うまれる ずっと、いっしょ。|映画『うまれる』

  • ブログ
  • メルマガ
  • 掲載メディア
  • 監督・豪田トモ
  • 講演会
  • 商品
  • 体験談
  • プロダクションノート
  • サポーター
  • ボランティア
  • 私たちの夢
  • 『うまれる』シリーズとは?
  • よくある質問
  • お問い合わせ
  • ENGLISH
うまれる ずっと、いっしょ。

胎内記憶の体験談 の全体験談

体験を投稿

昨日、4歳9ヶ月の長男を寝付かせようと、
一緒に布団に入り
「お母さんのところに生まれてきてくれてありがとうね」と言った途端、
喋り始めた息子。

「お空の上から来たんだよ。
○○ちゃん(3歳4ヶ月の弟のこと)とジャンケンして、ボクが勝って降りてきたんだよ(にこにこ)」

以前、まだ3歳のころ、
お母さんのお腹の中どうやった?と聞くと
「ふわっふわ!」と答えたことはあったものの、

そんな話、私が言い聞かせたことあったっけ?と疑問を抱いていると、
出るわ出るわいろんなお話。

以下、箇条書きで話したことをまとめます。

●どうやってお母さんのところに来るって決めたの?
→ ○○ちゃん(弟)が決めた。
ほかのおウチは、ケンカばっかりしてたけど、
ここはケンカしてなかった。
○○ちゃんが「良い家!」って言って、決定ボタン押した。
テレビは、住んでたおウチの2階の天井の上の方にあって、
リモコンで選んだ。

テレビの真ん中に決定ボタンがあったけど、めっちゃ硬くて、
一緒に住んでた男の人に押してもらった。

お母さんも見えた。洗濯物してた。
(確かに私は妊娠中、料理はめったにせず洗濯係でした!)

3月(長男の誕生月)に○○ちゃんとジャンケンした。
○○ちゃんがパーでボクがチョキで勝って、
じゃ、明日行くねっ、また後でねって言って降りてきた。

●2人のほかにもいたんだ?
→ ちっちゃい子がいた。男の子。
(あと1人授かれたらと思っていますが、女の子希望。次も男の子か!?)

そのちっちゃい子は0歳が終わって、1歳くらい。
○○ちゃん(弟)とケンカばっかりしてた。
ボクとはしなかった。

そのちっちゃい子のお父さんとママかな、
お父さんとお母さんと5人家族だった。

●ちっちゃい子の国では、誕生日が今と違った。
(自分と弟と、もう1人いたちっちゃい子の分と、
なぜかはっきり日付まで言いました。)

●ちっちゃい子の国は、カードがないと入られない。
ちょっとおっきい子の国もある。
おっきい子の国は、カードがなくても入れるし、スーパーもある。
人がいっぱい。スーパーでカートがちゃんと押せないくらい。

●ちっちゃい子の国は、上の方、雲の上にある。
雲は乗るとすぐ落ちちゃうから、
落ちないやつをシュッシュってかけて乗ってた。
(ドラえもんの見過ぎか!?笑)

●ちっちゃい子の国は、10月1日から雪が降った。
5月から8月は梅雨だった。
2月から4月は春だった。
春の花がいっぱい積もった。花で遊べたし、拾えたし。

●ちっちゃい子の国から、どうやって降りてきたの?
→ すべり台できたの「するる~ん」て。
長いすべり台だった。楽しかった。2台ある。
お腹とすべり台とつながってたから、お腹の中に入れた。
(道のりの途中、すべり台や階段が複数があったことなど、
お腹までの道のりを細かく説明してくれました。)

~翌朝~

長男「○○ちゃん(次男)とジャンケンしたよね!ね!勝ったよね!ボクがチョキで・・・」
次男「ちがうよ!(合ってるし!?)ボクが負けたんだよ!
(右手をパーにしながら真剣なまなざし)」

弟も覚えている!?
しかもジャンケンで何出したかまで?

・・・と、その夜、長男坊は30分くらい、
ずっと喋り続けて教えてくれました。

なんか壮大な映画を見たあとのような感覚で、
今もその衝撃(?)に浸っています・・・。

欲を言うと「お母さんが可愛かったから来た」
とか言われてみたかった私です(笑)

2017.01.13 投稿者:けりー/福井県

私自身の記憶です。

私は最初、真っ白い所におりとても小さな白っぽい生き物でした。

声をかけてくれる大きな人の顔を見る事もしたいと思わず、沢山の人が楽しそうに降りて行くのを眺めている方が好きでした。

一度試しに降りてみたものの、
暖かい場所に居たはずが急に悲しい気持ちになり、
ソワソワしている内に何か恐ろしい怪物が侵入しすぐに戻らざるを得ず、
とても消極的になっていました。

いつからか一緒に居てくれた子と、
嫌だねぇなんて話しながらずっと座っていると
大きな人は、何度でも降りないと…と、出口に連れて行ってくれました。

一緒に居てくれた子が代わりに行こうと言っても、
大きな人は 君はまだダメだよ と言います。

私が「出来るだけ小さいままでいたい」と言うと、
そうしよう と見送ってくれました。

一緒に居た子はずっと私が降りるのを覗いていました。

次の記憶はピンクと赤の狭いけど明るい部屋です。

寝たり身体を伸ばしたり、良い感触で意外と堪能していました。

しかし、ある時周囲が硬く狭くなり、
岩のようなモノに追われる様にしてそこから出ました。

緑一色の部屋に、どこかから激しい光が射し、
寒さで私は恐怖を感じていました。

次が、透明のカバーと、顔の下まで覆う白い何か、
そして祖父の大きな目と、赤と白のケーブル…。

ここからは母の話です。

母の友人は皆早い時期に子供を産み、
母自身も18の頃妊娠、しかし、父方の祖父に猛反対をされ
一度「まな板の鯉」の様に堕胎をさせられたそうです。

次が私の妊娠で、
私があまり大きくならないため促進剤で予定日に出す事になりました。

古い産院で3日間苦しみ、暑さに雪の舞う中、
窓を全開にして出産に臨んだそうです。

オムツをすれば首まで隠れる様な小さな赤ちゃんで、
保育器に入れられ、

嫌味な親戚に「産みやすいから小さくて良かったねぇ」と
何度も言われたそうです。

29歳になっても未だに夢を見ます。

洞窟で大きな岩が迫って来て逃げ惑い、
助かった瞬間「小さくて良かったね、小さくて良かったね」と
不気味な声が響き渡る夢です。

これらの繋がりを知らなかった5歳の頃、
どこかに帰りたい気持ちがピークに達し、
幼稚園で毎日「帰りたい」と泣いていました。

その後すぐに、弟が宿りました。

私は「いつ産まれる?」なんて聞きながら、
出てこない方が良いよと願い続けていました。

弟はなかなか産まれず、帝王切開で出そうかと言う話が出たとき、
「出た方が良いよー」と私が叫んだそうです(ここは覚えていないので母の話)。

弟はその日の内に自然に産まれましたが、
お腹に居過ぎたために肌はボロボロに剥がれていたそうで…
弟もしばらく保育器で育ちました。

小さな頃は、ねーちゃんを守る!
なんて言ってくれて居ましたが、

弟には産まれる前の記憶はありません。

臓器の障害で移植を受けたり、
余命宣告をされながらも、しぶとくしぶとく生きてくれています。

私達姉弟の周囲では、あり得ない程の不幸が起こり続けています。

私が母子家庭になり、子供も発達障害が発覚してからも、
奔放な性格の弟はいつも通り過ごしています。

おそらく、弟の方が魂のレベルは相当上で、
産まれる前からボロボロになっても付き添ってくれているのだと感じています。

私の魂が弱っちいから
多くの不幸で鍛えられてるのかな…とか

弟がこの先帰った時、
心配させない様にしっかりしないとなーなんて考えています。

2016.10.13 投稿者:こなたぬ(29歳)/山口

現在9歳の娘、5歳の息子2人共胎内記憶がありました。

娘は2歳のある日、私を探しに来てお腹に飛び込んだことを
突然寝かしつけをしながら話してきました。

もしや、これは⁈と思い、うんうんと聞いていきました。

娘の話に確信を持てたのは、
娘が産まれる前と後で家具、寝る場所の配置が違っていましたが、
娘はそれを全て言い当てました。

そして、妊娠が判る直前に夜中寝ていたら
耳元で赤ちゃんの夜泣きを聞きました。

その数日後に妊娠発覚。
ある日突然話してきた内容、選んできた理由を聞いて驚きました。

息子は3歳後半からこちらが聞いたら
”あー…その話。絶対に言わない?お母さんにだけ話すから。他にはしちゃいけないって約束だから絶対に言わないでね”と念押しされました。

息子は受精時の記憶がありました。
でも、4歳になる頃には消えてしまいました。

それ以降は神様のお手伝いをしていた話、
私を探しに来て家を間違えた、井戸みたいな穴があって長い滑り台で下りたこと、お母さんを助けたいから来たんだ!等々話していました。

今は5歳になった息子。
つい最近まで話していたのに今ではすっかり忘れています。
もっと聞きたかったです。

2016.10.09 投稿者:ふぅちぃ 茨城県

3年前流産の体験談で投稿させて頂きました、さくらママです。

わずか8週でお空に帰って行ったあの子。
それから2年後に産まれた娘が体内記憶と産まれる前の記憶、
前世?なのか昔の話しをてくれたので投稿させて頂きます。

娘は今年5歳になりますが、話すの早く、
2歳半頃からこちらから聞くことなく、話してくれるようになりました。

決まって、自分の産まれた病院の前を通る時に話し出すのが不思議なんですが…

まず、体内記憶ですが、
この子が産まれるまで、ずっと子宮筋腫に悩まさていました。
拳大の筋腫は、お腹からぽっこりとするくらいで、
石のように固く盛り上がり、医師から安静指示が出るほどに。

しかし、娘は『何かあった(多分、筋腫のこと)を蹴って遊んでたらカチカチ
になっちゃってさー、窮屈だったわ』と話してくれました(笑)

流産した子は自分だよと言う内容のことも話し出しました。

流産した子のことは、私たち夫婦の中で【さくら】と名付け、
私達だけで呼びあっており、誰にも話していないのに、

『私の名前はさくらだよ、お腹にいるとき一度バイバイしたよね
でも、産まれて来るときはバイバイしなかったね!』

『お空に帰る前に花火見たよね、キレイだったね!』

妊娠5週で行った花火大会…間違いなく、流産した子が戻ってきたんだ!
と確信し、より娘が愛しくなりました。

帰った理由は聞いても明確には言いませんが、
きっと女の子に産まれて来たかったのでしょうね。

母と違って、女子力高いですし(笑)
流産前の夢の通りだと思います。

それに、流産から娘が産まれて来る間、
私が骨髄のドナーに選ばれたりと、きっと出産出来ない理由もあったんだと思います。

実際、娘の妊娠が発覚したのはドナー提供終了、2週間後のことでした。
予定日からみると提供した日が受胎日と言われましたが、
実際にはあり得ないので…やはり戻ってきたんだと…

他には産まれる前の記憶を話しをしてくれます。

『おとうさんが呼んでたから来たんだよ。神さまにお願いしてね』

『神さまがどっちのお母さんにする?って聞いてきて、どっちにしようか
悩んだけど、お母さんを選んだよ』

『お空ではげんちゃん(弟の名前)と遊んでたの』

『あーちゃん(娘の名前)がげんちゃんに来ていいよーって言ったから
げんちゃん来たの。来る順番はあーちゃんが先だよっ、順番ねってげん
ちゃんに言い聞かせてきたの!』

『神さまが行っていいよって滑り台から滑ってお腹にきたよ』

『お空では◯ちゃんと▲ちゃん(◯ちゃんの弟)もいて、あーちゃんと
げんちゃんといつも4人で遊んでたの。
産まれてからも仲良しになろうっ!て、いつもお空を飛んで遊んでた』

ちなみに、◯ちゃんも▲ちゃんも大の仲良しで、
二人とも月齢まで一緒なんで、本当に遊んでたんだなと思います。

最後に娘の昔の記憶も投稿させて下さい。

私達夫婦は1980年代の産まれ。

70年代の記憶などあるはずもないのですが、
ある日、家族で懐メロの特番を見ていて、
70年代アイドルの曲が流れると、突然、口ずさみ始めました。

娘に『なんで知ってるの?おとうさんもお母さんも産まれる前の曲だよ。
誰かから教えてもらったの??』と聞くと、

『違うよー。あーちゃん、お空にいる前によく歌ってたからさー。よく知ってる
んだよ。♪♪~あー、懐かしいー♪♪』と嬉しそうに歌っていました。


娘は喧嘩すると、お母さん選び間違えたわ!
と捨てセリフのように言います。

その度に我に帰る私。

娘のほうがはるかに私より魂のラベルが高いのだと思います。

そんな娘の成長や可能性をもぎ取らぬよう、
育て上げるのが私の役目かな?

3歳になる弟は話してくれませんが、
また、話してくれたら投稿させて下さい。

2016.08.13 投稿者:さくらママ

私の7才の息子と5才の娘は、当たり前の様に産まれる前の話をします。

先日飛行機に乗った際も、
雲の上を懐かしいね~~こんなところに居たんだよといい、

雲の隙間から光が漏れていると、
あそこからおりてきたんだよ、ね~~っと、
話しあっていました。

息子は水のはった鏡みたいなのに、
ママが映っていたから優しそうなママに決めたの、

娘も一緒にママを見ていたけど、
お兄ちゃんがママに決めたから、
順番並んで長い道を通って来たの。

息子の胎内記憶は

ぐるんぐるん回ったり、
立ったりして遊んでいたけど、
足がむにゅむにゅして立ちづらかった。

初めは小さなお部屋だったけど、
だんだんお部屋が大きくなっていったんだ。

ママのお腹と、
天使さんのお部屋を行ったり来たりして、

産まれて必要な事や、
出来そうな事を天使さんに教えてもらうんだ。と。

娘は頭の洗い方を学んだらしく、
息子は走る練習をしたといっていました。

娘は2才ちょっと前から、
一人で頭を洗い一人で下を向いてシャワーを使って洗髪していました。

二人目は何でも早いなと感心してましたが、
天使さんに教えてもらっていたのかな?

息子は走るのが大好きで、いつもチョロチョロしてます。

息子は産まれる時泣かなかったんですが、
何故泣かなかったのか聞くと、
天使さんが居てくれたから泣かなかったんだといい、

神棚を付けた時も神様と天使さんのお家だから、
守ってくれるよ、良かったね、
といって水を取り替えてくれました。

私達には見えない天使さん、子供達には見えてるのかな?

