのまとまった休みの時しか一緒に暮らすことができませんでした。
もともと子供を強く望んでいたわけではなかった私達夫婦は避妊をして夫婦生活を行い妊娠や出産のことなど考えてもいませんでした。

正月休みに帰ってきてからゴールデンウイークまでの4ヶ月以上を別々の地で過ごしてきた私達。
ちょうどそのころに私の父が病に倒れ看病と介護の忙しい日々で私自身も何度か高熱を出したり体調の優れない日がありました。

生理もこなくなり父もあまり良くない状況が続いたのでひとまず自分の体調を回復させるべく病院にかかることにしました。

私の体に異常はなく、そのかわりに発覚したのは妊娠。
しかも6ヶ月も過ぎた頃でした。

驚くという感情よりも子供を望んだことなどないはずなのにまるでずっと待ち望んだ子供を授かったような感情がわきあがりすごく不思議な気持ち。
それと同時に妊娠を知らずにすごした日々への後悔と赤ちゃんが無事に生まれるかの不安で一杯でした。

すぐにわかった妊娠糖尿病。
妊娠初期の血糖管理が重要と聞きさらに不安。
浮腫がひどくて入院。
予定日超過で子宮口がまったく開いてなくて入院。

出産にいたるまでの沢山の不安。
はじめて娘の顔を見たときにやっと安心できました。

夫婦が常に一緒にいて子育てをすることができない環境なので子供を望まなかった私達夫婦ですがこれが私達の夫婦の形であって家族の形であるとおもいます。
そんな私達を選んで生まれてきてくれた娘に感謝です。

2014.07.11 投稿者:しの 北海道

私は結婚5年目の主婦です。夫の転勤で海外で妊娠し、来年春に出産予定。

でも不安です。

夫は13年前、学生時代の元彼女を妊娠させました。若かった夫は逃げました。私はこの事実を知らずに結婚。

結婚2年目、鈍かった私は、やっと事実を知りました。

結婚5年目に海外でやっと子供を作ったのは、そのためです。
日本にいる元彼女に情報が入らない様に。

元彼女さんの近況もネットで知りました。
とても綺麗だけど悲しい顔をした女性でした。
彼女も結婚していますが、子供が授からず苦しんでいる様です。

勿論、凄まじく私の夫を恨んでいます。

夫は男だから妊娠、手術の辛さ、苦しみを全く知らないのでしょう。

でも、私の産む子には13歳歳上のお兄さん(お姉さん)がいた。
その子は私の夫に棄てられた。

妊娠してもこの事実は消えない。 苦しい。

2013.11.26 投稿者:naho/海外

皆様の投稿を読ませて頂き、私は何もしていない…と思いながらも書かせて頂きます。

私はもうすぐ主人と結婚してから2年が経とうとしてます。

物心ついた頃から、私の両親は不仲でした。
両親の罵声、暴力は日常的なもので、この生活が普通だと思っていました。

私が中学3年の時に、母の不倫相手から無理な性行為を要求されました。
私のはじめての相手はその方でした。
父にも不倫相手が居て、その方にも会ったことがあります。

月日が経つにつれ離婚どころか両親の不仲はエスカレート。
いつしか私が仲裁に入るのが当たり前になっていました。

20歳になり、知的障害者の方の施設で勤務することになりました。
ハンディを抱えながら地域で生きていく、当事者とご家族の漠然とした将来への不安。
その方々を取り巻く環境。
世の中からは消えない差別。
当事者、保護者の方から沢山の刺激を受けた5年間。

まだまだ学びたいことがあるにも関わらず突然、私が、倒れました。

パニック障害と鬱病。と診断されました。

幼少期からの家庭環境と虐待が主な原因と言われました。

私が鬱病?パニック障害?
健康と笑いが取り柄の私が…。なるみたいです。

当時付き合っていた彼に結婚をしよう。と同じくらいに言われました。
当然、こんな私では申し訳ないと思い、かつ、両親の背中を見て育ったので結婚願望が全くなく、ひたすらプロポーズは断りました(笑)
ですが彼は上手でした。その彼は今の主人です。

私なんかが結婚していぃのか正直今でも分かりません。
結婚願望もない私が彼との子供が欲しい。と思いました。
私なんかが母になる資格があるのか、わかりません。

ですが、最近、不妊治療をはじめてみました。
あなたは不妊です。とDr.に言われた時は正直悲しかったです。

周りから子供を作らないの?と聞かれたり…。
プレッシャーに押しつぶされそうにもなりました。
欲しくても授かれない。
ここに皆さんが書いてるように授かっても辛い体験をしたり。
読んでいて、涙が止まりません。

命を宿ることは奇跡なんだな。とつくづく思います。

いつになるか分かりませんが、私もいつかママになれるのでしょうか。。。

長文になってしまいましたが読んでくださりありがとうございます。

2013.07.06 投稿者:azu.k

未婚のまま、6年半前、21歳の時に出産しました。
赤ちゃんの父親とは一緒に生きてはいけないと感じ、妊娠を告げた後、別れました。
重複先天性障害の疑いがあると言われていましたが、少し小さいだけの健康な女の子です。

その後、私は看護学生となり、産婦人科の看護師になりました。

多くの命の誕生に出会いました。産まれることの奇跡を知りました。

そして。
未婚のまま、今現在も妊娠しています。あと数日で9ヶ月になります。産休に入りました。
この子の父親は中絶することを求め、最後にはシングルマザーと結婚する気はない。
と言い放ちました。

お姉ちゃんは赤ちゃんの誕生を楽しみにしています。
どんな風になっても、子ども達が私を選んでうまれて来たこと。
それこそが大切なことなんだと思います。

あと1ヶ月半ぐらいで逢える赤ちゃん。
お姉ちゃんと楽しみに待っているよ。

2011.12.07 投稿者:未婚の母

死産の方かこちらか、どちらに投稿しようか迷いましたが、現在妊娠中ですのでこちらに書かせていただきます。

私はいま、34歳、妊娠3カ月です。この子が元気に産まれてきてくれたら第一子という事になるのでしょうが、本当はもう一人お兄ちゃんがいました。

実は、私は今年になって二回目の妊娠なのです。

1月の末にも妊娠が分かり、7カ月までは元気に育っていました。
胎動もはっきりとしていて、初めての子供を夫と共に楽しみに過ごしていました。
ですが、突然赤ちゃんが動かなくなり、陣痛促進剤を使って悲しく辛い初めてのお産をしました。

「臍帯過捻転」が原因と言われました。
へその緒がよじれすぎて、赤ちゃんに栄養や酸素が行かなくなってしまったのです。

毎日毎日むなしく、睡眠導入剤を飲まないと眠れないような時期を過ごしましたが、ちょうど息子の四十九日のあたりから、少しずつ息子の死を受け入れることができるようになりました。

休んでいた仕事に復帰して、夫との二人暮らしを楽しもうと思っていたら、また妊娠していることが分かりました。
まだ、長男の死産から2カ月半ほどでした。

いつか、また2人の子供が欲しい、母親になりたい、と思っていました。けれどもこの時、私には戸惑いと恐怖の気持ちしかありませんでした。

今でも、しょっちゅう恐怖でパニックになります。

「いま、この瞬間にも赤ちゃんの心臓が止まってしまっているかも…」「私のお腹ではきっと無事なお産は出来ない」と否定的な気持ちが頭に渦巻いているのです。前向きな気持ちより後ろ向きな気持ちの方が大きいかもしれません。

ですが、毎日、お仏壇に手を合わせ、「弟か妹の事を守ってね」と勝手なお願いをすることで、きっと大丈夫!と気持ちを落ち着かせています。

息子をとり上げていただいた病院へ今も通っていて、不安な気持ちを理解してもらえて、毎週診察してもらっています。

芸能人の方がテレビやインターネットで妊娠報告をしているのを見るたびに、(見ないようにしていてもなぜか目に入ってしまうのですね)「ああ、あの人は妊娠に何の不安もないんだ。うらやましい」と妬ましく思います。

妊娠、というとても貴重で神々しい体験をしているのに、それを心底楽しめない自分も嫌になります。

それでも、この子は亡くなったお兄ちゃんの分まで健康に産まれてほしい、この子をこの手で育てたい、と強く願っています。

もしも私の投稿で不安な気持ちや不愉快な気持ちになられた方がいらっしゃったら申し訳なく思います。
でも、どこかで私のような経験もあるっていう事を報告したかったです。

5月に予定されている出産でこの子に会う事が出来たら、またこちらでご報告できたらと思います。

2011.10.22 投稿者:きこりん

はじめまして。
今日11月18日映画を観賞させていただきました。

妊娠四カ月になる未婚の母です。
子供の父親に中絶を迫られましたが協力をして生んで育てようと今前を向こうとしてますが父親は、揺れ動いてるようで現在「大丈夫とは言えない」と言われてます。

中絶の話のときに、生まれてないこの命は、父親であれど消そう言えてしまうんだというショックがなかなか拭いきれず、かといってひきずるわけにもいかずずっと悶々を考えてました。

映画の中で
「見てもいないのにこんなに赤ちゃん好きなんだよ。不思議!」
って、言ってるシーンがあり号泣しました。

わたしも大好きなんです。
父親の言い分をくんであげれば彼とは仲良くやってけるとわかるのですが
姿がまだ見えないこの子の存在を彼に伝えることができるのはわたしだけ。
彼に少しでもいいから赤ちゃんを好きになってくださいと声に出せるのは私だけ。

彼もそうでしたが、避妊を拒んでおいて妊娠も拒む方が今の日本にはたくさんいると思います。

そういう人にお願いしたい。
一度この映画を見てくださいと。
考えてみてほしいと。

命はお金に代えられないということを思い出してほしい。

一人でもこの子は生む決心もあります。

でも、映画の中の赤ちゃんたちのようにパパに抱きしめてもらえるように
ママは頑張る。

だから、あなたは元気に生まれることができるその日まで泣いてばかりの居心地悪いママのお腹の中かもしれないけど、お願いだから離れないで生きていてください。

映画がこのタイミングで上映されたことに心から感謝しています。

2010.11.18 投稿者:べす

もうすぐ妊娠7ヶ月目に入ります。

私たち夫婦は、願ってもなかなか赤ちゃんを授かる事ができませんでした。

年齢的にも問題はないのに(夫27歳私24歳)・・・食生活も意識し運動もして”良い”といわれることはやっているのに・・・何よりこんなに望んでいるのに・・・と生理が来るたびに何かに見放されたような悲しい気持ちになりました。

周囲では出産ラッシュが続き、新年には「○月に家族が増える予定です」と書かれた年賀状が届き、メールの受信ボックスには友人からの赤ちゃん誕生の報告と写メがたくさんたまりました。
母が長年仲良くしている友人宅にもお孫さんが産まれたらしく、可愛らしく微笑ましい話がたくさん耳に入りました。
そして新聞を開くと毎日のように載っている子ども虐待の記事。「こんな辛い思いをするならなんで神様はうちに授けてくれないの?」と自分の無力さのようなものを感じては涙を流し、何も知らない親戚やご近所、友人からの「赤ちゃんはまだ?」という悪意のない言葉に無性に傷つく毎日。

でもある時、それまで「頑張ろう。いつかきっと願いは叶うよ」と励まし続けてくれていた主人が言いました。
「赤ちゃんの事ばかり考えるのはもうやめよう。二人ならではの楽しさや幸せがきっとあるよ。それを存分に噛み締めればいい!」。

どこかで無意識ながら自分を縛り付けて一つの事だけを考え過ぎていた私の心が溶けたようなほぐれたようなそんな瞬間でした。

それから、二人で遠出をしたり旅行をしたり美味しいものをたくさん食べに行きました。夏休みには沖縄に行こうという計画も立てました。

そうして、外で子どもの姿を見ても素直に「可愛い」とだけ思えるようになったある日、ひょんなことから随分長い間使っていなかった妊娠検査薬を使用することになったのです。それも消費期限が近い、という理由で(笑)

「はい、やっぱりね~」と冗談半分に言いながらゴミ箱へ入れようとしたその時、いつもとは違うラインが浮かびました。そう、陽性、私たちにも待ちに待った”赤ちゃん”がやってきたのです。

もう嬉しくて嬉しくてすぐに主人に見せ、二人で跳び上がりました。

1週間後病院で袋が確認でき今、赤ちゃんは毎日痛いほど元気にお腹を蹴っています。

主人と神様に誓ったことがあります。
それは、産まれてきた後、育児の中ではきっと疲れきるほど大変なことがたくさんあるでしょう。うまくいかなくてイライラすることもいっぱいあると思います。

そんな時には、赤ちゃんがやっと宿ってくれた事を知ったあの瞬間を思い出して幸せな気持ちと感謝の気持ちで目の前のわが子を包むこと。

あの苦しかった時間は、神様が私たち夫婦にくれた試練だったのかもしれません。

今、偶然にもテレビでは妊娠・出産をテーマにした連続ドラマが放送され、秋にはこの映画も上映されると知りました。

主人と二人で必ず観に行きます。

2010.09.14 投稿者:yuuyu

ちょうど33週に入ったところです。37歳での初産となります。
高齢出産となる事。今までの自身の生活、体力的な事等考慮し、大学病院での出産を選択しました。 

最近映画に先駆けて出版された本を読みました。
トモさんとご両親の関係・・・。

ウチの旦那さんとご両親の関係・・・。

ずっと両親が自営業でとにかく忙しく、あまり裕福な環境ではなかったらしく、
何かあるとは、「俺はほったかされて育ったから・・・。」と言います。
高校を出て、一人全く知らない土地で働いて、地元にいた時間より長い時間が経ちました。
お義父様は彼が27歳の時に病気で亡くなり、
お義母様は今は地元で年の離れた彼のお兄さんと一緒に暮らしています。
お盆やお正月には必ず帰るし、彼がお義母様の事をとても大切に思っている事は
電話でのやりとりなんかを聞いていてとてもよく分かります。
それでも彼の中にはどうしても何かわだかまっているのでしょう。
甘えたいのに甘えられずに我慢しているように見えて切ないです。
お義母さんが「そんなことない」と言っても、いつも彼は何も言わずに笑っているだけです。

私は出来れば主人には出産には立ち会ってほしいと思っています。
お義母様が、どんな大変な思いをして自分を産んだのかを、
私の出産を通して知ってほしいです。
お義父さんとお義母さんに愛されて産まれて、愛されて育ったんだと、思ってほしいです。
赤ちゃんは愛されて育つ。ということを立ち会い出産をすることで
少しでも感じてほしいなぁ。と思います。

2010.09.10 投稿者:kaka

私は現在19週の妊婦です。

結婚して4年目になります。
当たり前に妊娠できると思っていたのですが、できず、不妊治療を始め、タイミング法は何回も、人工授精を1回しました。

姑はとてもいい人なんですが、期待が強く、回りはどんどん妊娠し、そんなに早く妊娠したいと思っていなかったのに、プレッシャーが大きく、何度も夫と喧嘩をしたり、泣きました。

もう、体外受精しかない!と、夫と大喧嘩した矢先に、妊娠がわかりました。

冗談かと思いました。

神様がこんな私を見兼ねて、子どもを授けてくれたのかなぁと、感じました。
昨日から、出血、下腹部痛があり、今日、病院を受診すると、切迫流産と言われました。
切迫流産と言われても、お腹の赤ちゃんは元気に動いており、自分も元気なので、休ませてもらっている職場に悪いなぁ、休みたくないなぁと、1番に思っていました。

自分の事しか考えていませんでした。

今日、職場から早退する時、出産を経験している先輩、していない先輩が、「赤ちゃんが、休んでっていてるんだよ。」、「帰ってゆっくりしないとだめだよ。」と、言ってくれました。

そんな言葉をかけてもらっていることに、とても感謝し、涙がでました。
自宅に帰っても平気だろうと思っていました。

でも、この“うまれる”の投稿をみて、順調に妊娠を経過し、無事出産することは当たり前じゃないんだと、知りました。

母親になるというのに、恥ずかしいです。

今もこれからも、出産を無事迎えるまで、お腹の子の事を考え、これから生活していくことを本当に決意しました。

こんな事、決意することは普通なのでしょうが、私にはできていませんでした。

この映画、必ず観ます。また、この映画に関わっている方、投稿された方、ありがとうございました。
妊娠中の方、皆様、無事出産されますように。

2010.08.18 投稿者:豆太郎のお母さん

初めての妊娠、22週目に入りました。

29歳で2歳年上の旦那様と結婚、すぐに子供は出来ると思ってました。

1年近く経ち、周囲の不妊や流産の話を耳にする様になると焦りを感じました。
まだ新婚だと周りから言われるけれど、小さい頃からの持病のせいで薬ばかり飲み
甲状腺の病気も進行していた不安が拭えませんでした。

そんな自分の身体に自信がなかった私に天使は突然来てくれました。

つわりでツラくて泣いた日もあったけれど、新しい命は日々成長してくれています。
妊娠をきっかけに薬に頼る事を止め、なんとか今日まで過ごしてこれてます。
今までの人生で薬をこんなに薬を飲まなかった日はなかったです・・

胎動が強くなる度に、お母さん頑張れって励まされている気がして不思議と我慢できました。

妊娠して初めて、子供って奇跡だと思えました!!