自信満々で当たり前の様に話し合う子供達、ママは信じるよ。
ママを選んでくれてありがとう。

2016.03.13 投稿者:さと、北海道

3才8か月のとき、次女が語ってくれた胎内記憶です。

よく布団の中やお風呂で安心したときに話してくれると聞きますが、
うちの場合は朝の忙しい朝食中に突然でした。

お空からぴゅーって飛んできた。
おじいさんとオニがいた。
お水がジャーってしてトマトがジャーってした。

ここは〇〇ちゃんのおうちなの?って聞かれて、違う!って言ったら
電気が消えてママのところにいた。

おほしさまにありがとうって言った。
前は優しいおばあさんといたけど逃げてきた。

いろいろ質問したかったけどなんせ忙しい時間だったので、
へー!で終わりにしてしまったのが心残りです。

一緒に産まれた双子の長女は???って感じでした。

ちょうどこのあとすぐに妊娠がわかり、次女いわく、
女の子がいいけどおちんちんあると。

あとで聞くと、お空でお腹の子に会ったそうです。
まだ性別はわかりませんが楽しみです。

2016.03.03 投稿者:こころ/群馬県

今年23歳になる息子から、4.5歳の時に聞いた話です。

どうやって生まれてきたか覚えてる?と聞くと
「グルグル回って出てきたよ」と言いました。

そして「ママのお腹の中で、おしっこ飲んじゃった」と
ちょっとはにかみながら言ったのを覚えています。

その後、しばらくしてもう一度聞くと、覚えてない、知らない。と
以前話してくれた事すら忘れている様子でした。

あの時、もっと詳しく聞いていればな~と思いました。

2016.02.14 投稿者:ねねっこ/神奈川県

「私は兄の生まれ代わり」

私が生まれる前に私の兄は交通事故で亡くなりました。

私が生まれてから、物心つく頃には「あんたは兄ちゃんの生まれ代わり」とたくさん言われ育ちました。
自分も「母が悲しい顔をしないよに」「母がもう傷つくことがないように」今でも一番それを想いながら生きているので本当に生まれ代わりなのかも。と思うこともあります。

私の実家は自営業です。
とても忙しく、休みもほとんどありません。
「なんでこんな家に生まれたのか」「この先もずっとこうなのか」
大人になって自分が実家で働くようになり自分の運命が嫌になることも多々ありました。

ですが『うまれる。』を見て
自分が選んでこの家に生まれたこと。
豪田さんのおっしゃってた「自分が選んだんだから自分にも責任がある」みたいな言葉がすごく心に残りました。
私の中で今まで持っていた葛藤がすっと消えました。

私は選んで生まれてきた。
兄に背中を押されて生まれてきた。

今ではすごくそう思えます。
これからも母の支えになれるように
兄の分まで生きていきたいです。

ありがとうございました。


※小さい島で自主上映をして一年がたちます。
たくさんの人が観に来てくれた感動は今でも忘れません。

2016.02.05 投稿者:mar/鹿児島県

3歳の息子が2歳半の時に聞いてみました。

「あかちゃんは、(お母さんの)
おへそからおなかにはいる。」

「おなかにはいると、お水があって、
ピンクのリボンであそぶ。」

これだけ教えてくれました。
今はもうはぐらかして教えてくれません。

一回きりの不思議で、貴重な体験でした。

2015.11.08 投稿者:さみー/埼玉県

我が家の息子の話です。

娘が3歳の時に娘の弟になる息子が生まれました。

息子が3歳になるころ、私は胎内記憶のことを思い出して息子に聞いてみました。「ねえ、ちっちゃかったときのこと覚えてる?」すると息子は「うん、紫の人がね、いたの。紫の人に、ねーねー(娘のことをお姉ちゃんと言わずねーねーと呼んでいる)が上から見えたから、ねーねーがいるところに行きたいっていったの。だからきたの。」と言いました。

「紫の人」というのがなんとも不思議な感じで、日本でいうと紫の色は位の高い人が着る服でもあるので息子の話を聞いてそうか~!となっとくしていました。

息子は11歳になりますが相変わらず娘に何をいわれても「ねーねー」のことが大好きなようですw

2015.11.08 投稿者:あっきい  群馬県

~5人目のわが子の胎内記憶~

まず、鮮明に胎内記憶を話してくれたわが子の出産について

5人目にしてもなお予定日超過。
年末年始をドキドキしながら過ごしていました。
H2312.30予定日…まったく予兆なし。
H24.1.1.元旦。年始のおめでとうを祝った夜、同居している父親が意識をなくし救急車を呼びました。いつも冷静な15歳年下の主人が「今はうなれたら、いかんよ」とおなかを撫で「私ももう少し待ってよ」とさすりながら何度も話しかけました。その日は何度かおなかが張りましたがそのまま落ち着きました。
父親も意識はなくしたものの次の日にはいつもの生活に戻れ 1月2日の夜にみんなで「おじいちゃんはもう大丈夫やね」と安心して眠りについてすぐに陣痛が始まりました。

病院に到着して1月3日の午前9時過ぎに無事に生まれてきました。
現在3歳の息子「海」はものすごいおじいちゃん子です。

 先月おじいちゃんと海が散歩をしている最中に祖父が意識をなくし救急車で病院に運ばれました。それを境になんとなく記憶が蘇ったようでおなかの中で何をしていたとか話し始めました。

2015.10.26 投稿者:仁ちゃん/香川県

私は小学生の頃、怖い夢をよく見ました。
それは追いかけられる夢だったり、
高い所から落ちる夢だったり、
夢の中で夢なんだと認識できるくらい、
何回も何回も、同じ様な内容の夢をみてました。

その一つに、
何が怖いかわからないけれど、
圧迫される様な、
息が苦しくなる様な夢がありました。

周囲はオレンジ色の様な、ベージュ色の様な明るい壁が迫ってきて押し潰されそうになるんだけど、
けどその壁は柔らかくて、押し戻す事もできず。
いや、手も足も動かせなかった気がします。

今思えば、
あれは産道を通っている時の記憶だったのかな?
と。
大人になってからも数年に一回くらいは、
この夢を見ます。

2015.09.18 投稿者:いせご/茨城県

2015年8月10日(月)
2歳10か月の娘が中間生の話をしてくれました。
その内容は、私にとって何とも神秘に満ちた話でした。

先に、私の家系についてお話します(中間生との関連を強く感じるため)。

私の実家の両親は、ともにクリスチャン(プロテスタント)の家庭に生まれ育ちました。
父方の祖父は生前世界中を伝道して回った牧師、母方の祖父母も敬虔な信者でした。

私の両親は今でこそ熱心に教会に通っていますが、仕事の関係でゆかりのある教会とは
遠い場所に転居したこともあり、私が物心ついた頃から成人するまでは
年に数回、家族で訪れる程度でした。
このため、私自身は礼拝に行く機会は少なく、聖書の中身について詳しく知りません。
妹は成人した後、洗礼を受け、以後現在も教会に通っているので、聖書の内容もちゃんと知っています。

そういった背景があり、このたびの中間生の話です。

ここ数か月ぐらいかと思いますが、娘が時々「アッバ、アッバ」という言葉を
口にするようになりました。
たいてい家で、私とだっこなどして触れあっている時です。
少しにこっとして、甘えるような感じでのけぞって、「アッバ、アッバ」というので
赤ちゃんぽい感じがしていました。

私はその言葉の意味が分からず、単に赤ちゃん返りしてわざと赤ちゃん語を話しているのかと
思っていました。なのでそのたび、「なぁに?そんな赤ちゃんみたいなこと言って。
もうちゃんとおしゃべりできるお姉ちゃんなんやから、やめとき~^^」と、つっこんでいました。

そして先日、妹がうちに遊びに来ている時もまた「アッバ、アッバ」というので、
「この頃アッバ、って時々言うねんよ」と話すと、
「え?!アッバ、って、イエス・キリストが言った『父なる神よ』っていう意味の言葉やで!」

私は驚き、娘が次にアッバという時を待ちました。

そしてこの夜、お風呂で「アッバ」の話になりました。
さりげなくアッバについて質問してみました。
すると、
「〇〇(娘の名)、おこってん」
なんで?
「アッバがママのとこに行ったらあかん、て言うたから」
〇〇はどうして怒ったの?
「ママが呼んでたから」
「〇〇 泣いてん。そしたら、アッバが『いっていいよ』って言うた」
「もう帰っていいよって」

ママのところに前に来たことはあるの?(私はこの子を産む前に流産を経験しているので、
「帰る」という言葉が気になり、聞いてみました)の質問には、
「ない(最近娘は、家に入ることを「お母ちゃんのところに帰る」と言いますので、
流産で一度私のお腹に来たことがあって再び、という意味ではなく、家に来る・入るというような意味で
使ったのかもしれません)」

最初からアッバは反対だったのかどうか、聞いてみました。
すると
「アッバは(最初)行っていいよ、って言ってて、あかんって言うたから、
〇〇がおこったら、いいよって言った」

〇〇はその時どこにいたの?
「場所」

場所ってどんなとこ?
「こうなって、こうなった、いぐりちがある」
(横長の四角形のような形を示して。大きさは生まれたての赤ちゃんより一回り大きい
ぐらいのサイズぐらいでした。いぐりちは入口のことでしょう)

場所はどこにあるの?
「(浴槽内の斜め下を指して)ここ」
「(指を斜め下の角度でいろんな方に動かしながら)
こういって、こういって、こういったらある」
(ちなみに、お風呂から上がってからもう一度聞くと、
今度は部屋においてあるチャイルドテントの側面に
指を走らせながら、こういって、こういって、こういったらある、と
同じことを言っていました 笑)

ママのお腹にはひとりで来たの?
「ううん」
アッバも一緒に来たの?
「うん」

アッバには今も会うことあるの?
「ある」「アッバ今来た」
ほんと?! 〇〇のことずっと見ててくれてるんだね。
「うん」

(私)「こんにちは、〇〇をママのところに来てもいいって言ってくれて
ありがとうございます(と頭を下げる)」

(私)「☆☆ (注:第二子を望んでいて、娘と名前をつけています) も来てくれますか?」
(娘)「アッバが、来るって言ってる」
(私、アッバがいるというほうに向かって) ありがとうございます」

そのうち「アッバがチョコレート食べていいって」「ぶどう食べていいって」
など、にやっとしながら言い出しました。
これは自分が食べたいから言ったのかな?という感じです。

この日はここまででした。

妊娠中に池川明先生の胎内記憶の講演を聴き、ご著書・胎教CDも愛読・愛聴し、
2歳になった先日も再び子連れで講演を聴き…という私ですから、
45歳の高齢出産で授かった愛娘から胎内記憶や中間生などの話が聞けることを
心待ちにしていました。

時々「ママのお腹の中ってどんな風やった?」「〇〇はどこから来たの?」
と聞いてみるも、プーン、だった娘。

「アッバ」の話からこんなにすらすら、Yes Noはっきりと話してくれるとは、本当に驚きました。

「アッバ」。それは、私の全くもって知らなかった言葉。
だからもちろん、私は口にしたこともないですし、
娘はこの世に生まれて以後、この言葉をどこからも聞く機会はなかったと思います。
でも、この言葉を知っていた。しかもそれが、私の両親家族が祖父母の代から信仰している
キリスト教の大切な言葉だったことに、えもいわれぬ神秘を感じます。

と同時に、あんなにほしかった赤ちゃんが、実は天の神様の反対を押し切ってまで
自らの意志で私の呼びかけに応じてやってきてくれたことに、
深い感動を覚えました (娘は意志がはっきりした、喜怒哀楽の感情表現がとても強い子です。
おそらくアッバに対しても、相当な激しさで怒り、泣いたと思います)。

私はこのことを真実と受け止め、ずっと心に刻んで
天から来てくれた奇跡のような我が子を、慈しんで育てていきたいと思います。

2015.08.12 投稿者:ninaetmaman/大阪府

先日都内で鑑賞させていただきました。
友人である サイバーエージェントの藤田社長がおすすめしてくれていたこともあって、以前から気にはなっていたのですが。
海外にいることが多くやっと見ることが出来ました。

見る理由になったうちの一つに 4歳の妹の事があります。

私は25歳。21個離れた妹と間に3人 計五人で横浜に現在暮らしています。
僕たちは異父兄弟で お袋の思い出だけがみなで共有出来るものです。

四年前の東北大震災 あの時父親を亡くしました。
その翌月 避難所で末の妹を出産するときに お産でお袋を亡くしました。理由としては 高齢出産 病院に入れず避難所で産んだことなどがあると思います。
その後五人で横浜に移り住んだのです。

半年前仏壇の前で雑談をしてたときに次女が お母さんの思い出、穂乃香(末の三女です)だけないもんね~ と何気なく言ったのです。
それを聞いた穂乃香は
ほの、お母さんのこと知ってるよ~と言い出したのです。

生まれて来るときに、お母さんとは少ししか入れないけど あったかい家族に会えるよって 言われたの~

次女と目を合わせて 質問攻めにしてしまいました(笑)

自分は両親を失って 家族を守らなければならないと 責任にかられ 四年前泣くことが出来ませんでした。
ですがその時、ふっと肩の荷が降りたんです。
お袋役も親父役やらなければ とか この子に寂しい思いをさせてはいけない だとか
穂乃香が全て分かって生まれて来たんだと。

いくつになるまでこの記憶が彼女にあるか分かりませんが僕はこの時のことを絶対忘れません。

2015.05.13 投稿者:ゆう 横浜

長男18歳
胎内記憶は言葉が出て
お話ができる3歳頃に
聞くと良い 噂で知っていましたが
本当に喋るとは思っていませんでしたが
聞いてみました
お母さんのお腹に居る時覚えてる?
3歳に息子は
ばぁばんの声がした〜と
はっきり答えました

7ヶ月の頃
元旦那が浮気
元旦那と彼女と話し合い
彼女は奥さんが妊娠してるとは聞いていない
私と結婚しますと
元旦那には子供はいらない 中絶してくれと言われ

20歳だった私は 先も見えず
どうすることもできず
通っていた産婦人科に中絶のお願いに行きました
もちろん 法的にも もう中絶ができる時期でないと
断られました
その時
とりあえず 産みなさい
お母さんが手伝うから
お母さんと育てようと
言ってくれて
実家に帰り 無事出産しました
実家に帰ってから
産まれるまでの間
おばぁちゃんの声しか無いですもんね
命の恩人だからでは無いですが
息子はばぁばんが大好きです

息子には
辛い話を聞かせてしまったなと反省してます

2015.03.16 投稿者:ACO 岡山県

2009年に一度投稿した者です。
そのころは、まだ息子は喋れなかったのですが
その息子も7歳になりました。

久しぶりに、こちらにうかがって報告をしたくなりました。

胎内記憶や中間生の記憶は3歳まで位と聞いていたので
そのころまで、まったく胎内記憶の話をしない息子は覚えていないだな~と思っていたのですが、5歳くらいになってからやたら喋ってくれるようになりました。

言葉や、思考が発達してきた時期なので
もしかしたら、子供の作り話かもしれませんが・・・

中間生については

・雲の上みたいなところに神様がいて、子供は子供なんだけど、光の玉みたいな感じでいっぱいいて、順番を 待っている。神様は白い服で白いひげ(絵も描いてくれました)。

・スクリーンみたいなのが、何個かあってお母さんになる人が映るので、自分で選ぶ。

・お母さんを選んだら、雲の上から滑り台みたいなので降りてくる。

・自分は、そんなに積極的にお母さん(私)を選んだわけじゃないけど、神様に勧められて、やさしそうだしあそこに、行きたいな~と思って神様に聞いたら良いよって言われたので来た。(お父さんがいないという こと)別に、気にしなかった。

胎内記憶については

・おなかの中で、おもちゃ(紐?臍帯?)があって、それを手で持ってぶ~らぶ~らさせて遊んでいた。

・胎盤らしきものが3本?あって、自分が赤いたくさんの半円みたいなのに囲まれた子宮のなからしき絵をかいてくれた。

どちらかというと中間生の記憶のほうが多いようです。

家は皆気が短いほうで私もすぐ大声が出るような母親です。
時には手も出ます。

が、息子は「全然怖くなくて、どっちかというと可愛い」と言います。
ガクッとなりますが、息子の性格なのか我慢しているのか・・・

ただ、私の祖母の生まれかわり説がある息子なので
前世の、祖母として私にかかわっていた時の感情が残っている気もします。

左ほほに1.5センチほどの黒いあざがあるのですが
「気になるなら、手術でとれるよ」と言っても
「これは、自分が自分だっていう証拠だからとらないの、このままでいいいの!!」と・・・

まあ、そんな感じなので
ちょっと、変わってるかな~という感じもしますが
それなりに、お友達とも仲良くしているようですし
このまま、それなりに育ってくれたらいいかな~とゆるめに考えるようにしています。

息子が来てくれたことで、私は本当に救われました。
ずっと、死にたいばかり考えていましたが
生きることにどん欲になれました。
そして、無欲にもなりました。

「今日・明日、息子と笑ってくらせりゃいいじゃないか。あんまり先のことは心配しない」と。
ありがとうね、息子くん。

そして、全面的に協力してくれている両親に感謝です。

2015.01.20 投稿者:あちゃ/京都府

7歳の息子の話。

冗談で、「ママのお腹どんなかんじだったの?」
ってきいてみました。

「お腹きもちいいから、泳げるし、出たくなかったんだけど、出なきゃいけなくなって、寒くて暗くて苦しいきときとかもあって大変だった。もう嫌だとおもった」

私は、産道が開かず、3日ほど陣痛をすごしました。
産道が2cm位の時に破水し、そのあとも産道は開きませんでした。
最終的には、陣痛促進剤を打ちながら出産をしました。
生まれた息子は真っ青で、とても冷たく震えていました。

それが、きっと息子の体内記憶なのかなとおもいました。

2014.12.08 投稿者:なおなお

こんにちは
うちの10才になる息子の話です。
体内記憶の本は以前から興味あり読んでいたのですが、

息子に
「どうしてママの所に来たの?」
とお風呂に入っている時聞いたところ

「じいちゃん」
としか答えなかった(当時息子は2才半)。

その後も何回か同じようにリラックスしている時ききましたが同じ答えでした。

3才位までしか体内記憶は消えてしまうように思っていて、ずっと忘れていました。

5才のゴールデンウイーク中に家で焼肉をしていた所いきなり
「俺がじいちゃんの頃、ママと住んでいて、レモン酎ハイ1杯だけだよって言われていたね、あの頃も楽しかったね その時ママと二人で住んでいてパパはいなかったけどね」

と聞きもしないのに話はじめました。

私の父は、息子が生まれる前に他界して随分たちますから、
父との晩年の普段の話を知る人はいないはずで、私も忘れていた話でした。

まあその日はそこで話は終わりましたが、数日後息子が寝るころ
「ねえ じいちゃんの頃の事、お話してくれる?」
と話しかけてみました。

息子は「いいよ」
と 私が
「ねえねえ何でママの所にやって来たの?」
と聞くと

「ママさあ 一人になっちゃって寂しいと思ったから来たんだよ」
と私は両親と兄も他界して一人で住んでおりました。

まさかの生まれ変わり話で続きを知りたく
「そうなの 嬉しいなぁ 」
と言うと

息子が
「俺はじいちゃんの年齢は83才だけどね 戦争行ったんだよ」
って話してくれました。

父が生きていたはずの年齢を覚えているわけもなく、
息子が寝た後計算したら、父が生きていた場合の年齢とピッタリあってました。

今でもリラックスしている時はじいちゃんの頃の話をしてくれます。

2014.07.14 投稿者:ミミ 愛知県

私は今、中学2年生です。
去年の5月、いとこに赤ちゃんが生まれました。

そしてその子が2ヶ月ぐらいになった時、
初めてその子を見ました。
その時、ふと小さい頃から疑問に思っていた事をいとこに話しました。


その話をします…


私はすごく真っ暗な部屋の隅っこに体育座りしていました。
カーテンも閉まっていて、電気もついていません。
でも、うっすらカーテンの隙間から光が見えていて、
家具がおいてあるのが分かりました。


ずーっとそこに座っていました。
とにかく怖くて怖くて泣いてたのを覚えています。
すると、白いTシャツを着た髪の毛のボサボサな男の人がこちらに来ました。
その人に「外に出ろ」と言われました。

そこで、カーテンの隙間から引き戸を開けて
ベランダに出ました。
そして、しばらく手すりのようなものに捕まり、
空を見てました。
すると急に太陽が出てきて何かが爆発したかのようなすごい光が見えました。


そこからの記憶はありません。


本当に胎内記憶かな??と思いましたが、
私は生まれた当時は極度の男嫌いでした。
ずっと座っていた部屋も今の自分の部屋にそっくりです。
ベランダも似ていました。


その事を私は小さい頃から「初めて見た夢」と、思ってたのですが…

いとこに話して見ると、
「それ、胎内記憶って言うんだよ!!」
と言われて初めて知りました。

2014.04.05 投稿者:kanami

☆あ〜り〜が〜と〜お☆

☆今日は、いい日だ☆

貴女、貴方、呼吸は・・・

浅いデスか?深いデスか?

☆終わりは始まり☆


自分の使命を探し

メルマガを書くようになって

思い出した事


産道の記憶を持って

生きていた事・・・

周期的に見る同じ夢

苦痛を伴う圧迫感★

旋回しながら

苦痛から逃れる如く

向こうへと進む


あと少し、あと少し

あそこまで行けば

あの小さな明かりの所

そこ迄行けば

ポン‼と楽になる・・・


目を覚ますことなく

夢の中で苦痛を我慢★

何度も、何度も見てきた

子供を出産したにも

関わらず

この歳迄、それが

母の胎内、産道から

生まれ出る瞬間の記憶だと

気付かなかったσ(^_^;)


何故か、解ったトタン

全くその夢は見なくなった

ちなみに次男は次男で

羊水の中にいた時の

記憶を幼子の時に

私に語ってくれた☆


生きる事

命輝かせるお手伝い

メルマガに載せて約一年

ありがとうございました

本日を終わりの日と

させて頂きます☆


明日からはFBにアップ☆

終わりは始まり☆

新しく生まれ変わり

命有る限り輝くオーラ

わくわく、るんるん♬

ありがとう、ありがとう

ありがとうございました♬

貴女に、貴方に

世界一の言葉を送ります☆

ありがとうございます☆

感謝します☆

2014.02.02 投稿者:弥房(三重県)

私の記憶です。

子供の頃よく見ていた怖い夢がありました。
暗闇を漂っていたら、急にどこかへ連れて行かれそうになる夢。
年を重ねるごとに、その夢を見ることはなくなり、すっかり忘れていました。

大人になり病気をした私は、睡眠薬を飲んで寝ていた時期があります。
そのときに、昔見ていた夢を再び見るようになりました。

子供の頃は、ただただ怖い夢だったのですが、大人になってその夢を見た私は、
「これは生まれた時の記憶だ!」と感じました。

今までは、連れていかれそうになるところで目を覚ましていたのですが、怖いのを我慢して続きを見てみようと、もう一度眠りに入りました。

暗闇を漂っていたら、急にウォータースライダーを頭から滑り落ちるような感覚。
頭を掃除機で吸い込まれるような感覚。
しばらくしたら、まわりが急に明るくなる。

その瞬間、私は生まれたんだと感じました。

朝起きて母にこの話をしたら、涙ぐんでいました。

「あなたが生まれるとき、吸引したのよ」と。

私は吸引の話は聞いたことがなかったので、私も母もびっくり。

「急に引っ張られて怖かったんだよ」と言うと、

母も「助産師さんがいきなり吸引したから、私も心構えができてなかった」と言っていました。


それ以外にも、お腹の中にいる夢も見ました。

狭いスペースで鈍い音が聞こえていました。
お腹ごしの外の音、車の音や人の話し声など。

また、母が心細そうにしている気持ちが全身から伝わってきました。
(誰も知人がいない土地での妊娠だったので、日々不安だったようです)


お腹の中に来る前のことは思い出せませんでしたが、これらのことは、とても貴重で大切な思い出です。

病気が回復し、これらの夢を見ることもなくなりました。
日々忘れて行くことがさみしいので、こちらに残させていただきました。

2014.02.02 投稿者:うーちゃん/静岡県

現在20歳(双子)、15歳の男の子、3人の母です。
それぞれ、3歳になった頃に聞いてみました。

「ママのお腹の中で何してた?」

長男「おぷぷはいってたの」 おぷぷ=お風呂

二男「ちゃぷちゃぷってしてたよ」

長男「○○(二男)がたたいた」

二男「○○(長男)はあしでえいってした。いたかった」

三男「とりだった。それでおさかなになったよ」

それぞれ、1度だけ聞いてみました。

小学生になった頃に、こう言ってたよって言っても、覚えてませんでした。

忘れられない思い出です。

2014.01.27 投稿者:もこまま/静岡県

 先日、流産した二人の赤ちゃんが「自分のお腹にいるよ」と話してくれた息子のことを投稿したあゆいくです。

 体内記憶とは少し違うのかもしれませんが、その後たいへん不思議なことがあったので再び投稿させていただきます。

 5月20日のことです。またまたたくさんご飯を食べてお腹がパンパンになっている息子に、「お腹の中には何が入っているのかな~??」と尋ねると、「あのね、あーちゃんもあささんも、もういないよ。ママのお腹がいい、僕のお腹はいやだって言って帰っちゃったの」というのです。

 ちょっと寂しい気もしましたが、お空のお家に帰れたのならそれもいいのかな、なんて思っていました。

 そうしたら、5月末に妊娠が分かりました。今のところ順調にお腹の赤ちゃんは成長してまもなく12週を迎えます。39歳の自然妊娠。息子には何かがわかっていたのでしょうか。お兄ちゃんになるのを楽しみにしてくれています。

2013.07.14 投稿者:あゆいく

昨日のこどもの日、ようやく念願だった「うまれる」を見ることができました。ちょうどその前日、息子(3歳1か月)が胎内記憶を話してくれていたので、余計に感動してしまいました。それでHPを見ていたら、投稿のページを見つけたので我が家の話を書かせていただきます。

五月四日、旅行帰りのSAで夕食をとっているときでした。たくさん食べた息子はお腹がパンパンに膨らんでいたので、『お腹の中に何が入っているのかな?』とからかうと、『アサちゃんとアーちゃんがいるんだよ』と言うのです。その二人は、息子の後に流産した赤ちゃんたちの名前です。びっくりしてしまいました。
そこで、『三人目の赤ちゃんはどこにいるの?』と尋ねると、『お家にいるよ、お空のお家』と答えてくれたのです。池川先生の著書は読んでいたので、本当にお空のお家って言うんだ〜と、そんなところに思わず感心してしまいました。そして、『僕がお兄ちゃんになるって言って先に来たんだよ』と教えてくれました。ということは、もうじきお兄ちゃんになるのかな?? 立て続けの流産に気落ちしていましたが、この話に元気をもらいました。


そういえば流産した後に、よく息子が『アサちゃんとお話してるの』とか『アーちゃん、あそこで見てるよ』なんて言っていました。ありがとね、と思っていましたけれど、彼にはちゃんと見えていたのでしょうね。

2013.05.06 投稿者:あゆいく

娘が2歳半の頃、テレビで仔犬がじゃれあう様子を見て突然「あ~こうやってママのおなかの中で、やってたよ~もうひとりの子とけりあいしてたの」と言いました。そして、続けて「でも、その子とちゅうでバイバイしちゃったんだよ~さびしかった」と…。娘を妊娠時は二卵性の双子を妊娠していたのですが、7ヶ月のころに原因不明でバニシングツインになりひとり亡くなりました。もしかして、この子は胎内記憶を話してる?と思い、「えっママのおなかの中でのこと?」と聞くと「うん、ママのおなかの中で男の子とけりあいしたり、およいだりしてたの!」と言いました。亡くなった子の性別を聞きそびれ、出産時にはすでに胎児のかたちはなく、娘の栄養となったと説明されて、悲しく辛かったのですが、娘の話を聞くと、信じられないくらいすごい話なので、すぐにノートにメモしたことを覚えています。
3歳くらいの時もあきらかに誰かと遊んでいるようなひとり遊びではないような会話をしていて、驚きましたが、きっと、亡くなった子は娘のそばで見守ってくれてるのだと思います。今でもそう感じ信じています。

2013.02.15 投稿者:yuri

3歳半になる男の子の母親です。

先日、通っている保育園の先生に、”今日、I君(息子)が突然胎内記憶を話したんです。”と伝えられました。

帰宅後、息子に詳しく聞いてみました。

私 :”ねぇI君、ママのおなかの中にいたときのこと、覚えている?”

息子:(うん、覚えてるよ! 気持ち良かったの。)

私 :”そうなんだ。何か見えるの?”

息子:(ううん、何にも見えなくて、真っ暗だったよ。温かくて気持ち良かったよ。)

私 :(おなかの中で何していたの?)

息子:”あのね、ツンツンってしたり、グルングルンしたり、寝たりしてた。ツンツンってしたとき、ママ痛かったでしょう!? ママが呼んでいる声が聞こえたんだよ。でもパパの声は聞こえなかった。おなかの裏側に丸いものがたくさんあったんだー。それで、I君は本当はもっとおなかの中にいたいなぁって思っていたんだけど出てきたんだー”

とのこと。
半信半疑で聞いてみたのですが、びっくりしました。

私は子宮筋腫合併妊娠だったため、自然分娩ができず、37週早々に予定帝王切開で出産。
もちろん、それを息子が理解しているわけありませんが、もっとおなかの中にいたかったというのは37Wで産まれてきたからかもしれません。
おなかの裏側にあったという丸いものは筋腫のことなのでしょうか?(笑)

続けて、おなかの中に来る前はどこにいたの?と聞いてみました。
すると、”ママがいいかなぁーって思って、ずーっとママの後ろをついて歩いていたの。こうやってね。ずーっと後ろにいたの。”と、話してくれました。

息子は、私を選んできてくれたんだ。
私が妊娠に気が付く前から、息子は私のそばにいて、ずーっと私と一緒に歩んできていたんだ・・・。と思い、感動してしまいました。

胎内記憶をこんなに鮮明に話してくれるなんて夢にも思っていませんでしたが、私の一生の宝物です。
息子のことがより一層いとおしく思えるようになりました。

I君、ママを見つけてくれて、産まれてきてくれてありがとうね!

2013.02.06 投稿者:timbits

3歳になった娘に度々、胎内記憶について尋ねてみていたものの、残念ながら記憶は残ってはいないようでした。

2ヶ月前に弟が誕生し、これまでの自分の地位を奪われたように感じたのか、弟が生まれてから2週間ほどは赤ちゃんがえりとワガママとで扱いが大変でした。


そんな娘に、彼女が生まれた時のことを話して聞かせるととても興味を持って嬉しそうに聞いてくれたのです。
ああ、この子に胎内記憶は残ってなかったけど、私には残ってる彼女がお腹の中にいた時の記憶や気持ちを伝えてあげるってことも大事なのかなって。


クリスマスに、そんな自分の記憶を絵本にして娘にプレゼントしました。


今、彼女は弟をとても可愛がってくれる優しいお姉さんに成長中です(^^)

2012.12.31 投稿者:Makiru

1才7カ月の長男と、3カ月の長女がいます。
長女を妊娠する前、子供は空から親を選ぶ話を知り、主人とその話をよくしていました。
二人目は欲しいけれど、長男はまだ当時7カ月でまだ二人目を考えられない状態でした。
ある日、主人と長男を見て「この子も空から私たちを選んだのかな?選んだポイントはなんだったのかな?」と話をしているとき、何故か急に、もし二人目の子が私たちを見ていて来たがってたらどうしよう!と思いました。二人目はまだいらないと友人や親、主人にもよく話していたので二人目の子が空から聞いていたら、来たがってるのに来れなくなってしまうし、かわいそうだな。と思い、主人に言いました。二人目はまだいらない。と言うのは止めようと....
なんと!その半月後に二人目を妊娠してる事がわかりました!それが長女です。やっぱり聞こえてたんですね(*^^*)

2012.12.24 投稿者:はなぼん

海外出版の「胎内の記憶」本を読んでいたので、興味があり一人息子(1989年生れ)が3歳の誕生日をむかえた頃に何気なく聞いてみました。

一人静かに遊んでいた時を見計らって、さりげなく決行しました。

「生まれる前は何処にいたの?」

ママのお腹の中だよ、狭かったよ(確かに私は痩せているので、お腹も目立ちませんでした)
「何をしていたの?」水の中で泳いでたの(そうか羊水で赤ちゃんは泳ぐんだ)
「生まれた時誰がいたの?」パパだよ「おじいちゃんとおばあちゃんは?」いなかったよ〜(確かに、、、)etc.