最近、悲しいニュースも多くて胸が締め付けられる事が多いです。
こんな時だからこそこの映画が多くの人に届き、若い人たちにも命の尊さを改めて感じて欲しいです。

2010.08.17 投稿者:nonkeroko

「自殺した妹の生まれ変わり」

現在6ヶ月のマル高主婦です。
体外受精5回目で授かった命を育てています。

20歳のときに子宮外妊娠で片方の卵巣と卵管をとりました。

でも、片方だけでも妊娠はできるとたかをくくっていました。20代で結婚し、そのうちできるだろうと気楽に考えながら検査もせずに30代も半ばに向かえてしまい、いよいよ検査をしてみたら、癒着がひどくて自然妊娠はできないとの事。

それから真剣に将来のことを考え不妊治療にかかりました。そして3年目に念願の妊娠。

先日の性別判定で女の子とわかりました。

知り合いの霊能者の人から

この赤ちゃんは妹の生まれかわり

と言われました。
子供好きな妹は大学時代に一度中絶しており、ずっとその事を心の傷として持っていました。

自殺する2年前に生殖機能に問題のある以前からの知り合いに「俺の子を生んでくれ!」と言うプロポーズをされ、「自分でよければ!」と付き合い始めたばかりの人と唐突に結婚をしてしました。

しかし、結婚後、相手は病院に行って治療を受けることも拒否しはじめ、そのことで二人の関係には亀裂が入り、相手は逆上し妹に精神的虐待を1年半以上続け、追い詰められた彼女は深い深い苦しみの中、それから逃れるように死んでいってしまいました。

お葬式のときに、平気で笑いながら歓談をしている相手家族に、腹の底から煮えくり返るような怒りがわきました。

同時に、自分で彼女を救えなかった悔しさ、自分の足りなさに腹立たしさを覚えながら、前述の霊能者の人に「悲しんじゃだめよ。彼女が笑って天に昇っていく姿を想像してあげて」と言われたことを実践するように、それ以来、毎日妹の遺影を見ながら

「私の妹として生まれてきてくれてありがとう。大好きだったよ。今度は私のところに生まれておいで!私が絶対に幸せにしてあげるから!」

と妹の魂が安らかに天に浄化していくことを祈りながら、彼女に語りかけていました。

それから、1年半後の妊娠です。彼女は私が子供を欲しがっていることを知っていたので、この魂が彼女でないにしても、何らかの助けをしてくれた事は間違いないと思っています。

どんな魂にせよ、
私達を選んできてくれたこの命、
どんな子であれ全身全霊をかけて、
残りの生涯をかけて、
彼女が幸せになれるように育てていこうと覚悟を決めている私達であります。

生まれたら、お空でのこと、お腹の中のこと、また前世のことなど覚えているか聞いてみたいと楽しみにしています。映画、とても楽しみにしています。

2010.07.06 投稿者:りんご

現在妊娠17週、小学校1年生の息子がいます。
息子が小さなときに離婚をして、その後出会ったパートナーと
3年間、おなじ屋根の下に家族のように暮らしてきての妊娠です。

妊娠をするということはどういうことか、とずっと考えていて
本当にこれはご縁でしかなくて
多分ピルを飲もうがコンドームをつけようが
赤ちゃんが来るときにはくるのだなぁ・・・
そんなことさえ考えていました。
いつか、きっかけがあれば、産めたらいいなと。

とはいえ、まだまだ妊娠は先のこと・・・
息子もようやく手が離れ二人の時間も取れるかも♪なんて
思っていたのも事実。
そこで妊娠発覚!
嬉しいのだし、「こうなることはわかっていた」のだけれど
経済的な問題や息子の養子縁組の問題
現実に少し心が重くなっていたときのこと

息子が
「ボクはママのおなかに入る前に○○(今のパートナーの名前)のところにいて
それからママのところに行ったんだよ」

そっか
息子は生まれる前から、自分の人生を決めてきているんだった。
きっと今のパートナーに出会うために、私と元夫の間に生まれてきてくれたんだ。
そう思ったら、本当にありがたいなぁと思い、心がふっとラクになりました。
元夫にだって、感謝の気持ちがわいたのです。

息子はよく胎内記憶を話してくれる子どもです。
今おなかにいる赤ちゃんは、
緑と青がとっても綺麗な星からくるから
緑と青があるところが大好きだよ
と教えてくれました。(息子はちなみに金星からきたそうです)
大自然の中で、出産子育てしたいなぁ・・・

そう思っています。

2010.06.01 投稿者:grunehitomi

今妊娠9週目です。

1人目は無事に何事もなく出産したのですが、2人目は妊娠してもなかなか育たなくて
2回流産しています。
病院へ検診に行く度にはっきりした心臓音を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす毎日です。

2回の流産で色々考えさせられました。
悲しいということはもちろんでしたが、いま元気に育っている1人目の子どもが
無事に元気に育ってくれていて、感謝しなければ!と思ったり、
命が育つって難しいことなんだなと思ったり・・・

「うまれる」ことは大変なんだと思いました。

今は、つわりの真っ最中で辛いですが、つわりがあるから赤ちゃんは大丈夫!!と
思って無理せず身体を休めて、過ごしています。

まだまだ何があるか分かりません。
体調に気をつけて、無理せずに過ごしていきたいです。

上演楽しみにしています。

2010.05.28 投稿者:あずき

ただいま妊娠9ヶ月の29才の妊婦です。
ずっと保育園で働いていて、かわいい子供達が大好きです。
だけど自分の子はもっとかわいいのだと言います。
その経験ができるのかと思うと、とても楽しみです。

でも、不安や心配もたくさんあります。
障害をもつお子さんも今まで見てきました。
それを受け止め、乗り越えてきたご両親もみてきました。
でももし自分に産まれてきたら、自分は乗り越えられるのだろうか。と。

どうすればいいかはわかっています。
でも、自分は強くないし…と、そんなことばかり考えて自分を不安にしています。

そんなことを考えてネットをみるうちにこの作品のことを知りました。
命とは、子供とは、出産とは、親になるとは…
どんなことがあっても、前向きに生きていくことが大切なんですね。
生きていることがすばらしいのですから

上映を楽しみにしています。
その頃には、私も初めての出産と育児をむかえているのでしょうね。

2010.05.26 投稿者:ななか

初めての妊娠、28週目に入りました。
現在38歳、無事に出産を迎えられれば出産の時には39歳になっています。

毎朝 目覚めてすぐに 今日も赤ちゃんは元気でいてくれてるかな?と胎動を探します。
探して、、、見つけて、、、すごくホッとする。
ああ元気だ、良かった、ありがとう。今日も元気で行こうね。
朝は毎日、そんなふうです。

ちょっと神経質でしょうか。
そうかもしれません。
高齢出産だから?
うん。それもある。
周りに悲しい経験をした友人が多いのも、一因かもしれない。

いつになったら安心出来るんだろう。
そう思いながら、最初は安定期、と呼ばれる期間を目指して 週数を指折り数えていました。
でも 安定期に入っても、絶対大丈夫、は妊娠にはない事を知りました。