興味本位で聞いたせいか、感動というよりは何か聞いてはいけないことを聞いたような〜不思議な感覚を覚えました。しかし半年後に同じことを聞いたら「知らない」とすっかり胎内記憶はなくなったようで、ほっとしました。

息子は現在22才、赤ちゃんから大人まで育つ過程を初めて体験。あらためて私の両親に感謝、そして人生を豊かにしてくれた息子にありがとう。

2012.08.22 投稿者:life

2012年の1月に女児を出産いたしました。
何年か前に、ヒプノセラピーという胎内記憶を呼び起こす催眠術のセラピーを受けました。

人によっては前世までさかのぼれるとか?
ちょっと怪しいですよね。
でもこれから出産される方がいたら、ぜひ、心にとどめておいてほしい記憶だったので投稿しました。

思い出せた胎内記憶があるのです。
それは、おなかの中にいるときのこと・・・お母さんが仕事でなにかイライラしていました。

お腹の中にいる私は、身をよじるほどのイライラが私に向かってくるようで、子宮の中でもがいていました。母が仕事でイライラしているのを、小さな胎児の私が、自分の存在があるからイライラしているの?と自分を責めていたのです。

苦しくて苦しくて、心臓がドキドキして、それはもう、子宮の中から逃げ出したくなるくらいでした。

セラピストの方が、赤ちゃんがどう思っているか?と質問した時、赤ちゃんの記憶に戻っていた私は、「母を大丈夫だといって抱きしめたい」と言いました。
お腹の中の子供が、妊婦の小さなイライラで、苦しい思いをしていること、でも、お母さんを救いたいと思って我慢していること。

それはどんなイライラでも赤ちゃんは自分のことだと思ってしまいます。
だから、私は妊娠中は何かイライラした時は、胎児に向かって「あなたのせいじゃないよ。イライラしてごめんね」といつも状況を説明していました。そして大きく深呼吸をしていっぱい酸素を送るように心掛けていました。

生まれてきた子は今7か月。
どこに行ってもにこにこして、誰にでも笑いかけます。
チャーミングな子が生まれてきました。私の子ではないような朗らかさです。

これから妊娠する方、出産される方、赤ちゃんは全部聞いています。
明るく、元気なお母さんのほうが絶対赤ちゃんは好きです。

不安があっても、悩みがあっても、イライラしてもいいですが、赤ちゃんには「あなたのせいじゃないよ」って必ず教えてあげて下さい。
びっくりするくらい、笑顔な天使に会えますよ。

2012.08.21 投稿者:マリーゴールド

三歳半の娘の話しです。

最近寝たくない!と夜泣きし、毎晩夜のお散歩をしてます。
眠いし、日中は仕事もしているので、正直歩き回るのも辛いですし。

家の前で最近良く座ってお話しするんです。

何でママの所に来てくれたの?
私の場合私から聞いてしまった訳ですが、、、。

こんな事を教えてくれました。

「探してたんだよ?どの髪型のママがいいかなー?
かわいいかなぁー?ってさ。どのお顔のママがかわいいかなぁー?って。
それだけだよ!それだけ!」

笑。 まぁ、、、、。そんな理由もあるのでしょうかね、苦笑。

お腹の中の記憶としては、

甘かった。イチゴの味がした。ピンクくて黄色かった。
ずっとお腹でオッパイのんでたの。

なんて時々話してくれます。

2012.07.15 投稿者:hachi

ある夜TVで出生前記憶、胎内記憶のことを観ました。

そのお子さんはママの顔を見ていた…とおっしゃってたので、次の日娘に(当時2歳、本人はそのTV放送は観ていません。)「ねえOOちゃん(子供の名前)っておなかの中でお母さんの顔見えてたの?」って聞いたみました。


答えは…想像以上のビックリするものでした。


「見えないよ。だってこうやって(と、胎児のように丸くなり)入ってたもん。」
びっくりして他に何かおぼえてる?と聞くと「うん。アウアウって(と、口をパクパクさせて)してなんかおいしいもの飲んでた。」(羊水のことか?)

「で、OOちゃんシッポがあったんだよ。おなかからビューンッて(とおへそから何かが出ているように手を動かして)…あれっ!?シッポが無くなってる!!どこ行っちゃったんだろ!」

と、へその緒(?)が無くなったのをあらためて気づいたようでした。

生まれる前はなんだか高い所にいた。お山より高いとこ。と言ったいました。
出生の時は、「もうちょっと入ってたかったのに。」だそうです。緊急手術での出産でした。

2歳にしてはちゃんとしゃべりすぎだと思われるかもしれませんが、とにかく言葉だけは早い子で、保育園の見学などに連れて行っても保育士の方に「何か早期教育でもされているのですか?」などと聞かれるくらいでした。過去の栄光です。

今は中学生、授業に必死について行ってる感じです。とほほ

2012.07.14 投稿者:みっちゃん

30歳、現在妊娠6週目のニコ☆と申します。
自身の体験のお話を書きたいと思います。

1)6歳年長Mちゃんの話
以前、私は保育士をやっていました。
当時は年長組の副担任。
とっても私を気に入ってくれて、いつも甘えてくる女の子Mちゃんが急に話しだしたことです。
「あのねーママのお腹の中ってまーるくって、あったかいんだよ」
「あとね、赤くって気持ちいいの。知ってた?」
「ふふ。それだけ。じゃーねー!」
彼女は私に一方的話すとすーっと帰ってしまいました。
当時の私は、子どもがいるわけでもなく、胎内記憶についても知りませんでした。
ただただきょとんとしてしまったことを思い出します。

2)自分自身の記憶
母は私の命がお腹に宿る前、1人流産していたそうです。
とても悲しくて、辛くて、両親揃って泣いたそうです。
妊娠初期のことで、まだ性別がわかる前だったそうです。
しかし、私は確信を持ってその子は「男」だったと、幼い頃から知っていました。
体内記憶なのかその前なのか、30歳を超えた自分には思い出せないのですが、確実に「彼」は私とともに過ごしてきたのです。
いつもそばにいて、ニコニコと勇気づけてくれたのです。
言葉を交わすことも、触れ合うこともなかったのですが、彼はいつもそこにいました。
第一子を出産した頃からは気配を感じなくなりました。
ですが、彼のおかげで私はとても気持ちよく人生を過ごしてこられたと思っています。
ありがとう!


2012.07.09 投稿者:ニコ☆

息子が4歳の頃お腹の中にいる時の事を聞いてみました。
「お腹の中では目をつぶっていたんだよ。お腹の中ヒモをたぐっていったら、さかさまになったの。」
自然に元に戻りましたが、確かに息子は一度逆子になりました。

出産時の事も
「グルグル回りながら出てきたんだよ。その時マズイお水も飲んだの。」
こちらも確かに 息子は羊水を飲んでしまい、しばらく泣きませんでした。

お腹の中にいた時の記憶って本当にのこっているのですね。

2012.06.29 投稿者:よしこよしこ

はじめまして。映画「うまれる」ずーっと見たいと思っているのですが、海外在住なので見られなくてとても残念です。池川先生の本も楽しく読ませて頂きました。

私は4才の娘を持つシングルマザーです。

両親は日本にいるので出産直後から本当に一人きりで育てて来ましたが二人楽しく親子共に成長しています。娘は二カ国語のせいか三歳までなかなか話し始めなかったのですが、小さな時から色々と楽しい思いでを教えてくれます。

まだおしゃべりもしなかった2才前に、「こんなに可愛らしい子一体どこから来たのかな~?」と聞くと窓の所まで走って空を指差し、「空から?なにしにきたの?」と又聞くとぎゅーっと抱きしめでキスしてくれました。

三才になった頃はお腹から出て来た時のこと、滑り落ちて頭が痛くてないたけど、ママのオッパイ飲んで泣き止んだこと。

お腹のなかでママの仕事場のおしゃべりを聞いていた事など、色々教えてくれました。

先月4歳になって最近はあまり教えてくれなくなったのですが、先週どうしてママを選んだのか教えてくれました。


「パパのお腹にはもう居たくなかったからママのお腹に来たんだけど、産まれた理由は私がいればパパがもう悲しくないから‼」


だそうです( ;´Д`)えーちょっとママは残念…と思っちゃったんですけど、

この国は離婚しても親子は親子。

親権は平等確かに毎週パパにあってるからその理由もありかな?ってわらっちゃいました。最近はお絵かきが大好きなのでお空の赤ちゃんの絵とか沢山見せてくれます。

2012.06.26 投稿者:小林奈津子

2人目不妊で、やっと授かった子がもうすぐ妊娠5ヶ月になります。

妊娠3ヶ月くらいの時に、長女の保育園にお迎えに行った時、先生から

「おなかの子は、こころちゃんって言うんですか?」
「女の子なんですね~」

と。
娘には、まだ、きょうだいができたとはっきり言っていない時でした。

保育園の帰り道で詳しく話を聞くと
「こころちゃんと遊んだんだよ。女の子だった。一緒にキャンプしようねって話していたの」
と!


びっくりしました。
まだ、性別はわかりませんがたぶん女の子だと思います。

それから、しばらくして、
「お母さんのお腹の中で何していたの?」
と聞いてみました。

「ボール蹴ったり、ブロックしたりして遊んでいた」
「頭ぎゅーってなってとっても痛かった。怖かった」
「ず~っと一人ぼっちで寂しかったから、こころちゃん来たんだよ」

娘の妊娠時、結婚してすぐの妊娠&同居&ハードワークということもあり精神的にとても辛かったんです。
たぶん、離婚するんではないかと思っていました。

妊娠中、あまり話しかけることもなく、エコーを見ても何も思わず。
母性の母の字もありませんでした。
正直、中絶できる期間はいつまでかを調べていたんです。

娘にお腹の記憶を聞くと

「寂しかった、ずっと1人だった」

と何度も言うので、本当に申し訳なかったなと思います。

3日かかりの難産だったので、あまり思い出すのが嫌な様子です。

「怖かった、痛かった。まだ寝てたのに」

と。
破水して、3日目だったので、陣痛促進剤で無理やり出産したので。

お腹に来る前の話を聞くと、

「お空を飛んで見ていた。パパとお母さんが、かわいかったからシューって入ったんだよ」
「こころちゃんとケンカしたの。」
「先にボールとろうとしたから。」

たぶん、先に生まれてきたかったんだって言っているんでしょうね。

だんだん、忘れていくのかな。

この時期に来てくれたきょうだいも、お空で一緒だったんですね。
早く会いたいな。

2012.06.20 投稿者:かおたん

初めまして。
現在 六歳になる息子が、四歳の時に教えてくれた出産時の記憶についてです。

出産の際、医師に思いっきりお腹を押されて、息子は出生したのですが。。。
息子いわく、初めてお腹の外に出るから、ドキドキ、ワクワク、そーっと少しずつ出ようと
していて、頭が出たら喉が締め付けられて苦しくなったそう、そしたらドッシーンと押し出されて、おでこをぶつけて、イテテと思ったそうです。
(布団の上で再現してくれました)

後、前世の記憶についても話してくれました。
百貨店のお弁当箱売り場で(これも四歳位) まげわっぱの木のお弁当箱を見て、
「なつかしいな~これ昔使っていたんだ」から、はじまり、昔は女の子だった事、
兄弟の事(今は一人っ子)、飼っていた犬、自分の名前、愛称、お父さん、お母さんは
今と違うけれど、とても優しかった事、服装、住んでいた家の様子など、逐一話してくれました。
あんまり聞いて、悲しい事も思い出したら可哀そうと思いそれ以上細かくはあえて聞きませんでした。

今はもう忘れてしまっています。

息子を出産して入院中、なぜか一日だけ個室が開いているからと、使わせてくれた際、不思議な体験もしました。
夜中金縛りにあい、三歳位の子供たちが十人位、病室にワーッと走って入って来て、私の布団に遊んで~と飛び乗りました。
彼、彼女らが私に伝えてきたのは、いつも産まれてこられて抱っこされて、おっぱいを飲ませてもらえる赤ちゃん達をうらやましく見ているんだと言ってました。
今は自分でその事を伝える為に三歳位の姿になって、ここに来たけれど、いつもは新生児病棟の天井にいるんだと伝えてきました。

私も寝不足でフラフラでしたし、正直怖いというより切なかったです。

2012.05.21 投稿者:kotatrane

はじめまして。
息子(3歳)の誕生記憶、娘(7歳)のママのおなかに来る前の記憶を聞いたので投稿させてください。


息子が2歳の時にお話を始めたので『おなかの中はどうだった?』
と聞いたのですが『ちらない』で済まされてしまいました
数日後


生まれたときね、
楽しかったよ
ぶおぉぉって、早くグルングルンでてきたよ

鼻の穴からでてきたの
お腹で鼻くそ食べてたんだ
でたら朝だった

最近は
ママとパパが喧嘩してるから、ママを守るためにきたよ


と、次々と話してくれました。

でてくる様子は、布団でぐるぐる回り、教えてないのに
頭からちゃんと出てきた様子を再現してくれました。
誕生記憶がとっても楽しかったようです。

そして、陣痛から出産まで2時間半。
確かに早かったです。


娘が『まま、1年生のときの忘れられない夢があるの』と
先日突然話し出しました。
こんなに時系列でスラスラ話す娘は初めてです。


赤ちゃんは空でおうちにいく順番待ちをしてるんだよ。
雲の上で神様のおじいさんがいて地図を広げるの。
地図で光る家を見つけて行くんだけど、私の家がみつからないんだ。

おじいさんの目が悪くて地図にちかずくとちーさく光ってるのが見つかって家に行けたんだよ。
天使が一緒に家の窓まで連れてきてくれて、窓からは一人でしかいけないの。

天使のバッグに入っていくんだよ、その時はまだ私はタダの丸っていうか、種だね。
お風呂に入ってるママを見つけてお臍に入るんだ。

お風呂に入ってる時がチャンスなんだよ。
入ったら、離れないくらいピッタリくっつくの。
それでママの所にきたんだ。

楽しみとか、不安とか沢山ドキドキしたよ。
家にいく順番もあって、私は…指を降り始め…10番だったよ。一番最後で。

空のお友達とお別れは悲しくないんだよ。
道に迷わないけど、戻ってくる子もいるんだよ。
お世話してくれない家にいった子はまた空に戻る。

行ってから3ヶ月なら、、3滴、神様が薬をかけて
1ヶ月なら1滴かけるとまた雲の上にこれんだけど、
戻ってくる子はみんな、汚ないお洋服で戻ってきてかわいそう。

でも、薬をかけてもらうと、お風呂に入れて、きれいになれて新しい家にまたいけるの。
世話をしない家は神様が地図から消すの。で、神様が新しい家になおすんだよ
 


と、これを聞いたとき、本当に夢なんだろうか?と
覚えてるんじゃないかと思いました。

こんな細かく話してくれた娘
私は忘れることができないと思います。
感謝☆

2012.04.24 投稿者:とも

つい先ほど娘が話してくれました。

池川昭先生の、「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」と出会ってから、
娘が胎内記憶の話をしてくれるのを楽しみにしていました。

これまで何度となく、
「○○ちゃんは、かーかのお腹にいたのよー。覚えてる?」
「知ってる?」
と聞くと、
「うん。しってる。」
「おぼえてる。」
とオウム返しのような感じでした。

今日は、娘がお腹に居た時のエコーの写真や、私の妊婦姿を一緒にみながら、
「○○ちゃんは、かーかのお腹にいたのよー。覚えてる?」
と聞いてみました。

すると、臨月のわたしのお腹を指さして、
手はグー。自分の腰に構えるようにして、おしりをクネクネさせてこう言いました。

「クネクネ~してて、エヘヘ~笑ってた。」

びっくりして、「クネクネしてたの?」
と聞き返すと、また同じように話してくれました。

今まで、娘には胎動の話や、ヒントになるようなことは何も話さないよう
我慢していたんです。

実は、娘がお腹に居た時は、胎動が激しくて、グニ~グニ~と良く動いていたんですよ。
臨月になるほど激しくて。
本当に驚きました。

産まれた時の記憶はないようで、でも、
「出て来た時覚えてる?」
と聞くと、
「大きかった。」
その一言だけ行って、その後は自分のアルバムに興味が行って話は終わってしまいました。

娘が覚えていたと信じたいです。

(娘:2歳5ヵ月)

2011.04.22 投稿者:かーか

娘は4才で、添い寝をしているときにポツリと話してくれました。


虹から天使と一緒に下を見ていると、空を見上げているママと目が合って、ママがすごくさみしそうだったから、あんまりかわいそうでママのお腹に入ることにしたの。
目が合ったのママ気づいた?ママには見えなかったかな?私は見てたんだよ。
雪が降っていたんだよ。


生まれてくる前にこの世界のことを天使にいろいろ教えてもらってから来たから、赤ちゃんでも実はいろんなことを知ってたんだよ。「これは金魚だよ」とかね。


誕生日もママのお腹に入る時に自分で決めたの。
でも自分で決めた日より早く出たくなっちゃって天使に「まだだめだよ」って怒られたの。


産まれたばかりの頃、私の口ちょっと開いてたでしょ?あれは天使とお話してたの。
一度ママがおっぱいじゃなくてミルクを飲ませてくれたでしょ?あれは実は飲んでないんだよ。
「このママはおっぱいが出るからミルクは飲んじゃダメ」って天使に言われたから飲まなかったの。
他の赤ちゃんはそんなこと言われなかったんだけど、私だけがそういうふうに言われてどうしてかなーって思ったよ。

などなど…


実際私達夫婦は、結婚後3年くらいしても赤ちゃんができず、毎日寂しく思っていました。
妊娠に気付いた時は1月。確かに雪の降る季節です(北海道なので^^)
娘は母乳のみで育ちましたが、入院中に「ミルクの飲ませ方」を助産師さんに教えてもらい、1度だけミルクを飲ませました。このミルクを飲まなかったかどうか私は覚えていないのですが…


娘の空想なのでしょうか?

もし空想だとしても…
妊娠したときの喜びや出産して娘を抱いた時の感動など、忙しい日々の中でついつい忘れていたことを想いださせてくれて、とっても温かな気持ちになりました。
育児にくじけそうになったときには、この事を思い出せば励みになるなあ…なんて思っています^^


2011.01.11 投稿者:あののママ

今回、息子が急に生まれる前のことを話し始めたので、こちらに投稿させていただきます。

今までは「ママのところに来る前はどこにいたの?」と聞くと「うん?みかん!みかんは甘くっておいしいよね~」と、どうしようもない答えが返ってきていて、何度かチャレンジしましたが全くヒットすることなく、諦めていました。


2010年12月31日の大晦日。
ロッテリアにて、ふと思って同じことを聞いてみました。

すると

「僕、神様のところにいたんだよ。」

「神様は神明宮(地元の神社)で、女の人が神様だった。」

「ママが優しそうでいいな~って思ったから来たんだよ。」

「神様のところでパパとママを見てたんだ。楽しそうにお話してた。」

“神様から〔あそこのおうちに行きなさい〕って言われるの?”と聞くと、

「ううん、僕が行きたかったから来たんだ。」

「鈴(妹)もいたんだけど、すごい後ろの方にいてしゃべれなかったから、僕が先に来たんだ。」

“りゅうはズルっこして、順番早めたでしょ?”と聞くと「うん!」と言ってました。

今までとは全く違う反応にびっくり!です。途中から携帯で録音をしたほどです。
誰かに言いたい~って思ってメールを送らせていただきます。

2011.01.02 投稿者:加藤麻樹子

娘が4歳頃、娘のお友達のママがふたり目を妊娠したとのことで、
「○○ちゃんのママのお腹の中には赤ちゃんがいるんだって!」
と娘に言ったら、「ふーん、赤ちゃんが○○ちゃんママを選んだんだね」
って突然言われて「???」この子は何を言ってるんだろう?
と理解が出来ませんでした。

「赤ちゃんがママを選ぶの?
じゃぁ、あこちゃん(娘)もママのことを選んだの?」
って聞いたら、

そうだよ。
あのね、あこちゃんはずっと順番を待ってたんだよ。
そしてやっと順番が来て、雲の上から神様と一緒に選んだの。
そしてママを見つけて、神様に
「あのママのお腹の中に入れてください!早く早く!」
って言ったら、神様に
「はいはい、分かったからまぁまぁ落ち着いて」って怒られちゃったんだよ。

今でもかなり落ち着きが無い娘ですが、お腹の中に入る前から落ち着きが無かったなんて(笑)

そして先日、6年半ぶりにふたり目を妊娠しました。
現在6歳の娘にはまだ言ってなかったのに
「ママのお腹に赤ちゃんが来たでしょ!もう知ってるよ」
と突然言われてマジでびっくりしました。

2010.12.15 投稿者:あこママ

3歳〜4歳頃だったでしょうか?
息子が生まれる前のこと、それも息子がお腹にすら居なかった頃の3人での家族旅行のことを、アルバムを見ながらその時の夫婦の「会話」まで思い出すように話しだしたことがあります。

なんで知ってるの?と驚き、鳥肌が立ちました。

一緒に旅行に行った娘ですら当時1歳にもなっていませんでしたので、逆に娘の方が覚えていませんでした。
生まれたい魂は、あの世とこの世を行ったり来たりしては、時々自分が親として選んだ人の横に寄り添っていると、後になって聞きました。

彼は魂でしたが、一緒に家族旅行をしていたのだそうです。

「子どもは親を選んで生まれてくる」

それは本当のことだったんだな…と、思わずにはいられませんでした。

こんな母を選んでしまったこと、後悔するなよ!君たち!
そして、後悔させないような生き方をしなくては!と思っています。

2010.11.29 投稿者:クローバー・リーフ

2歳半になる娘がいます
私は娘を出産するまでに3回の流産を繰り返し、「不育症」と言う診断をされました。

娘がよくおしゃべりをするようになったので ママのお腹の中にいるときのお話を聞いてみました。
すると


「3人のお友達とバシャバシャ泳いでいたよ!ママのお腹の中とても楽しかった♪」


と嬉しそうに話してくれました。
娘には流産したことも話しておりません。

たまたまだったのかもしれませんが、私は彼女の記憶を信じてあげたいと思います。

2010.11.21 投稿者:まぁ

5歳になる長男の胎内記憶です。
 3歳~話してくれるようになりました。

 
 その1(3歳半くらい)

  一緒に出産シーンをTVでみている時です。

  「ママも〇〇生む時大変だったんだよ~」

  「ぼくも大変だったよ。だってココ(頭をおさえて)がすごく痛かったんだよ。
    みんなが”頑張れ!頑張れ!”ってうるさかった。」

   私の出産はとても難産でした。微弱陣痛になり、なかなか頭が降りてこなくて、
   頭が見え隠れしてかたも相当な時間がかかりました。

   助産師さんや主人などみんなが「頑張れっ」て必至だったかも(^^)
 
   この時の記憶が残っているんですね。 

   子どものほうが、冷静だったのかも。。


  その2(5歳の頃)

   
   長谷川 義史さんの 「おへそのあな」の絵本を読んだ時です。


   「ぼくもおなかの中から見えてたよ。パパの口が見えた。
    ”あ~あ う~う”何かいってた。最初は悪者かと思って
    びっくりしたんだ。」

   主人が妊婦の私のおなかに口を近づけて、いろいろ話かけていました。
   その時の様子が見えていたんですね。

   男の人の声は低いから、聞きなれたママの声と違って、怖かったんですね


   あと、おなかから見て・聞いていたことでもう一つ


  「ママのお料理の音がうるさかった」

  たぶん食器を洗う音がうるさかったんですね。

  生後しばらくは食器の音に敏感でした。


  実は私は助産師をしているのですが、ほかのお母さんからも
  多くの胎内記憶の話を聞いており、いつも感動しております。

  赤ちゃんって言葉を発することができないだけで、いろんな会話を
  したいんだなって思います。

  赤ちゃんってすべてわかっているんですよね。。。

2010.10.23 投稿者:kaeru

妊娠中、オルゴールのCDを車の中でよく聴いてました。
その中でも、好きだったのが トトロ。何度もリピートして聴いてました。

無事、出産。元気な女の子が生まれました。
今、2歳8カ月で、下には 1歳2カ月の妹がいます。

先日、 PCから トトロのピアノバージョンを かけていた時のことです。

長女が いきなり、 「ママのお腹の中からトトロ聴きよったんよ。」

          「ママが早く出ておいで~ってね」


私はビックリし、 「ママのお腹で何してた?」 と聞くと
長女        「ご飯食べてた。野菜、ご飯、納豆、ピーマン、ニンジン、なすび・・・食べた」と

ただただ、驚きました。


次の日、 長女 「ママのお腹知っとる!!!」と 急に言いだし
絵を描き始めました。

私は 夕ご飯の準備をしていたので、 いつものように自由に絵を描かせていました。

終わって ノートをみると、いつも お顔を描いてるのに、なんだか違う!!!

私は   「これ 何?」と 聞くと
長女   「ママの お腹の中!!!!赤かった!!!赤かった!!!」と何度もいい、

もう 1ページ 描いていたので 「これ 何?」と聞くと          
長女   「穴が開いて 黄色が見えた」

     「 ○○ちゃん、お空飛んできたんよ」 
     「指で トントンされた」   と言うんです!!!!!!!!!!!


絵を見ると、 お腹のような。 そして、 出産の時の絵に見えます。
へその緒にも見え、 そして 黄色の絵は 赤も少し交じって、 光と血なのか?????


本当に 鳥肌が立ちました。 聞いてもいない、話したこともないことを言い出し、
衝撃的で、 胎内記憶の事を聞き、、、、このHPに辿りつきました。

2010.10.18 投稿者:ラブ

現在3歳の息子。
体調が悪く、母の機嫌が悪かったある日の夕方のひとこま。

「あのね、〇〇くん(長男)は、ママに会うために
ボーンって生まれてきたんだよ。」
「●●くん(次男)も、ママに会うために
ボーンって生まれてきたんだよ。」


「ママのところに生まれてきてくれてありがとう。
でも、どうしてママを選んでくれたの?」と、私。

「ママのことが大好きだからだよ」
「ママにいろんな色を見せてあげたかったんだよ。」


「ママのおなかの中にいたとき、覚えてる?」と、私。
「うん、覚えてるよ。嬉しかったの」


長男が高熱をだして、保育園をお休みした今日のできごと。
「ママ、ママは死んじゃうの?」と、長男。
「ママはまだ死なないから、大丈夫だよ」と私。

「〇〇くんは、まだ死なないよね?」と私。
「うん、僕はまだ死なないよ。」
「そう、よかった~」と私。

「だって、死んじゃったら、
パパとママとお出かけできないし、
保育園にも児童館にも行けないし、
ごはんも食べられないし、
〇〇くん(次男)とも遊べなくなっちゃうんだよ。」
「パパとママのところに生まれてきたのに、
できなくなっちゃうんだよ、ママ」

「もし〇〇くん(長男)が死んでも大丈夫だよ。ママ。
すぐにパパとママのもとに、
●●くん(次男)と生まれてくるからね。」
「次に生まれるときも、パパとママのところに生まれてくるからね。」

2010.10.12 投稿者:hana

現在7歳の長男と3歳の次男がいますが、
二人とも2歳を過ぎておしゃべりができるようになった頃に
生まれる前の話をしてくれました。

長男は生まれる前に住んでいた部屋の間取りを覚えていたようで、
「こんな部屋のこの場所で、お母さんはこんな踊りを踊ってたね。」
とやってみせてくれました。
それは妊娠中に勧められて毎日踊っていた体操?なのですが、
私自身も産後はすっかり忘れていたので、本当に驚きました。
また、夫がおなかに話しかける声が聞こえていたことも教えてくれました。

次男も、ある日たまたま生まれる前の話になったときに、突然
「空にいてたよ。」「お母さん達のこと見てて、楽しそうやったから
***(次男の名前)も行きたくなってん。」と話してくれました。

普段の生活の中でたまに思い出しては励まされています。

2010.10.11 投稿者:たんぽぽ

現在9歳になる長女の3歳頃の胎内記憶です。
出産時の記憶です。


長女は難産の末、胎便吸引症候群(胎便を飲む)で呼吸が苦しく仮死状態で生まれてきました。
胎内記憶があるとよく聞く3歳頃に長女に聞いてみました。
「お母さんのお腹にいてた時の事覚えてる?」と。
そうしたら「覚えてるで。早く出たいよ~早く出たいよ~って思っててん。う〇ちも食べたくなかってん」と。
3歳の長女には出産時や病気の事は話してませんから、知らなかったのに・・・・と鳥肌がたちました。
やっぱり早く出たかったんだなぁ・・・う〇ちも食べたくなかったよなぁと。。。


長女は脳性マヒで右手右足に不自由があります。
学校では頑張っても出来ない事が増えてきていますが、頑張りやさんの長女に見習って、
私たちも一緒に頑張っていこうと思っています。


今は長女の胎内記憶はなく、2歳半下の次女にも3歳頃に聞いてみましたが、
次女は全く覚えていませんでした。

2010.09.28 投稿者:かぁちゃん

3才になった三男。

妊娠中にエコーをとってもらうと いつも同じポーズで寝ている子でした。

右手を万歳みたいに挙げて、左手は鼻水を拭くような感じで顔の中央に。

そうしたら、なんと産まれてからも そのポーズで寝ているではありませんか。

なんだか不思議でしたね。

この子が、お腹にいたんだな〜なんて変に感心してしまいました。

ちなみに、今も そのスタイルで寝ている事があります。


そんな三男に「ねえ、ママのお腹の中にいた時っておぼえてる?」と聞いてみました。

すると、膝を抱えて小さく丸まって「こうしてた」と。

で、ちゃんと足はママの顔の方で頭は足の方を向いていたそうです。

そうそう、その通り。

びっくり。

でも、だんだん忘れちゃうのかと思うと淋しい・・・

2010.09.24 投稿者:三兄弟ママ

上のおにいちゃんは下の子が生まれたとき、小学1年生でした。7歳離れています。
妹が生まれたのをきっかけに、この約5年色んなお話をしてくれました。


『神様がね、好きなママをえらびなさい。ってゆうの。ママ電車待ってたね。みえたよ。
ぼくママに決めたんだ。神様が『何月に生まれたいですか?』って聞くんだよ。何日かってゆーのは、
神様が決めるから、僕は決められなかったの。その時がきたら、神様が行って来なさい。ってゆうの。
そしたら、天使と下に降りるんだよ。あぁぁもう一回、ママに入るときの・・アレやりたいな。ママの背中から入んの。背中の羽根をとってね、スーーってママの背中のほうから入るんだよ。』など。

何回にも渡ってお話してくれます。でも、こちらからアレコレ聞くと、
『知らない。覚えてない。』と、言います。

確信したのが
私が、雲の上で妹がわかったの?と、上の子に聞くと
『うん。だって、ぼくがママの所においで!っていったんだもん。で、ママのトコに行くとき、妹に『先に行くね。またね。』っていったの。』と話してくれました。その何ヵ月後かに、何気に

下の子に『お空の上でも、お兄ちゃんにあった?』と、聞くと
『うん。あのね・・おにいちゃんね、『さきいくね!またね!バイバイ!』って、居なくなったんだよ!!』と・・・すぐ、上の子が『ね、いったでしょ?!』と・・・

少し鳥肌ものでした。兄妹で共通の雲の上での記憶があるようです。
私も思い出したいなぁぁ。

2010.09.06 投稿者:ひなた

娘が2歳を過ぎた頃、ママのお腹の中はどうだった?と聞くと、娘は「ぎゅ~ってされて、つるんってででたの」正直びっくりしました。確かにお産は安産でしたし、ホントにつるんってでてきたので。覚えてるもんなんですね。

2010.08.20 投稿者:きき

3歳半になる息子が、寝る前に突然話し始めました。

「ママ大好き~」と言ってそのあと、「○○くん(自分の名前)ね、ママのお腹を取っちゃったんだよ」と。

面白い話が聞けそうで、メモを取りながら聞いていました。

以下、本人の話した言葉です。

【お腹に入る前】
・○○くんね、ママに会いたかったんだ~
・○○くんがお日様に、ママのお腹取ってくださいって言ったんだ

・きらりん(星?)と遊んでた
・観覧車がいっぱいあって、きらりんのお友達乗ってた
・ちっちゃい○○ちゃん(妹の名前)いた
・公園さんもいた、電話さんもいた、ペンギンさんもいた、お友達もいた

・ちっちゃい頃はきらりんになってて、おばけにもなってた
・足がなくて、ちょっとへっこんで小さくなってた

【お腹の中】
・ママのお腹は黄色かった
・お腹をあけて遊んでたけど、ママ痛かった?
・お腹から見たら、誰かいたよ
・パトカーの音、救急車の音が聞こえたよ
・食べ物がいっぱいあった
・冷蔵庫の中には(?)ジュースしか入っていない
・ジュースはいっぱいあるんだよ(羊水??)
・お菓子は何にもない

【産まれる時】
・開けてくださいって言ったら、ダンダンの人(??)が開けてくれた
・踊りながら(こうやって)出てきた
・出てくるときはめっちゃ小さかった 今はこんなに大きい
・小さいお布団で、一人で寝てた
・茶色い色の箱に入ってた
・お友達はまだ上にいて、服着てた


ちなみに2歳10ヶ月の時には、こんな風に言っていました。

・お腹の中で寝てたよ
・起きたよ
・歩いて行ったよ
・登って行ったよ
・オレンジな感じ
・黒い感じ
・硬かった(出てくる時??)