ううん、本当を言えば、命に絶対大丈夫。そんなの、無いんですよね。
何週になっても、リスクはあって、それは生まれてからも同じ。
もっと言えば、私もそう。みんなそう。
当たり前のように目が覚める朝や、当たり前に来ると思ってる明日が、絶対来る約束は、
神様もしてくれてはいない。

確かに妊娠・出産は、なんでもない成人の一日に比べたら、難所なのかもしれないけど、、、。
当たり前のように見える当たり前じゃない物に、お腹の子が気付かせてくれているような気がしてなりません。

時々 わーっと不安になる心とバランスを取りながら、おおらかにゆったり。妊娠期間を送って出産、子育てがしたいな。
強いおかあちゃんになる為の試験は、そこから始まってるような気がしてます。がんばります。

2010.05.22 投稿者:Kij

36週になりました。
いよいよお産が近づいています。

7年間付き合っていた彼との赤ちゃん。
世間でいうできちゃった結婚。
集中治療室の看護師というハードでストレスフルな職場。
心無い上司の言葉。
周りの友人たちの楽しそうな日常。。
すべてがストレスでした。

初期はなんで私に赤ちゃんができてしまったのだろうと悩みました。
赤ちゃんが欲しいと願う友人は流産し、私は無責任な言葉をかけてしまったこともありました。
どうして欲しい人にはできないのに、望まない人にはできるのか、と言われたことも。

気がつけば切迫早産になり、仕事を長期間休むことに。
結局産休までお休みいただき、そのまま職場を辞めました。
でも、それで良かったと思っています。

8ヶ月になる頃まで、無責任ながら「どうして妊娠したのが“今”だったのか。」と悩み続けました。
素直に妊娠を喜べず、赤ちゃんの胎動もさほど嬉しくはありませんでした。
しかし、様々な本を読んで、赤ちゃんが母親を選んで生まれてくる、自分は一人で母親になるのではない、ということを認識し、お産っていいものだなと思えるようになりました。

まだ子供だった私は自分が母親になることにとまどいを感じていたのだと思います。
自分が妊娠したこと、母親になることに申し訳なさがあったのだと思います。
こうやって自分を見つめなおし、自分を認め、おなかの中ですくすくと大きくなる我が子を愛おしく思うようになるまで約8ヶ月かかりました。
それでもいいと思っています。

赤ちゃんの胎動を感じれるのは残り少ないですが、一生の思い出に残る出産を体験したいと思っています。

2010.05.12 投稿者:ui

今、妊娠31週になりました。

結婚して3年。子供を持つことを考えなかったわけではないですが、結婚直後に喘息になり職場で倒れたり。
職場で怪我をし、トラウマ症状やそこからうつ病になったこともあり、自分が生きていくのに精一杯だった、というのが本音です。

仕事は休職中。
だんだん年齢も重ねていくし(現在33歳)、産むことに年齢的なリミットもある。
なにしろ出産は痛そうだし、大変だ。
子供は好きだけど、自分の子供となると育てられるのか?
持病が悪化するのでは?といろいろ考えてしまう・・・。

旦那はすぐにでも子供がほしかったようです。
しかし、私が治療を受けている姿をみているうちに、子供の話はしなくなりました。

そんな矢先に思いがけない妊娠。
喘息やトラウマ症状、うつ病が落ち着いてきた頃でした。

先輩から、この「うまれる」の映画の話を聞いて、
NHKの番組をみて、きっとこの子は私たち夫婦のこのタイミングを見てくれてたんだなーと
思いました。

持病の薬、内服を続けたままです。
幸い、持病たちは落ち着いてますが、そのことについての影響とか、
出産はやはり痛そうだし、怖いなというイメージはぬぐいきれません。
だけど、毎日日に日におなかを蹴る力が強くなってくこの子に会いたいな!という気持ちも
だんだん強くなりました。

そして、「うまれる」のNHK番組を見てから、改めて「ある意味、もうこの子は生まれているんだな。」と思うようになりました。

映画、早く観たいです。

2010.04.27 投稿者:ずん

先に投稿されているアーニャさんと同じくMRK症候群です。
私は短大2年の夏に病院で診断を受けました。

昔から子どもが好きで、保育士になるために短大へ進みました。
診断を受けたのは保育所実習の合間でした。

ずっと、周りの女の子にはある生理が自分には無いこと
当時の彼とSEXが出来なかったこと

生理は個人差があるからきっと遅い方なんだと思っていたけれど
やっぱりおかしいと思って、やっと病院を受診して出された結論。

子どもが産めない身体であること。
恋人とSEXをすることすらできないこと。

どこからどう見たって女なのに
女としてあるべき大切なものが無い。

何で女として生まれたんだろう・・・
子どもが大好きなのに、どうして自分が・・・
そんなことしか考えられませんでした。

実習中、保育所で子ども達の寝顔を見ながら必死に涙をこらえた。
友人が妊娠したという報告が嬉しけれど辛くて、すごく複雑だった。

恋にも臆病になったけど
それでも気にしないと言ってくれる人との出会いや
母や友人の支えがあったおかげで
今は保育所で『第2の母』として子どもと関わっています。

同じくMRK症候群の方が代理出産で子どもを授かったという話を聞き
まだまだ世間の偏見はあるけれど、また希望を持つことができました。

もっと、子どもを産むことの出来ない人が救われる社会になればと思います。

2010.04.26 投稿者:希奈

私は38歳で5年間同棲していたものの、結婚も出産もあまり考えていず、
子供は一生持たないかもしれない、二人で楽しく過ごせばそれが最高…と思っていました。

元々生理も不定期、夜中12時に夕飯、毎日甘いものばかりを大量に食べていた不健康な生活で、
夜勤の後に日勤をせざるを得ない仕事の状況。
今から考えたらなんて怖い生活!
悩みは仕事の事だけでした。。

そんな中、去年の11月に珍しく風邪を引いて会社から「新型インフルだったらどうするの!」と叱責。
病院に行ったらただの風邪で、処方箋を貰いました。
偶然、翌日から3日間は仕事の休み。
何となく「薬は飲まない。寝て治そう」と思い、寝込み中に「治ったら会社に退職届けを出して転職しよう」と決めました。
そして休み明け、上司に退職を申告し、受理されました。

すると翌週に体調がおかしくなり、調べたら、妊娠検査薬で陽性でした。
実はあの風邪の時、既に妊娠5週目位だったのがわかり、薬を飲まなかったのは正解でした。

そして更に翌週、つわりが激化し、吐き気に耐えられなくなった日は
元々スクールに通うために一週間という長期有休を取得しておいた初日でした。
お陰で仕事の引き継ぎもしてあり、スクールはキャンセルしましたが、心置きなく会社は休めました。

ただ、出血が続き、病院では流産しかけていると診断され、自宅安静を言い渡され、
毎日吐きながらベッドの中で胎児の無事を祈っていました。
子供好きでも子供を望んでいた訳でもない私でしたが「絶対に産まれて欲しい」と既に母モードに脳内は切り替わっていました。

その後無事一ヶ月半のつわりも流産危機も超えて安定期に入った時に
引っ越しが重なり、出産場所探しを始めました。
それまでの病院もおしゃれで皆感じ良く、嫌いではなかったのですが、なんか違う…としっくり気持ちが来なかったんです。
しかし、五ヶ月過ぎでは引っ越し先近くの助産院は全て満員でした。。。
(有名な所では3週位で予約が埋まるそうですね。。。)

しかし最後に断られた助産院の方が「無理かもしれないけど、紹介するから電話してみて。」と違う助産院を教えてくれました。
そこはどこかで名前を聞いた事がある都内の助産院でした。

有名だからもう満員ではないか?
通っている産院も悪くはないし、夫は勧めるし、最後の問い合わせにする!と決めて、緊張しながら電話をしたら、
なんと受け入れてくれるとの事。

後でわかったのが、つわり明けに初めて偶然図書館で借りて読めた本に出てきた助産院でした。

そして昔からの友達の友達が妊婦・不妊ヨガの先生のため、紹介してもらって参加した所、
その助産院で過去、産んだ人が沢山参加しているものでした。

薬を飲まなかった事、
悩みの仕事・会社をスムーズに辞められた事、
助産院が決まった事、
出会った人、
そのタイミング…
全て偶然??