やっぱり胎内記憶ってあるんだ~、ママを選んできたって本当だったんだ~と、ますます息子がいとおしくなりました。

2010.08.05 投稿者:mari

4歳の長女が夕飯の時にいきなり

「ママのお腹の中ってござみたいなのがあったよ!ときどき冷たかったよ!それからあの電気(電球)みたいなのがあったよ!
それから、ママのおしっこが鼻に入ってくさかった!」
「ママの声は聞こえたけど、パパの声はよく聞こえなかった」

ママのお腹の前はどこに居たの?と聞くと、
「お家だよ!このお家。違うママもいたけど、やっぱりママがいいな~と思ってママのお腹に行ったんだよ!」

とのこと。

胎内記憶、不思議ですね!

2010.07.16 投稿者:miyuchika

胎内に入る前~産道を通る時?の記憶です。
わたしは夕日につつまれたような村で穏やかにくらしていました。
そこはこどもだちだけが暮らす村です。
順番が来ると 神様 が迎えにきます。
わたしもその村の友達を見送ってきました。
ある時 わたしの順番がくると 村の市場のようなところにある大きなバケツの前でみんなとお別れをします。
そのバケツに入ると 真っ暗でとてもきゅうくつで息も出来ません。
ずーっと落ちていくあいだ こわいよーって思って耐えていると、光が見えてうまれる。
そういう夢を小さい頃よくみていました。

バケツの上にはざるでふたがしてあるんです。
よく、こどもがざるをかぶって遊ぶと次の子が生まれる合図っていいますよね?
不思議です!

2010.06.25 投稿者:mayumi

2才の頃に、一度聞きましたが、応えてくれませんでしたが、4才半の時に、また聞いてみました

Q「ママのお腹の中で何してたの~?」
A「キックしてた!」

Q「ママのお腹どうだった?」
A「ん~~気持ち良かった!」

Q「お腹の中で、何考えてたの?」
A「抱っこにしようか、おんぶにしようか、肩車にしようか、どれにしようかな~って思ってた」

今度は、お空の話も、聞いてみたいです!

2010.06.07 投稿者:nonko*

娘は4才9ヶ月です。

「ママのお腹の中どうだった?」って聞くと、「気持ち良かった!」って、

「お腹の中で何してたの?」と聞くと、「キックしてた!」って~

「何、考えてたの?」と尋ねると
「抱っこか~ おんぶか~ 肩車か~どれにしようか考えてた!」って。。。。

そして自分の生れた時の
アルバムを見るのが大好きです!

「ママがんーーーーって頑張って産んだんだよ」って言うと、、、
「ウンチみたいに?」って(笑)「ま、確かに、うんちみたいにね(笑)」

私自身は、、、お腹から、出たくない!と思ってたなぁ~ってふと思いました

(生れた後の境遇が・・分かっていたからかな~・・母に虐待されたりしましたから)
でもそれも
自分の選んだ親で、自分の選んだ人生なんですもんね!!!

2010.05.08 投稿者:nonko*

6歳の息子がいるのですが、一年ほど前から私が「おなかの中にいたときのこと、覚えているの?」と寝る前に尋ねると、その内容を話してくれるようになりました。
「おなかの中は、赤くて狭く、こうやっておなかを押していたんだよ~(手でそとにおなかを押し出すジェスチャー)」などと答えてくれました。
しばらくは、そのような内容だけだったのですが、昨日お風呂に入っているときふと私が聞きたくなって、「ねえ、おなかの中に入る前はどこにいたの?」と聞きました。
すると「お空の雲の上。神様と一緒にいたよ」と言うのです。「お空の上は白くって、世界中の人がいる。神様がだっこしてくれる」「神様はサンタクロースみたいにひげがある」などというのです。私は絵本などで神様が出てくるような内容のものを読んだこともないし、神様の容姿や存在についてもしっかりと話したことはなかったので驚きました。
また、「じゃあどうしてママのところにきたの?」という問いには「うーん、わかんない」といっていました。
また私は「子供をたたいたりいじめたりするようなママが最近は多いのだけど(虐待する母親の意)どうして神様はそんな人に赤ちゃんをあげるの?死んだりするんだよ」と聞きました。すると、「神様はそういうママにはもっともっとかわいい赤ちゃんをあげるんだよ」と言うのです。どうして??と聞くととてもたどたどしく、うーん、えっとお、などといいながら「もっとかわいいといじめなくなるから」というようなことを言っていました。(きっとこの質問の答えを表現するのはむずかしいのでしょうね)
息子の拓海は、作り話をこのように長く話す子供ではまったくないので(私が知る限り)私はびっくりしました。また、悪いことをする人生を生きると死んだときに神様に怒られるそうです。
この話を聞いて、やはり神は存在するし何か使命をもって人間は生まれてくるのかもしれないと私は実感しています。そして命は本当にすばらしくきらきらと輝きをもっているものなのだ、と改めて感じました。今日も明日も、希望をもって明るく生きて生きたいと思わせてくれたエピソードでした。

2010.04.24 投稿者:ayaokabe

上の息子(4歳)が、3歳になったばかりのころです。

なにげなく、「○○はどこから来たの?」と尋ねてみました。
胎内記憶というものを息子が持っているのかどうか確かめたくて、これまで何度か似たようなことを尋ねたことはあったのですが、そのたびにまったくトンチンカンなことを言ったり、全然別の話をしだしたり・・・だったので、息子は覚えてないものだと思ってました。
なので、このときも同じような反応だろうとまったく期待せずにいたら、
「○○はねぇ、雲の上にいたんだよ。それでねぇ、すべり台からね、登って、階段からずーっと、降りてきたんだよ!」
と言ったのです。

これはもしや・・・よく耳にする「雲の上にいて降りてゆくお母さんを待つ赤ちゃんたち」の図!?
もしかして、こういうことには鈍感そうな息子も覚えているってこと!?
と、かなりドキドキしながら、でも話の腰を折らないように続きを聞いてみると、

私:「すべり台から降りたんじゃないの?」
息子:「違うの、階段から降りたんだよー。」
私:「どこに降りたの?」
息子:「下に、とんって降りたの。」
私:「それで、それからどこに行ったの?」
息子:「うーんとねぇ・・・どこに行ったのかなぁ・・・」
夫:「母ちゃんとこ?」
息子:「そう!母ちゃんのおなかに行ったの。」


だそうです。
途中夫が口を挟んでしまったので、誘導尋問のような話になってしまいましたが・・・。

さらにびっくりしたことに、息子がこう言いました。

息子:「それでねぇ、降りて、またすべり台登って、もう1回降りたんだー。階段で。」
私:「え?○○は2回降りてきたの?」
息子:「そう、2回降りたの。」

どうやら私のところに来たのは2回目みたいです。
1回来たんだけど、またすぐ戻っちゃったということらしいのです。

へぇぇ~・・・と、夫とふたり、いたく感心してしまいました。
というのも、実は息子を妊娠する前、一度「もしかして妊娠?」というときがあったのです。

そのあと、
「○○はね、ふたりなの。」
「もうひとりの○○は、あっちにいっちゃったの。」
と、よく分からない話をしていました。

これが本当の話なのか、正直よく分かりません。
でも、きっと息子が生まれてくる前に持っていた記憶だと信じたいです。
私のところに降りて来てくれたことも、1度戻ったけどもう1回来てくれたことも。


なんだか、不思議で感動したこの日の出来事でした。
今度は下の娘(1歳)がもう少し大きくなったら、また聞いてみたいです。

2010.04.17 投稿者:あい

現在4歳の息子。3歳すぎた頃にお腹の中にいる時のこと聞いてみました。

お腹の中で何してたの?

 「遊んでたの!(足を蹴るマネして)
     ボーンって蹴って遊んでたの!」

お腹の中はあったかかった?寒かった?

 「あったかかった」

お腹の中は何色?

 「黄色!!」

生まれるとき(吸引されたので)頭になんかつけられたよね?

 「あのね、かいじゅうが頭をがぶって噛んで、お顔ひっぱられたの!!(両手で顔をひっぱられるしぐさ)。ギューって」

父の声は聞こえた?
 「お~い。でてこい~って言ってた」

確かにすごくよく蹴る子であばら骨が毎日痛かったです…

一番驚いたのが吸引のこと。

吸引の話は初めてしたのに、本人から具体的に話をしたのでびっくり。

吸引器のことはわからないから本人はかいじゅうになったのだと思いますが。

夫も確かにでてこい~ってよく言っていました。

他にも色々なことが聞こえていたことを話してくれました。

「ほら、おっきいひもがあったでしょ?こんな感じに(長いひもが目の前にあるように表現)」と。

これはへその緒のことかな?って思ってもう一度「それはお腹の中のこと?」って聞くと、

「うん、おっきいひもがあったの。バコーン、バコーンって音が鳴ってた」と。


「電話の音」「電車の音と踏切のカーンカーン」 もよく聞こえたとか。
妊娠中は事務所で仕事をしていたのですが、電話受けをよくしていて、職場の真横が駅で踏切もありました。
ほんとうに仕事中聞こえる音って人の話し声以外はその音でした。

そんな息子もこんなことを話してくれたのは1カ月足らずで、後は教えてくれなくなりました。
しかし4歳5カ月になった昨日、胎児記憶より以前の記憶を話してくれました。

よく寝る時に話す機会があると、「あのね、父と母の結婚式見てたんだよ。一人で寂しかったの」と言うのです。
子どもの勝手な想像だと毎回思っていましたが、ある時から何度も言うのです。

そして昨夜は鮮明に話してくれました。(うちではパパ・ママではなく、父・母と呼ばせています)

「結婚式見てたの。入っていくといっぱいおばさんとかいて、みんな並んでて、父と母が歩いてた」
「母はお花持ってた」

どんな服着てた?って聞くと「白い服着てた」。

「狭かった。いっぱい人がいた。おばさんとこにいて、ポーンって飛んで父と母のとこ行ったの」

「こんな感じの建物(手でしぐさ)でここが白でここが茶色。床が白と茶色」

「結婚式が終わったら、父と母のおうちに帰って、母のお腹に入ったの!」と。


この日はとても具体的に話してくれました。
結婚式の認識はどこまでできているのかわかりませんが、具体的に人が集まってとか、二人で歩くとか教えたことや見せたこともありません。

写真やビデオも見せたこともありませんが、式場の具体的な色なども言ってびっくりしています。確かに式場は狭く、人がぎっしりになっていたのを覚えています。

妊娠したのは結婚して2カ月後でした。

胎児記憶はよくあるとは聞きます。パパとママのところに来る時の事を覚えている子もいるのもどこかで聞いたことありました。

夫は息子の話は信じないと言っていますが、とても具体的だし、本人の話す時のキラキラした目を見ると、私は信じざるおえません。

子どもが親を選んで来てくれるといいますが、きっと息子は私たちを選んでくれて、そして覚えてくれていたんだと思います。

素敵なお話をしてれ、私たちを選んでくれた息子にほんとうに感謝です。

2010.03.14 投稿者:s-clover

たまごの国☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
   色とりどりのタマゴが在って、一人選ばれ、小学生位に大きくなると皆に応援されて出かけて行った。僕が選ばれた、凄くうれしかった。皆に応援された。
   僕以外の子供は何処へ行ったか分らない。
   (たぶん、卵巣の記憶)

鏡☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
   周りの色は白くて、上に居た。お世話係がいた。鏡の中にママが映った。これがママかと思った。
   ママが僕を欲しいと願ったんでしょう。←そのとおり♪。
   (神様の国の記憶)
 
お腹の中☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
   とても気持ちが良かった。ずっと居たかった。でも寒かった。お腹が空いて食べるものを探がしたけれど何も無かった。服も無かった。お水の中に町が有ったけどお水と一緒に壊れて流れていった。悲 しかった。
   大きな泣き声が止まらなくてビックリした。
   (と、出産の記憶)


生まれてきてくれてありがとう

2010.03.13 投稿者:eri

上の子(3歳)に「ママのお腹にいた時の事覚えてる?」と聞いた時に「覚えてるよ」と。「どんな感じだったの?」と聞いたら「あったかかった~でも暗かった・・・」と言ってました。ちなみに「ママのお腹から出た時は覚えてる?」と聞いたら「まぶしかったーあと苦しかったー」と言ってました。
下の子がきちんと話せる様になったら聞いてみようと思います。

2010.03.05 投稿者:可愛い姫達の二児の母

子供の胎内記憶ではないのですが…。
次男を産んだ後から、自分が赤ちゃんの頃の記憶が戻り始め、胎内記憶も戻りました。
今ではお腹の中に居た記憶が当たり前のように思い出せます。

あまりに記憶の量が多すぎて、何を書けば良いのかわかりませんが、母や家族みんなの一生懸命な気持ちが私の中に残り、それが子供たちにつながっていくようにと与えられた記憶なのだと思っています。そして、助産師を目指している自分へのエールなのかなぁと思っています。

息子たちにも、「お腹の中はどうだった?」と聞いてみようと思います。
思い出せなくても、覚えているはずだから…。

あの青く広い世界が懐かしいです。


2010.03.01 投稿者:良

結婚して5年の間に、合計5回の流産を経験し、うち3回は2008年に連続して経験しました。
授かるのに育たない、わたしはいつになったら子供を抱くことができるのだろうか・・・。
産婦人科に行くたびに泣きじゃくる私を、主人は眼に涙をためて無言で抱きしめてくれました。
主人も同じ気持ちだったと思います。
すこし子供のことは忘れよう、そう考えていたある日の夜、夢をみました。
わたしが幸せそうに赤ちゃんを抱いている夢。起きたとき、なんだかすごくあったかい気持ちになり、仕事帰りに検査薬を試すと、なんと陽性!!
嬉しくてすぐに主人に報告しました。
妊娠5ヶ月にはいったとき、交通事故に遭いました。車が私に衝突。おなかをうちました。
もうだめかと思いました。妊婦ということもあり搬送先を数件断られ、高速に乗り遠くまで運ばれました。幸い、おなかの中の息子は元気で、すごく安心しました。
いろんなことがあって、迎えた出産の日。予定日9日超過し、誘発分娩でした。
赤ちゃんに会える、その一心で陣痛に耐えること1日。
努力もむなしく、回旋異常で緊急帝王切開となりました。
主人も立会いし、ずっと手を握ってくれました。
お腹を切開し、先生がおなかを押すと、もう一人の先生がずるずるっと赤ちゃんを引き出す感覚がわかりました。瞬間、大きな産声が・・・。3930gの、大きな男の子でした。
やっと会えた、たくさんのつらいことを乗り越えて、私たちのもとにやってきた、ピンク色のきれいなお肌をした、とっても元気な男の子。
今9ヶ月になり、毎日たくさんの幸せと元気を与えてくれます。

2010.02.27 投稿者:ぶぶちゃん

娘(小1)には、胎内記憶があります。

どんな音が聞こえたか、どうんな色をしていたか、何を感じていたか、かなり詳しく話してくれました。

記憶は胎内に留まらず、お腹に宿る前の話をするようになり、更に記憶は前世を伝えることもありました。たくさん話してくれた中で、特に心に残っている会話をご紹介します。


母「アレが欲しい、コレが欲しい。お金持ちが偉い。喧嘩はするし、戦争をするし。
・・・そんなことばかりしていると、人間の心はドロドロになるね。

ずーーっと天使のままでいたら、みんなキレイな心のままなのに
わざわざこっちの世界に来るからには、きっと理由があるんだろうねぇ~」

娘「勉強のためだよ!」 やけにあっさりと、そしてキッパリと言った。

母「何を勉強するの?」

娘「いろんな気持ちとか・・・」

母「じゃ、嫌だな~、悲しいな~って気持ちも?」

娘「そうだよ。自分で決めて来るんだよ。」

母「じゃ、すっごく嫌なことばっかで、すっごく大変な人っているでしょ?
 そういう人も自分で決めてるの???」

娘「そう。そういう人はね、"決心"してきているんだよ!
 もう、何回も何回も、大変な人間を繰り返してやってるから、大変なことが慣れているの。
 たぶん10年生くらいだよ、そういう人は。こっちの大学くらい。」

母「へ~!大変な人って立派な人なんだね。じゃ、○○チャンは何年生?」

娘「んーー、、、一年生くらい!だから、ちょっとは嫌なこと勉強しようって思ってきたんだよ。」

母「少しくらいの嫌なことは平気なの?」

娘「平気じゃないよ。嫌だなぁ、悲しいなぁって思うけど思うことが大事なんだよ。勉強だから。」

母「じゃ、辛くても嫌だな~って感じない人は駄目なの?」

娘「違うよ。嫌だな~って思わないようにしようって、天使のときに決めてきてるから。」

母「ふ~ん。。。」

娘「みーんな、"自由"なんだよ。神様に言われて決めるんじゃなくて、自分で自由に決めるの。
 嫌なことをたくさんにしてもいいし、ちょっとにしてもいいし。 自由に決めてから来るの。
 6年生くらいになった人が、ちょっと休憩しようって思って1年生になるときもあるし。
 お父さんはねー、たぶん3年生くらいだけど、ちょっと休憩してるの。
 だから、あんまり嫌なことがないんだと思うな。」

母「じゃ、みんな、いっぱい勉強しようって思って、何回も何回も人間をやっているんだね。」

娘「でもね、急いじゃ駄目なんだよ。透明な宇宙みたいな所に落っこちちゃって、
ずーーーーっっと落ちていくから。」

母「え!怖いね。堕ちるーーーーって感じなの?」
 
娘「怖くないよ。な~んにも考えないで、ふわ~って浮いている感じだよ。
 で、島みたいな所にたどり着くとそこにドアみたいのがあって、で、また天使の世界に戻るの」

----------

一年生の娘が"決心"という言葉を使ったことにちょっと驚きました。

そして"自由"という言葉も。

この世の喜怒哀楽は魂の学びのために、自らの意志によって決心し体験しているというのです。生きる意味をちゃんと覚えている娘にもビックリでした。

私はどんな感情も、例え悲しみや怒りも全てを否定せず「魂の決心」と信じて、ありのままに受け止めたいと思いました。

2010.02.22 投稿者:ちぃ

去年、2009年05月20日

第三子となるはずだった、私の娘は、
400gで産まれ、そのまま天国に旅たちました。

第一子も第二子も何の問題もなく、無事に産まれ、
久しぶりの妊娠でもあり、特に何も問題なんて・・・・・と
思い呑気に出産を楽しみにしてました。

妊娠五ヶ月に入った頃の検診の際、
主治医の先生がどうも、胎児の足の長さが短すぎるといわれ、

胎児専門医を尋ねて欲しいといわれました。

何?何? 何でわたしがそんなところへ?
はじめはそんな感じでした。

あまりにも主治医の先生がすすめるので、
いく事にしました。

そして、結果、

お腹にいた私の娘は
致死性骨異形成症と大脳変形症と診断されました。

臨月まで持たないだろうと言われ、まして、産まれても
数時間の命、仮に生きたとしても、病院での生活と言われました。

何がなんだか、頭の中は真っ白でした。

胎児専門医の先生は、人工死産をされるなら、
もう、時間はありませんと言われました。

泣きながら、叫びながら、何度も何度も苦しみました。


そして、主人は、この子はあきらめようといいました。

頭では納得しても、心では納得できませんでした。

今でも、異なる選択をしてたらと思う日々が続いてます。

なぜ、こんな残酷な選択を神様はなぜするんだろうと思いました。

そして、何故か通常出産の人たちと同部屋にされて、
(※これは、なんでそうされたのか今でもわかりません)

人工死産をして、彼女は永遠に私たち家族の傍から
旅立ってしまいました。


その後、PTSDになり、睡眠障害とめまいになやまされ続けました。

世の中には、本当に、断腸の思いで人工死産したひともいるってことが

あんまり知れてないのが、私は本当に不思議でした。

命の大切さを、一番、嫌って言うほど感じました。


2010.02.09 投稿者:すーらん

私は、助産師を目指している高校3年生です。
私にはもうすぐ4歳になる女の子のいとこがいます。
お腹のなかにいたときのことを憶えている子がいることは知っていたので、いとこが2歳の時に聞いて
みたのですが、その時はどう表現すれば良いのかわからなかったらしく、答えてくれませんでした。
でも最近になって、「お腹の中にいた時に何か見えた?」と聞くと、「おへその穴からパパが見えたの。」と言いました。「おへその穴から何か見えた?」と聞いたわけではないのに、なぜおへその穴から、とわざわざ言ったのか不思議でなりませんでした。
他にも「雲の上は気持ちが良くって、寝てた」、「羽をつけて飛んできたの」、「お腹の中からお母さんの声が聞こえた」、「(お腹から出てきて)最初にお母さんと赤ちゃんのベッドが見えた」、「空の上にはこどもがたくさんいた」など・・・こんなことを言うのは初めてでしたが、真剣にちょっと恥ずかしそうに話してくれました。
またゆっくりリラックスしている時に聞いてみたいと思います。

2010.01.28 投稿者:あっすー

はじめまして。
こちらには18トリソミーの虎ちゃん経由でたどりつきました。
下記の記事は私が住む街のマザーズクラブ雑誌に投稿させていただいたものです
そのままの文章をこちらにも投稿させていただきます。
我家の二男はダウン症です。
ダウン症の子を授かり「命」の尊さを実感しています。
**********
2008年11月23日 午後7;12 3262g 二男誕生。
3時間17分のスピード出産、丸々太ったかわいい赤ちゃん、生まれて間もないのに強い力でおっぱいを飲んでくれてとても感動した事を覚えている。
肌の色がちょっと悪いなと思っていたらNICUに移りますと言われた。分娩時間が早すぎると肺の中にたまっていた水が抜け切れず呼吸が上手にできなくなるという症状、よくある事例なので心配いりませんと説明があり、あまり気にはしなかった。
あくる日、保育器に入ったわが子に面会、「新生児呼吸障害」と「感染症」。数日後には「黄疸」退院の日が近づいて来ても保育器から出られる気配がない二男。
結局私が先に退院、それから毎日3時間おきに母乳をしぼり病院に届け1日2回の面会、保育器の中の小さな穴を通してのオムツ替え、こんなに近くにいるのにどうして抱っこできないんだろう、どうしておっぱいをあげられないんだろう。。。そんな事を思いながら退院の日を待ち望む毎日。
退院も近づいたある日、担当医から話があるのでご主人と一緒にお願いしますと案内され、医師の口から出た言葉は
「お子さんを見て何か変だな?と思った事はありませんか。。。。」
「ダウン症はご存知ですか、まだ検査はしていませんがダウン症の疑いがあります」
背中が凍りつくとはこのこと、それまでダウン症に関する知識と言えば特異な顔立ち、知能の遅れ、短命。。。。それ以外のダウン症の知識はゼロに近かった。

第一声は「ごめんなさい」泣き崩れ、なぜ普通に生んであげられなかったんだろう、私だけ、私のせい、何かの罰なんだろうか。戸惑いと悲しみ。
医師からダウン症に関しての説明は、「ダウン症の子供はとてもおだやかです、46染色体があるうちの21番だけが3本なんです、その他は正常です、なのでしっかりご両親のDNAは受けついでいます。」 ダウン症って自分達とは全く違う細胞の子供ができてしまうと思っていた、でもそれは間違えだった二男は1本だけ多く染色体を持って来てしまっただけ。
1本多いだけです。。。の話に戸惑いと悲しみが消えた。

医師との面談が終わりNICUにいる二男の元へ。(この頃は保育器から出て自力で母乳が飲める状態になっていた) どんな体でも私たちの元に来てくれた事がとても嬉しく、保育器を通してではなく直接抱っこできる喜び、授乳できる喜び、染色体異常といわれているのに強い生命力でこの世に誕生した二男、あれだけ泣いたのに甘い香りにつつまれた赤ちゃんを抱っこして、一生懸命おっぱいを吸う姿を見たらそんな事はどうでも良いと思うようになった。

その後、染色体の検査結果が出るまで約3週間、気持ちは落ち着き覚悟もできていた。覚悟というかダウン症だからどうだっていうんだ、ぐらいの気持ちになっていた。結果、告知があった時は冷静に受け止め、次は何をすべきかと考えた。まずは「ダウン症児親の会」に入り、そのときに出会ったのがこの詩、ダウン症児を持つ親御さんなら誰でも知っている。

********************************
天国の特別な子供

会議が開かれました
地球からはるか遠く

(また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ)
天においでになる神さまに向かって天使たちは言いました

この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません

もしかして一人前になれないかもしれません
だからこの子は下界で会う人々にとくに気をつけてもらわなければならないのです

もしかしてこの子は走らず笑わず遊ばないかもしれません
この子の思うことは誰にもわかってもらないかもしれません

なにをやっても うまくいかないかもしれません
そしてこの子は一人前でないといわれるでしょう

ですから私たちはこの子がどこに生まれか注意深く選ばなければなりません
この子の生涯が満足すべきものであってほしいのです

どうぞ神さま この子のためにこんな両親を探してあげてください
神さまのために特別な任務を引き受けてくれるような両親を

エドナ・マシミラ「天国の特別な子供」より
***********************************
この詩にはげまされた人々がどれだけいるのだろう。
子供は健康(健常)で生まれてくるのがあたりまえだと思っていた。
「出生前診断」が簡単にできるようになった現在、もし妊娠中出生前診断を受けていたらはたして私はどうしていたんだろう、答えはでないまま。
当たり前のように健常で生まれてくる赤ちゃん達、当たり前じゃない時もある。どこから異常でどこから正常?どこまでが標準で、どこからが標準外? みんな違って当たり前。
お腹に授かった命はこの世に出たくてやってきた赤ちゃん。今回の出産で命の尊さを知り、生まれて来てくれた事に感謝。そして育児の楽しさをかみしめている毎日。
ダウン症の打診をされ、何かの罪だと思った自分が恥ずかしい。二男に対してこれほど失礼な事はない、私達を選んで生まれて来てくれたのに、あんな事を一瞬でも思ってしまった、無知とは恐ろしい。友人にこのことを話した時、彼女はこう言った。「罪ではなくプレゼント」 
これほど嬉しいものはないプレゼントを授かった。1/1000の確立で私たちの元に来てくれたラッキボーイ。

素直にダウン症という現実を受け止められたのはパパと長男のお陰、彼から出た言葉「ちょっとぐらい違う方が可愛げがあるよ」パパらしい一言。
きっときっとあの時は驚いたに違いないのに冷静に、ずっとずっと手を握ってくれた。
長男の存在も大きかった、ただいてくれただけで励みになり、心強かった。そして今もそう。
親となりまだ3年と少しの日が過ぎただけ、子供達と接することでこちらが学ぶ事が多いと思う毎日、彼らの成長をかみしめ、1日1日を大切にしたいと思う。
 
おわりに 
 1/1000の確立で生まれてくるといわれているダウン症児、まさか私達の元にやってくるとは夢にも思いませんでした。医師から打診のあった時はどうしてよいのかわからず、きっとジャカルタには戻れないと思っていました。しかしダウン症について理解するうちに特別な事をする必要はないという事がわかりました。(合併症などがある場合は治療が先決です)必要な事はスキンシップをとり沢山の刺激を与える事、要するに普通の育児と同じことをすれば良いという事でした。
ハンディキャップを持つ子のお母さんがこう言っていました。
「大変ですねと言われるけど、大変なことなんてない、私は普通に育児をしているだけ」
とても印象的な言葉でした。 

  おかげさまで二男はすくすくと育っています。健常といわれる子供達に比べると若干の遅れはありますが、毎日沢山刺激を受けています。お兄ちゃんのお友達そしてその兄弟達、ママ達。 順調に成長をしているのはきっと周りの皆さんのお陰です、いつも温かい目で見守っていただき心より感謝しています。
二男を授かる前はダウン症という言葉は知っていても知識は全くありませんでした。
ダウン症って何だろう
どんな子供が生まれるんだろう
なぜダウン症児が生まれて来るんだろう
どうして目がつりあがっているのかな?
どうして発達がゆっくりなのかな。・・
この原稿を読みダウン症に関して少しでも興味をもっていただけると嬉しく思い投稿させていただきました。
 二男は1歳になりました。

2010.01.04 投稿者:nanas

はじめまして。
天使ママのブログで「インタビューを受けた」という内容があり、そこで初めて「うまれる」の映画製作について知りました。

私は、2年間産婦人科に不妊治療で通い、クロミッドと着床しやすい注射(薬名忘れました)を毎月うっては、赤ちゃんが来ない日々を送っていました。
しかし08年に妊娠。心拍を確認してやっと母子手帳をもらって。
初の3ヶ月健診で、エコーを見たら心拍が停止していました。

「子宮内胎芽死亡」

出血も前触れも何も無く、突然の出来事でした。

耐え切れず涙があふれ、止まりませんでした。
しばらく産婦人科の個室(出産後に泊まる部屋)にて休ませてくれました。
・・・が。
部屋に「出産おめでとう」のカードが置いてありました。
赤ちゃんとの突然の別れに追い討ちをかけられたようで、余計に悲しくなりました。

08年11月に子宮内清掃術を行いました。

その後、初生理後にもう次がんばっていいよと言われたので。
初生理後、またクロミッドと注射をしました。

そうしたら、すぐに妊娠。
今度は毎月妊婦健診を受けられました。

でも、だんだん赤ちゃんの成長が遅くなり。
平均より1週間小さい、2週間小さい・・・
そして妊娠7ヶ月ごろ。
1ヶ月程成長が遅れていましたので大学病院で検査するように言われました。

検査の結果。
13トリソミーと重度の心臓奇形でした。(長くなるので詳しくはブログ参照願います)
確実に長く生きられないのが分かるので、自然分娩にするかもう産むか確認されました。

少しでも会いたいので自然分娩に決めました。

そして9月。
37週2日目。朝に破水があり、夜中に産みました。
しかし、3時間21分にて天使となってしまいました。

がんばって呼吸してくれて。
カンガルーケアもできました。
最期までずっと、パパとママは側にいました。
赤ちゃんは少しでも幸せを感じてくれたか分かりません。
お腹の中から、余命を宣告されたようなものだったけれど。
最期まで本当に親孝行な子でした。
天使になった今でも私達にとっては大事な、最愛の子です。

「うまれる」って。そして普通に生活しているって、本当に奇跡なんだなって。
そう思います。
命は本当に大切で。
親にとって子供は本当にかけがえのないものなんだなって、そう思います。