私には赤子が曖昧に同棲していた私達(子供が出来たとわかり、つわり中に結婚しました)の背中を押してくれたり、
自分で産まれ場所を選んでいるように思います。
そもそも私は風邪も引かない(実は不健康らしいですね)タイプで
このままの生活では大病でバッタリ倒れていたかもしれません。。。。

胎内記憶の話も沢山いる中から出会った助産師さんが
たまたま本を紹介していた日に居合わせて知り、
このサイトを訪問するに至りました。

心療内科に通うのが当たり前の会社・社会でのワーカホリック生活から
新しく違う勉強が始まった気がしています。

2010.04.23 投稿者:mimi

結婚してもうすぐ3年・・・という昨年末、新しい命を授かりました。

結婚してからはまだそんなに経っていないのですが、私は35歳、旦那は40歳なので
結婚したらすぐにでも子供は欲しいと思っていました。
1年が過ぎた頃から、「子供はまだ?」の声に焦り始め病院へ。
有名な病院に通うことになり、「不妊」という言葉を突き付けられているような感じで
何度も通う車の中で泣いたことを覚えています。

1年間タイミング療法で待ってみましたが実らず。
昨年末、旦那と話し合い「体外受精」の道を考えました。
年が明けたら講習を受けて、3月に・・・と講習の予約もしました。
タイミングでの妊娠を諦めた時での妊娠でした。
「奇跡」だと思いました。

痛い検査を受けて涙したこと。
ポリープ切除の手術へ、気持ちが全然前向きになれなかったあの日。
「病院行ってるのにできないの?」と言われて泣いたこと。

切迫流産でだいぶ長い間安静にしていましたが、来週無事に6ヶ月に入ります。
少し胎動も感じるようになってきました。
あの時頑張ってよかった・・・と今心から思います。

そして、私たちを選んでくれて・・・来てくれてありがとうという気持ちと
今は早く会いたい気持ちでいっぱいです。

2010.04.09 投稿者:しず

2009年4月の妊娠8か月検診の際、胎児の胸に水が貯まっていると言われる。
大きな病院で転院し入院になってしまう。この頃の私は地獄に落とされたと思いました。
妊娠31週に帝王切開で出産になる。もう少しで妊娠9か月でした・・。
子供はNICUに入院になり治療しましたが生後13日にお空に逝ってしまいました。

その後の私たちはこれからどうやって生きていけばいいのか悩みました。
スピリチュアルの本を読んだりネットの天使ママさんの掲示板をみたりと何とか毎日を必死に
生きてきました。

そして2009年10月末に妊娠しましたが・・けいりゅう流産になってしまいました。
胎嚢の中の胎児がいつになっても見えませんでした。

またこれからどうやって生きていけばいいか分からなくなりました。
でも後悔しない生き方をしようと思いました。
これからどうなるか分からなくて不安だけど・・後悔しない生き方をする事を
目標に生きていきます。

2010.02.16 投稿者:りりしし

病院の処置が好きになれず、帝王切開をしたことがあるので助産院にも行けず、
妊娠五ヶ月から通院も無しで、自宅で家族と出産しました。

なにも『確認』できない、直感がとぎすまされた妊娠期間でした。

42週を超えてうまれた男の子は、元気に一歳になりました。

帝王切開しても、自然に産みたい。それが、かんたんになるといいな、と思っています。

追記・T区役所の助産師の長谷川さん、ありがとう。感謝しています。

2010.02.08 投稿者:琉津

私は女性です。辛いけれど、最後はハッピーな話です。
読んで、こんな私のことを知っていただければ、嬉しいです。

大学3年のある日、大学病院で妊娠できない体だと知らされました。
疾患名は、ロキタンスキー症候群(MRKHまたはMRK)。
ロキタンスキー症候群は、5000人に1人の割合で生まれるそうです。

私には先天的に子宮がなく、膣も殆どありません。

私の染色体、外見、心、しぐさ等は、全て女性です。
四肢もあり、普通の知能で、健康的に仕事、家事、資格取得のための勉強をこなす34歳です。

「子宮・膣欠損」は、人間として、女として辛いです。(涙)

この疾患を告知されたときは、そんなに辛くありませんでした。
まだ学生で「子宮や膣がない」ことが、どんなことか実感できなかったからです。
けれど、最愛の人を見つけてから、辛くなりました。

---------------------------------------------------------------------------
①子どもを産めない私が、この人といて良いのだろうかと思いながらも、
好きな気持ちを抑えられない辛さ。

②お互いの気持ちが深まれば深まるほど、私はこの人を幸せにできないと思う辛さ。

③幼い頃から、子どもが大好きな私。時折、子どもを産みたいという衝動にかられる。
まるで、性欲に似た症状に似ている。産みたくても産めない辛さ。

④夫と手を取り合えば、大抵のことは二人で築くことができる。
 でも、愛の結晶の子どもだけは、授かり物。
 どんなに深く愛し合っていても、授かり物だけは、自分達でどうすることもできない。
 愛し合っている二人なのに、愛の結晶をいただけない辛さ。

⑤子持ち、妊婦、(死産)、(不妊)には、精神面または経済面で手厚いサポートがある。
 元から子どもが絶対に出来ない私は、生死にかかわる問題だからと言う理由で、
 軽視されている。苦しみ、自ら諦める道を進むしかない、自らの道を切り開く辛さ。
 「健康なのだから、強く生きろ!」と言われても、あるべき物が欠損していることは、
 充分過ぎるほど辛いのに。。。

---------------------------------------------------------------------------

こんな私でも、辛さを乗り越え、今は、幸せをつかんでいます。
その幸せをくれたのは、「新しい命」、姪や甥っ子達とそのママでした。

一人目の姪が生まれた直後に病院へ着いた爺婆と私。
全く予定していなかったけれど、生まれたばかりの姪と「分娩室」でご対面!
病院とママに感謝☆

クチャクチャの顔で、あくびをしたり、手を開いたり、あんよをばたつかせたり、
無条件でかわいいと思えた姪に会えたその瞬間、心の中の何か堅い物が一気に取れました。

その後も、お宮参りをしたり、おひな様をしたり、おむつを替えたり、食事をしたり、
買い物にいったり、救急病院に駆け込んだり、公園へ行ったり、幼稚園の制作展へ行ったり、
ケーキを作ったり、ママがいない間お留守番を一緒に頑張ったり、
甥やもう一人の姪が生まれたりと、彼らと多く時間を過ごしましています。ママに大感謝です!

女として辛い部分に欠点をもちながら、なぜ生まれなければならなかったのかと問い、
一時は自殺することばかり考えていた私。

それでも、姪や甥たちに出会ったことで、自分の欠点に執着することなく、
新しい幸せを見つけるために、生きることが出来るようになりました。
私の命を守ってくれた新しい命達とママに、「心からありがとう~」を言いたいです。

2010.02.07 投稿者:アーニャ

結婚前は『すぐに子供ができる』と簡単に考えていました。
しかし、結婚後4ヶ月でようやく1人目を妊娠できました。
1人目が妊娠できたんだから2人目もすぐにできるものだろうと思っていました。実際に周囲には1人目が1歳になる前もしくは1歳になってすぐ『2人目を妊娠した』という人が多かったからです。
しかし、なかなか妊娠に至らず8ヶ月以上不妊治療に通って最近ようやく妊娠が判明しました。
まだ病院に行っていないのでちゃんと妊娠継続できているのかどうかもわからないのですが、8ヶ月の間通っていたつらさを思うと、『妊娠できるって奇跡のような確率なんだな~』と思わされました。
ようやく授かった新しい命、1人目と同じように大切に育みたいと思います。

1人目の子はまだお腹に赤ちゃんがいるということが理解できていないと思いますが、これからゆっくりとお話してあげようと思います。もう少し大きくなったら胎児の記憶を教えてくれるかな?

映画の上映、楽しみにしています。

2010.01.07 投稿者:jun

私は25歳の主婦です。

過去に3回流産経験があります。病院で習慣性流産と言われ、不育症の検査を進められました。
はじめは不育症という言葉を聞いたこともなく、自分には子供を産むことができないのか。。。
だんなさんに子供を抱かせてあげることができないのかと毎日泣いてばかりでした。

検査結果は何の異常も見られなかったのですが・・・。

病院で薬を使った人工授精を勧められました。

私はこれで妊娠できるならと人工授精を行いました。
毎日の注射や薬に耐えました。
しかし結果はついてきてはくれませんでした。。。

そして私は人工授精では卵巣がはれてしまったりしてしまうこともあり、
先生に体外受精をやったほうがいいのではないかと言われました。

体外受精。。。

私はショックでした。そこまでしないと妊娠できない自分の体に。。。
神様を恨みました。

お金も半端なくかかる治療に入らないといけないということで
母にも相談をしました。

しかし普通に産んできた母たちに私の気持ちが理解されることは難しく
何度も衝突しました。

治療をするようになり私はだんなさんの前で泣けなくなりました。
どんなに治療が苦しくても原因は私にある。

だから泣いてはいけない。

私のせいで子供を抱かせてあげることはできないんだからと。。。

体外受精の治療をすることは私にとってはとても辛い治療でした。
注射はもちろん毎日しましたし、全身麻酔をつかうこともありました。

中間での受精卵の経過のことなど気を抜けることはありませんでした。

移植は2回経験しました。

1回目の移植は失敗に終わりましたが
2回目に見事妊娠することができました。

そして今現在妊娠7ヶ月です。

4月が出産予定日です。

この子が無事に生まれてきてくれるまで不安は消えてはくれませんが
今はこの子が私たちを選んでくれたことに感謝して出産まで大切に大切に育てて生きたいと
思っています。

この「うまれる」をネットで見てうれしくなりました。

自分が治療をしていく中でまわりの理解がもう少しあれば
国の補助がもう少しあればと何回も思いました。

この映画で少しでもみんなに理解してもらえるようになり
これから治療される方が余計なことで傷つかない世の中になることを
心から願っています。

もう少し早く見つけて私もこの映画に協力したかったぐらいです。
頑張ってください。
映画期待しています。

2010.01.05 投稿者:あさみ

4才の娘がおります。200年10月に待ちに待った第二子を授かったことがわかり、仕事が忙しかったのですがなんとかセーブして娘のときのように順調に妊娠期がすすんでいくものと思っていました。
出産難民になってはいけないとあちこち産む場所を探して週1回異なる病院で診察を受けていたところ計算上、8週になっているはずなのに赤ちゃんが成長していないようだといわれました。
その前の週に心音を確認していたこともあって流産するとは想像していなかったのです。
このときの先生に自然淘汰された命は自然排出をされるのが一番ですよ、と教えていただき手術をせず、自然排出を待つことにしました。その翌日から1週間の間、もしかしたら赤ちゃんが目を覚ましてくれるかもしれない、いや、先生のおっしゃるとおり自然淘汰なのだ、とふらふらする考えの中仕事をしていましたが、ある日の夜、小さなお産のような陣痛の痛みが始まり出血。おそらくこれが自然排出だったと思います。
診察の結果、「赤ちゃんは納得して出て行ったんですよ」とおっしゃっていただき、授かった赤ちゃんが自然淘汰されても納得できないと出血が続くだけでずっと子宮に残ってしまい自然排出されないとのこと。初めて流産の事実に向き合い、涙がでました。が、自然の流れの神秘的なこと、女性の体の仕組みに感動し、赤ちゃんはこれを今、私にどうしても伝えたかったのかもしれないと考えられるようになりました。
今回の妊娠を大喜びした旦那と娘はしばらく理解できないようでしたが、出血と痛みで眠れない夜に旦那が娘を抱っこしてくれたり、娘には具体的なことは話せていなかったけれど何か理解しているようです。
家族を大事にしよう、仕事一辺倒だった私は変われそうです。
次の妊娠に向けて体を整え、家族との時間を大事に、赤ちゃんが教えてくれた幸せを味わっていきていけそうです。

2009.12.30 投稿者:yun

先日のスタジオ撮影ではお役に立てなくてごめんなさい。
あの時、お腹の中に確かにいた小さな命を8週で流産しました。
未だに受け止めきれないでいます。
8回目の妊娠、5回目の流産・・・・・。
悲しかったけれど、赤ちゃんがお腹に来てくれた感動のほうが大きかった。
きっと、いつかまた家族になれることを信じています。

映画楽しみにしています。

お腹に授かった赤ちゃんを流産しました。
なんとなく、毎日が体調不良で「もしや」と思ったら・・・・・・・
妊娠反応が陽性に出ました。
嬉しくて、妊娠雑誌を読んでみたり赤ちゃんとの生活を空想したり・・・
お腹の中の新しい命は嬉しくてなんともいえない幸せな感情をワタシにいっぱいくれました。
「赤ちゃんは自分でお母さんを選んでうまれてくる」
胎内記憶の素敵な講義を思い出しては、
とうとう、我が家にまた赤ちゃんが来てくれることになった!!
どんな様子を見て選んでくれたのかな~、なんてわくわく想像してみたり・・・。
短い期間しか一緒にすごせなかったけれど、赤ちゃんはきっとなにか伝えに来てくれたんですよね。
ほんの少しの期間でもいい、親子になりたくて会いに来てくれた小さな命。
妊娠がわかって、赤ちゃんを自分の中に感じ過ごすことができたのはほんのわずかな期間でしたが
自分の中に愛情があふれ、赤ちゃんを迎える希望に満ちた
すごくキラキラした瞬間であったように思います。
命を授かるということは本当に奇跡ですね。
うまれるって本当に奇跡です。
妊娠すること、お腹の中で育っていくこと、無事に出産すること、
元気に育っていくこと・・・・・・・・・。
どれをひとつとっても当たり前のことなんかない・・・・・。
奇跡の連続なんだと改めて感じました。
赤ちゃんがいなくなった空っぽのお腹。
ココロにぽっかり空いた隙間が埋まる日がいつ来るかまだわかりません。
いつの日か、受け入れられたら・・・・・
私がすべて受け入れて
赤ちゃんの持ってきた使命が何だったのか受け止められる日がくるのでしょうか。

いつか、またあなたのママになりたい。
あなたを抱きしめてあげたかったよ。会いたかったよ。
家族になりたかったよ。

2009.12.24 投稿者:井上亜紀   あき

私は、2回流産の経験があります。現在7歳の男の子の母親ですが・・・・
今でも、流産した時の記憶は鮮明に覚えています。
特に2回目の流産の時は、8週目で繋留流産になりました。今でもその時エコーの写真は大事にしまってあり、時々見たりしてます。

確かに辛い経験をし、自分を責めてばかりいて・・・毎日泣いて暮らしてたかな。
その後、息子を出産する10カ月間は心配で心配で・・・無事に産まれることばかり祈ってました。

お腹の中で亡くなった子と産まれてきた子は、私に命の大事さを教えてくれたんだと思い
・・・・感謝してます。

そして・・・今は亡き両親に一言

「生んでくれて・・・ありがとう」が言える私になりました。

そして、この映画を息子にも見せたいなぁと思います。

2009.12.24 投稿者:まなぴ

今朝、おはよう日本を見ていて、初めてこの映画の存在を知りました。
いろんな悩みを抱えた人が居て、無事出産できることがどんなに奇跡的なことか
子供が生まれるということがどんなにすばらしいことか改めて思い知りました。

私も現在妊娠6ヶ月です。
二人目の子供で、待望の男の子です。
その子の出産を待たず、つい先日、主人は交通事故で亡くなってしまいました。
主人がバイクで走っていた道路に、強引に交差点から入ってきた車が居たのです。
主人は片側二車線道路の右側を走行してました。
相手は信号のない細い路地から、左車線ではなく、直接右車線へ左折してきました。
主人は避けられるはずもなく、衝突し、死んでしまったのです。

きっと裁判になると思います。
そのころには臨月になっているのではないでしょうか?
愛する主人のため、生まれてくる子供のため、必死に戦うつもりです。
今日、映画の存在を知り、ああ、この記録を撮ってもらえたらよかったのに、と思いました。
せめてものと思い、体験談に投稿することにしました。

息子の存在は私の生きる希望です。
子供二人が居るから、私は泣き崩れずに、前を向いて生きることが出来るのです。
亡くなる命もあれば、生まれる命もある。
そのことに、本当に救われる思いです。
どんなに私と主人が、息子が生まれるのを楽しみにしていたか、子供が生まれたら話してあげたいと思います。
子供たちが大きくなったときに、一緒にこの映画を見れたらいいなぁと思っています。

この子が無事、生まれてきますように。

2009.11.28 投稿者:晴美

11月4日0時半
異様なお腹の張りに気づき、大人しくしていたら出血がありました。 慌てて病院に電話しても、寝ぼけた声で「様子を見なさい」としか言われず、言われるがままに様子をみていたら、3時半くらいから軽い痛みが継続してきたので、5時に病院へ向かいました。

いつもの担当でない院長先生が、大あくびしながらモニターで長男を確認しましたが、 心音がありません。
モニターで見ても、小さな心臓は止まっていました。
お腹の中で、長男はお空に帰ってしまいました。

痛みはなかなか陣痛に繋がらず、常位胎盤早期剥離で出血多量になり、救急車で大きな病院へ搬送され、緊急帝王切開を受けました。
子宮は残してもらえましたが、出血が多く、輸血を受けました。
その輸血でアレルギー反応が出てしまい、慌ててアレルギー治療も受けましたが、肺に水がたまって、息が出来ずに危篤状態に陥ったそうです。

私には搬送後の記憶がありません。
気がついた時には、ICUで点滴に繋がれ、喉とお腹の痛みだけ感じていました。
本当は、長男と会うつもりはありませんでした。会ってしまうと立ち直れないかもしれないと思っていました。
でも主人と話し合い、対面して抱っこもしました。
冷たく、目を開かない長男。でも何故か出てきた言葉は「ありがとう。また帰ってきてね」でした。

それからは歩行訓練やら、採血、検査をたくさん受けて体は何とか戻ったので、退院して自宅療養になりました。
精神的には立ち直れません…。
日々後悔ばかりで、小さな骨壷を前に涙ってこんなに出るんだと思うくらい泣いてます。
息子はきっと心配していることでしょう。

今日(11/27)で、息子が天使になって3週間経過しました。
確かにお腹のキズやぽっかり空いた心の穴はふさがりません。
でもゆっくりでもまえを向いていかなければ、息子が逆に成仏できないのではと思うようになりました。
外界に出てこれなくても私のお腹の中で息子は9カ月生きてくれました。
旦那と私をパパママとして選んでくれた。
話しかければポコポコお腹を蹴ってお返事してくれたこと。
ママと一緒に音楽聞いていたときには元気にお腹を蹴ってくれたこと。
天使になってしまったけれどママになれたこと・・・
息子には本当に感謝してます。
これからは息子が何を伝えたかったのか・・・使命を果たした為に天使になったのだろうから、その答えを見つけたいと思っています。

2009.11.27 投稿者:ひ~ママ

私も流産を経験しています。一時は、またあの時のように辛い経験をするくらいなら、子供はいらないとさえ思っていました。

現在公開中の、市井昌秀監督の「無防備」という映画にも、実際の出産シーンが出てきます。
ネットのニュースなどで「出産シーン」ばかりが話題に上っていたので
私にはとても観れる映画ではないと思っていましたが、不妊治療仲間が「映画を観て感銘を受けた」と言っていたのをきっかけに映画館へ行きました。

そのストーリーは、まるで私の気持ちを代弁してくれているようで
久しぶりに感動して嗚咽して泣きました。
心の澱が涙で洗い流されるようでした。

世の中で騒がれているような、出産をメインとした映画ではありませんでした。
産めなかった女性と、これからまさに命を生み出そうとする二人の女性の話です。

あの映画をきっかけに、今は夫とも向き合い、自分とも向き合い
前向きに自分達の未来のことや、子供のことを考えられるようになっています。

すべての女性へ、そして、そのパートナー、またこうして「うまれる」大切さを映画にされるスタッフの方にも観て頂きたいです。
命が生まれること。自分が生まれ変わることの意味を教えてくれます。

「うまれる」が、沢山の方に暖かい気持ちを届けられる作品になりますように…

2009.11.04 投稿者:まるも

現在女の子を出産予定で臨月の妊婦です。
昨年、8月に妊娠6ヶ月で男の子を流産しました。

「赤ちゃんを無事に産める」

ということが当たり前だと思っていた初めての妊娠。

流産という経験を乗り越え、悲しみを受け入れるまでの間に、それまでの人生では感じることのできなかったいろいろなことに気づかされました。
同じ経験、もしくはもっと辛い経験をされた方が、どれだけ身近に多くいたことか。
それに関して話をする機会や、知ることができる機会がどれだけ少ないか。
生と死が紙一重のことであれば、生だけを語り、死をタブーとすることは間違いであると今は考えられます。
それは、何も知らないままに、自分自身や、赤ちゃんを危険にさらすことから守ることでもあります。

今、出産を間近に控え、昨年とは違った心境で過ごしています。

来年公開の映画、とても楽しみにしています。
命を見つめることで、すべての人たちひとりひとりの存在が大事なんだと、あらためて気づかされるような、幸せになれるような映画であって欲しいな、と期待しています。

2009.10.15 投稿者:ひなママ

はじめまして 大葉ナナコさんのHPよりこちらを知りました。
未成年の娘の妊娠・出産で 小さな命と真剣に向き合い 家族で悩み 泣き
苦しみ 考えて考えて考えて シングルマザー覚悟で 出産を決断しました。

本当に 短い期間で 大変ないろんな思いを経験したので
10代の妊娠・出産についても知っていただきたく 投稿させて頂きました。

私の娘は 18歳で妊娠し 昨年夏に19歳で男の子を出産しました。
娘と相手の男の子から妊娠した事を知らされ 驚きとショックと小さな命の存在に 
とても心が揺らぎました。

相手の子の気持ちは ものすごく揺らいでいました。今もですが・・・
相手の親は 話し合いどころか「認められない!堕ろせ!」の一点張りでした。
それでも娘は「どうしてもこの子に逢いたい」と 私達に訴え続けました。

娘と一緒に病院に行き もう4ヶ月になると先生から聞いた時 
さすがに目の前が真っ暗になりました。

4ヶ月って言ったら・・・もう身体も心臓もあって 1人の人間です。
ましてや その子は 初めての私達の血を分けた孫 
この先の娘と孫の将来を 考えて考えて考えて、相当涙もしました。

相手の子は親の言いなりで 親は話し合いの余地も全くなく 娘の心と身体を考えたら
母として、祖母として、同じ女として どうしても娘に
「諦めなさい」とは 言えませんでした。

娘の将来を案じたつもりでも 娘の将来どころか 心までも壊してしまうような
気がしたからです。

もう相手がどう言おうと どうでもいい、娘と孫の未来を守ってあげられるのは
もう私達夫婦しか いないんだって もう主人を説得するしかないと思いました。 
『私達の子供と思ってこの子を育てましょう!』と説得するつもりでした。
何故か 主人にダメだと言われる気はしませんでした。

主人が帰って来た時 まず私に言った言葉が
『娘の子を自分で産んだと思えないか?俺達の子と思って育てよう!』でした。

同じ日の ほぼ同じ時間に 別々の場所で 同じ言葉で 決意していたのです。
これは偶然なんかじゃない。
この子は うちの家に生まれて来ようとしてるんだって思いました。

すると主人は
実は 昨日の夜中 娘の部屋からトコトコと誰か歩いてくる気配がして
まだ白くて顔も手足もない小さな子で 足元まで来ると
『ボク ここにいるよ!』って言ったそうです。

それからずっと主人の側にいて どこに行くのもついて来たそうです。
仕事行っても 車に乗っても ずっと側にいたそうです。
だから 「もうわかったよ。産まれて来い。」って言ったら
安心したのか す~っと消えていったそうです。

そして 無事産まれてきたのは 男の子 『ボク』 でした。 

この子は どうしても うまれてきたかったんだ!って思いました。
うちの子として産まれて来る運命の子だったんだと。
何かの縁で結ばれた子だったんだと思うと愛しくて愛しくて。

今 娘はシングルマザーで チビと共に 私達と一緒に暮らしています。
相手の子と 将来は一緒になりたいとお互い言っていますが どうなる事やら・・・
もしかしたら結末を チビだけは知っているのかもしれませんね。

大きくなった時 『ボク 生まれて来て良かった!』って言ってもらえるように
いっぱいの愛情で 成長を見守っていきたいと思います。

シングルマザー家族の現状(叫び??)も 少し付け加えさせて下さい。
シングルマザーの現状は 本当に大変です。 娘も 私達親も。
戸籍は 娘は私達の戸籍から抜け チビと2人 父親欄空白です。

未成年の未婚シングルマザーには 壁がいっぱい立ちはだかっています。
子供と2人自立したくても 私達が援助しないと 到底生活が成り立ちません。
そして 私達が援助する事で 娘は母子家庭の手当てが 何1つ受けられないのです。

働きたくても 保育園にもなかなか入れない。
おまけに 保育料が 母子家庭適応ではなく 私達の所得を合算され計算されると。
未婚と言うだけで 寡婦控除すらも受けられない。

もちろん 相手家族からの支援はありません。
今の現状は あまりにもひどい状態です。
「全て親が負担しろ」といわれている感じです。

相手の親は 自分達の言い分ばかりで そ知らぬ顔です。 
相手の子も フラフラして自覚も薄れ 約束も何1つ守りきれません。
役所へ行っても 門前払いのような状態です。

産むと育てると私達が決めた事で 覚悟の上の出産だから 
もちろん負担出来る限り負担はします。

でも それでいいのか?という疑問もあって。
いずれは 自立しないといけないので 何らかの準備は必要だと思うのです。
実際 紛れもない母子家庭なのだから 
もう少し何らかのサポートがあってもいいのではないか・・・と思う今日この頃です。
それと もう1つ。

妊娠がわかった時 相談した未成年者の妊娠等の相談窓口も 役所の都合で閉鎖されました。

未成年での妊娠 それだけで どうしていいのかわからなかった時
とても親身にとても的確にアドバイスしてくれた窓口で 本当に 救われた想いでした。

匿名でもちゃんと話を聞いてくれた相談員さん達でした。 
今は それに変わる的確な相談窓口は ありません。
未成年の妊娠が無くなるとは思えないこの時代に どうして閉鎖してしまうのでしょう。
救われただけに・・・ 悲しいです。

いろいろ大変な状況もあるけれど・・・ 
チビ やっぱりあなたと一緒に生きる道を選んで 本当に良かった。
チビの笑顔に毎日包まれて~

ママも じぃも ばぁも おばたんも 家族み~んな とってもとっても幸せです。

2009.09.11 投稿者:ばぁば

ちょうど二カ月前に赤ちゃんを死産しました。
九か月に入ってからの突然のお別れで私も家族も周りのお友達も本当に残念でとても悲しい経験をしました。

一緒に過ごした三日間、抱っこしたり添い寝したりキスしたりいっぱい名前を呼んであげたりおしゃべりしたり写真を撮ったりと思い残すことなくお別れをしました。とてもにぎやかに過ごしました。

自宅に帰ってから写真をもとに本を作りました。お空に帰った娘へ自分へのいいプレゼントになりました。
気持ちを文章にして残すことで癒されました。

まだ二カ月もう二カ月たってしまいました。本当なら赤ちゃんのいる生活が再び始まっていたのにと思うと悲しい気持ちになることもありますが、赤ちゃんは私たちにたくさんのことを教えてくれました。

こうなること分かってて私たちのもとにやってきてくれたと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。
赤ちゃんがいつもいつも私たちのそばにいてくれる気がしてとても毎日気持ちよく生活しています。

映画製作の中でこんな経験をした私たちが協力できることあればお話ししたいです。

2009.06.25 投稿者:メイシー

このたびはお願いがあり、投稿させていただきます。

私は1988年生まれの現在大学3年生です。私は今年の2月17日に中絶手術をしました。私と彼はもちろん生むつもりでいましたが、私も彼も学生の身です。とてもじゃないですが、親の援助なしでは産んで育てるということは無理でした。

何度も親を説得しましたが、私も4か月まで時間がなかったため、説得のかいなく結局手術ということになってしまいました。

それ以来私は辛くて悲しくて中絶したことを毎日後悔し、悲しみ、罪悪感でさいなまれています。本当に中絶は絶対にしてはいけないと思いました。すべての中絶がいけないと言っているわけではないんです。

ただ私は妊娠した女性がすくなからず産みたいという気持ちがあれば周囲は関係ないと言いたいです。本当に後悔します。私の場合は自殺まで考えました。今でも考えます。

この世の中にはたくさん妊娠して悩む女性がいます。産みたいけどと悩むなら絶対に産むべきなんです。このこともこの映画を通して女性に伝えていただきたいです。私みたいな人がでないように…。お願いします。

そしてまたもう一つお願いしたいことがあります。空に返してしまった私の子供のエコー写真を映画に使っていただくことはできないでしょうか。

ちなみに子供の名前は星空と書いてそらです。星空を殺してしまってからなんとかこの子の存在を残したいと思い色々考えましたが何も出来ずにいました。

ですが、もしこの映画で写真だけでも出させていただけたら存在が残るのではないかと思っています。この世の中に。本当にずうずうしいお願いで申し訳ありません。

2009.06.13 投稿者:聖

するどい眼差しで

「もう、お母さん、返品!」
「帰って!!」
「お母さんいなくてもいいもん!お父さんがいるからいいもん!」
「どうしてふみばっかりなの?お母さんはほのが嫌いなの??嫌いなんだー」

姉妹喧嘩をたしなめた(「怒る」「怒鳴る」ではなく、比較的冷静に話した)私に、4歳の
上の子が取った態度。。。

涙をこらえて必死に抵抗してくる娘の言葉を聞きながら、
そんな言葉を発したかつての自分が
フラッシュバックした。

毎朝泣き泣き幼稚園にいく下の子を横目に、

”いいお姉ちゃん”

でいようと一生懸命だったお姉ちゃん。
おやつやおもちゃ、文具を
「横取りされる~」
と母に訴えても、

「見せるあんたが悪い」
と逆に叱られてしまうお姉ちゃん。

下の子のために、
お腹の大きいお母さんのために、
仕事が忙しくなってきたお父さんのために、

毎日毎日

「いつもありがとう だいすきだよ ○○○より」

という手紙を書き
渡し続けているお姉ちゃん。

心が痛いよね。
わかる。わかるよ。

今日は寝る時間を少し遅くして、
みんなで
下の子を出産した時のビデオを見ました。

丁度今の下の子と、ビデオの中のお姉ちゃんが
同じくらいの月齢で、

陣痛室での様子

分娩室での様子

翌日、姉妹初めてのご対面

のシーンを、ノーカット(早送りはしたけど)
ボリュームカット無し

のノンフィクション
で見せました。

お産のシーンでは陣痛に耐える私を見て、

「何でお母さん泣いてるの?これ、泣いてるの?」

と驚いた様子。

私の肩越しの映像なので、
「向こう側はどうなってるの~~??」
「チョッキンしてるの??」

見えないじゃーん!
とイライラ。

下の子(2歳)も、びっくりしながら見ていたけれど、
赤ちゃんが生まれたときは、
二人とも

「ああ~生まれた~~」

とニッコニコでした。

そして、小さなお姉ちゃんと
楽しそうにおしゃべりしている母(私)
を見て、

「楽しそうだね」

と言って。。

「○○○もこうやって生まれてきたんだよ。お母さん、ほのかと一緒にう~~んってがんばったんだよ。こんな風に一生懸命がんばって産んだほのかのこと、絶対嫌いになんかなれないよ。大好きだよ。」

と伝えました。

こうやって
SOSをはっきり出してくれるうちこそ
丁寧にフォローしてあげなくちゃ

そのうち
内面化して、

何を考え(悩んで)いるのか
見えなくなっちゃうんだろうな。。。

母は港であれ。

港(母)が荒れていたら、
船(子)はそこに近づけない。燃料を補給できない。

ふと
ママイキ(山崎洋実先生の講演)の一説を思い出しました。

母は港。

はちゃめちゃでも(実際はちゃめちゃ)、

なんとな~く
戻って来易い港に

私はなりたいです。

4/23 mixiに掲載した自分の日記を加筆修正したものです。

2009.05.23 投稿者:E.H