映画製作、がんばってください。
沢山の天使ママ・パパの想いを、どうか皆様にお伝えください。


2009.11.10 投稿者:桔梗

私は助産師という仕事をしているため、以前から子供には胎内記憶があるということを聞いていました。そこで、実際に我が子2人にも聞いてみました。
「ゆうくん、ママのお腹の中にいた時のこと覚えてる?」と聞くと、「覚えているよ。」「ママの声聞こえてた?」「うん。」「パパの声は?」「なんか歌ってたよ」と答えました。当時、パパがお腹に向かって「わおー、わおー」というと、ゆうくんがモコモコこと動くのが面白く、パパがふざけていました。お腹の中のゆうくんはそれをパパが歌っていたと思ったのかと思います。その他、「お外はおへそから見えたよ」とか、ママをどうして選んだのと聞くと「ママが一番かわいかったから。ママにしたの」お腹の中にはどうして来たの」と聞くと、お空からママの所に来て、ママのところに着たら透明になって、小さくなってスーと入ったの」などと沢山の事を説明してくれました。
あーちゃんは「あーちゃんが始めに生まれてきようと思ったのに、お兄ちゃんが先に行っちゃったの」と。逆子だったあーちゃんは「お腹の中ででんぐり返しの練習したんだけど、できなかったよー。」と話ました。確かに羊水が少なく、しっかりはまり込んでいたようで、逆子が直らなかったのかなーと思いました。

2009.11.07 投稿者:ともりん

昨年10月に次男が生まれました。その1か月前に父を亡くしたばかりで、私たち家族に明るい光がやってきました。指先と横顔が父に似ているような気がしました。

保育の仕事をしていた私は、上の子は赤ちゃんができるとお母さんより早く何かを感じると聞いたことがあります。次男妊娠がわかる少し前、2歳9か月の長男は自分の赤ちゃん時代の写真やビデオをよく見たがりました。
ある日、長男妊娠中に水天宮にお参りに行った時の写真を一緒に見ていました。私が、「トモくんいないね。この時ママのお腹にいたんだよ」と言うと、「僕足から生まれた」と長男。逆子だった時期はあるけど、ちゃんと頭から生まれてきたし…と思ったその後、「ママの足から生まれたんだよ」と教えてくれました。それが一つ目の生まれてくる時の記憶でした。
長男出産の時、少し先にお産の済んだ妊婦さんの処置で、頭の少し出た状態でお医者さま待ちだったのを覚えていたのか、「赤ちゃんの出てくるところ、狭いから早く出してあげてね」…次男誕生の1か月ほど前でした。
そして、次男誕生の2・3日前、「赤ちゃんはリンゴ味のお水の中にいるんだよ」。
お腹の赤ちゃんがどんな状態でいるのか本を読んだり話してあげたことも特になかったのに、この3つの話は、驚きと感動でした。

お腹の上で長男がミニカーを走らせ胎動を楽しんでいたためか、最近ミニカーで2人で仲良く遊んでいます。

2009.11.04 投稿者:じゅんじゅん

はじめまして。私はもえ4歳とふうが2歳のママです。

姉のもえの話ですが・・・。

私『ねぇ、もえちゃんはお母さんのお腹の中に居たとき何してたの??』と聞くと

もえ「ぎゅーってしてたよ」三角すわりで足をギューっと持っていました。

私『それで??』

もえ「バチャバチャしてたよ。それで、ムニュムニュしたの触ってた。」

どうも、へそのをを触っていたようです。そうゆう3D写真をもらったことがあるので。


もえ「それで、一人で寂しかったから早く出たかったの・・・。」

そうなんです。もえは27日が予定日だったんですが、16日に産まれてきたのです。


私『どうやって、でてきたの??』

もえ「スッポーンって。」

これも、正解(笑)なかなかでてこなくて、先生にお腹を押してもらって、スッポーンと出てきたのです。

本当に驚きました。

それから、胎内記憶とはちがうんですが、二人目を妊娠してもえにお腹をさすりながら「この中に赤ちゃんが居るよ」と教えると、もえは「ふぅちゃん、ふぅちゃん」と・・・。
『あかちゃんだよ?』と言っても、「ふぅちゃん」としか言いませんでした。

お空の世界で会っていたんですかね?

2009.11.01 投稿者:もえとふうがのママ

胎内記憶といえば
甥っ子が幼稚園くらいの時だったでしょうか
実家に遊びに来ていたときに子守をしていて寝かしつけようとしていた時です。
すでに、その時わたしは漠然と「胎内記憶」というものを知っていたので
「もしかすると・・・」と思い
甥っ子に「○○○はお母さんから産まれる時どんな感じだったの?」というようなことをたずねてみました。
すると甥っ子は布団の中に潜り込んで丸まって
「こうやってね~」と言いながらグルンと回りながら布団の外に出てきました。
『おお~回旋しているわ~。これはホントに記憶があるのかもしれないな』と感じたことを思い出しました。
その甥っ子も既に高校生です。その時の事を覚えているか聞いてみたいです。

それから10年くらいたって遅ればせながら私も母親になりました。
事情があって未婚シングルでの出産です。

妊娠した時点で「産むなら未婚で」と決まっていましたが、そのお腹に宿った命を諦めることは
一度も考えませんでしたし、また周囲の反対も殆どなく恵まれていたなと感じます。

一番理解を示してくれたのは私の母親でした。
内心は複雑だったでしょうが、未婚で生むしかない妊娠を告げたときも、また妊娠中不安だったときも、
産後の子育ても本当に味方になってくれた母をみて
「ああ、親とはこんなに有難いものか」と実感させられました。
もしかすると、息子は私に「親の有難さを分からせるために産まれて来たのではないか?」と思うほどです(笑)。

その母がわたしが妊娠したと告げたときに話してくれたことですが

「2~3日前におばあちゃん(父方の祖母で数年前に無くなっています)が夢に出てきてね~
『○○(父の名前)を婿養子にまでやったのに、あんたの家には次の跡取りが居ないからかわいそうだし、
私が行って手伝ってやるよ』って言うのよ~。
で私が内心、そんな年寄りが来ても何の手助けにもならないな~と思いながらも
『そうですか、ありがとう。でもあばあちゃんもう死んでいるし、どうやって手伝ってくれるの?』って聞いたら
『そこは、上手い事やるから大丈夫。ちゃんと目印も持っていくから、私だって分かるはずだ』って言うから、もしかして娘の誰かに(私は4姉妹の長女で妹達は既婚者です)また子供が出来るのかな?ってその子を家の養子にでもくれるのかしら?って思って期待していたんだけど・・・まさかあんたのところだとは・・・確かに長女だし家の跡取だから間違いないわね~」って笑ってました。

後日談として、
産まれてきた息子には左頬に小さな痣があります。
あと、耳がすごく特徴のある形をしています。
これがおばあちゃんの言っていた目印かどうかはわかりませんが・・・
それから、私も子供の父親も血液型がA型なのですが
息子はO型です。
夢に出てきたおばあちゃんもO型でした。

ただの私の母親の夢の話なのですが
この話のおかげで父も「自分の母親の生まれ変わり」と言われれば
無理に出産に反対することも出来ず(笑)、とても息子を可愛がっています。

こんな、状況で産まれてきてくれた息子はきっと
「寂しそうなお母さんを助けなきゃ」って私を選んでくれた気がします。
息子ももうすぐ2歳になります。
だいぶ言葉も出た来たので、そのうち胎内記憶を語ってくれる日がくることを期待して待っています。

2009.10.30 投稿者:あちゃ

私は不妊治療で息子を授かりました。
顕微授精で1回目のチャレンジで授かりました。
とてもありがたいことだと思っています。

妊娠しているかを病院に確認しにいく朝、夢で男の子が取り上げられている夢をみました。
本当に夢で教えてもらう事があるのだととても幸せな気持ちで病院の待合を待っていた記憶があります。

その息子も今年には3歳、おしゃべりをするようになっています。

お風呂で胎内記憶の質問をした事があります。

「お腹の中でなにしてたん?」と聞くと

お風呂の水をぱちゃぱちゃと叩き、「きもちいい」といっていました。
息子は胎動が激しくて内臓も蹴られた事があったので泳いでたのかなって思いました。

数ヶ月たってからまた同じ質問をしてみると「覚えてる」といって
「え~ん、え~んって。」と言って泣く真似をしていました。
それを聞いて、顕微授精の時に卵を2つもどしたのに息子しか着床していなかったから
もう1つの卵ちゃんがいなくなった事をいっているのかなって思いました。


まだ、言葉のボキャブラリーが少なくて、聞いてもごにょごにょとわからない事をいっているので
またすこしたってから記憶がある前に聞いてみたいと思っています。

2009.10.07 投稿者:きっぺ

昨年6月に、第3子の女児を死産しました。ちょうど10ヶ月目でした。
1週分くらい小さいとは言われていましたが、上の息子娘もそう言われ1週予定日をずらしたけれど、予定日より早く、体重も3000g前後で、五体満足で生まれていたので、気にしていませんでした。

身体が小さく奇形がありました。解剖はしていません。口唇口蓋裂、性器の奇形、耳の奇形(片耳が小さい、片耳は大きく副耳がある)が確認されました。

素人なりにインターネットで原因を調べたのですが、染色体の異常だったのかもしれないと、解釈しました。

それよりも何よりも、辛く悲しい出来事だったけど、それでも10ヶ月も頑張って、皆に幸せをくれた、命の強さを教えてくれた…感謝の気持ちでいっぱいになりました。

「次は元気で産んであげるね」悲しみも、そんな気持ちで乗り越えてきました。
子供達とも、そう励まし合いました。子供達がそれぞれ七夕の短冊に「赤ちゃんがよみがえりますように」と書いてくれたのが、とても嬉しかった。

奇形の報告は、夫と私の母にだけしました。
すると母から、次の妊娠は考えるなと電話が来ました。私の実家は田舎で、非常に保守的な土地柄です。もし私が奇形児や障害児を出産すると、実家や親戚に何か良くない事が起こると、全てそのせいにされかねない(実際、そんな噂があるようです)…

また、おば(父の妹)の第3子が、口唇口蓋裂で生まれました。おばの長女の第2子は、足に奇形があり、生まれてから数回手術を経験しています。母が言うには、それらも祖父はよく思っていないとの事です。

なので私が祖父母に軽蔑されかねないという不安があるからです。涙が出てきましたが、私は「うん」とだけ答えました。
夏休みに帰省した際も、今度は面と向かって、念を押されました。この時も私は、「うん」としか言えませんでした。

それでも赤ちゃんを迎えたい、取り戻したい、元気に産んであげたいという気持ちは強まる一方でした。
夫は「(自分も含め)皆がこんなに悲しい思いをするなら、もう子供はいらない」と思っていたようです。

でも、何度か夫婦で話し合い、「自然に授かるなら、産もう」と言う気持ちになりました。

母の反対に関しては、実際に妊娠すれば、喜んでくれるだろうと思うようになりました。相談した人の多くが、そう言ってもくれていました。私も大分前向きになりました。

とにかく去年は辛かった。同時期に妊娠した友達が、無事出産。それ以外でも、数えたら10人の知人友人が赤ちゃんを迎えたのです。
私のような思いはさせたくない。友人の妊娠話を聞けば、死産した娘に「守ってあげてね」とお願いはしていました。

元気に生まれたと聞けば勿論安心しました。「ありがとね」と言いつつ、「私だけ、赤ちゃんを抱けなかった」悲しみに襲われていました。だから、夫が味方になってくれたのは、私にとって「希望の光」でした。

そうなると、母に私の意志を伝えなくてはと思いました。GWに帰省した際の帰り際、「もしご縁があったら、もう一人産みたいんだけど」と言いました。母は「またそんな事を…」と怪訝そうな表情。父は苦笑い。やっぱり反対の様子でした。

それでも、意思は伝えた、育てるのは私達、妊娠すれば喜んでくれると期待しました。
それから約一ヵ月後、死産から約一年たって妊娠が判明し、妊娠3ヶ月で両家の両親に妊娠報告をしたのですが、奇形児(または障害児)の出産を心配する母から、中絶を促されました。

母が第三子を反対する理由は、まだあります。上の二人に手がかけられなくなる事と、透析をしている義母の負担が増える事です。

五月生まれの第二子の娘の里帰り出産の時、私の実家は農業で忙しく第一子である息子の遊び相手にもなれず、私も息子も、頼れる人がいませんでした。二人とも、精神的に不安定でした。

私の入院中は、夫がいてくれたのですが、退院に合わせて帰宅。息子はやきもちと赤ちゃん返り、私はストレスを抱え、散々な姿を見せて心配をかけてしまったと思います。息子がまた辛い思いをする、子供が三人だと、一人が親の愛情を得られない、とも言っていました。

今や息子は小学一年生、娘は年中。二人とも「赤ちゃんがよみがえる!」と赤ちゃんの誕生を心待ちにしていて、里帰り出産はしないので、赤ちゃん返りしても何とか乗り越えられると思っていました。子供が親より多いなら、皆で一つになればいいじゃないかと思いました。

義母には、そんなに甘えようとは思っていませんでした。ただ近くに住んでいて、お互い(義母も子供たちも)会いたがっているので、義母の都合が良ければ、平日週末を問わず遊びに行ってました。

私は親孝行のつもりでも、年中遊びに行くのは義母に甘えすぎで負担になってると、母は思っていたのかもしれません。

でも、その言われ方はショックでした。
産後私が家事をするのがきつければ、サポート制度を利用するつもりでしたが、母にしてみれば、義母が多少無理をしても手伝わない訳が無い、義母の身体に負担になるのでは申し訳ない思いがあるようです。

それから、家がバタバタしていると、夫が仕事で疲れて帰宅しても安らげず、育児放棄されるのではないかという不安もあるようでした。

母にもせっかく余裕が出来て、私が子供の時には出来なかった家族旅行などをしたかったのに、赤ちゃんがいたら出来なくなる。経済的に帰省も難しくなる。

とにかく母は不安だらけでした(母の意向とは言え私は高校で下宿を始めたので、親離れが早く、母は寂しかったのかとも思います。父親を4歳で、母親を19歳で亡くしたので、余計そうなのかもしれません。)。

それよりも何よりも、やはり奇形児や障害児を出産した時の、家族や周囲の反応が、一番の反対要因なのだと思います。母は義母に、泣く泣く「何とか諦めさせてくれ」と訴えたようで、義母も、「はい」としか言いようがなかったそうです。

そんな母の不安と涙に、義父母の気持ちが中絶に傾くのは仕方なかったと思います。
七夕の後の話し合いは、結局、夫に私が中絶するように決断させろという雰囲気でした。その雰囲気にも、私は負けてしまったのだと思います。

もし出産を選択すれば、私の実家と絶縁になってしまいそうな状況でした。私が赤ちゃんを諦めると言わざるを得ない状況でした。夫は、(してほしくないけれど)両家の実家と絶縁する覚悟があるなら、協力すると言ってくれました。でも、私もそれは、出来ません。

夫に、中絶すると母に伝えてもらいました。母は安心していたようです。
私も諦めようと思ったのですが、どうしても、せっかく授かった命を奪いたくない気持ちが消えません。

また、立て続けに、楽しみにしていた赤ちゃんを失ってしまう子供たちの心も心配です。(出生前診断である程度の異常がないと分かったら)養子縁組や里親を探した上で、実家に内緒で産んでしまおうか…でも、自分で育てられないと分かっていて産むのは許されるか。

実家に内緒にするということは、夫の家族や夫、子供達にも一生負担になるだろう。どんな人達に育てられるかも分からない。
産んだ子供を手放して、自分は我慢できるのか。でも、命を奪ってしまうよりは、良いのではないか?

最終的には、私が、私たち夫婦が決めねばならない事。(中絶すると伝えてしまってはいたのですが…)

結局、中絶してしまいました。そして、納得した上の同意書のサインだったのですが、入院してから今まで、日に日に後悔の念が大きくなっています。
毎日を楽しく、笑いながら過ごしてはいます。

でも、誰かに自分の気持ちを聞いてもらえないのはストレスです。夫には話していたのですが、赤ちゃんの話をすると私が泣いてしまうのが辛いからやめようと言われてしまったのと、最近仕事が忙しくて余裕が無いので、話さなくなりました。

メールで気持ちを打ち明けたのですが、返事が無いので、まだ余裕が無いのだと思います。友達には、中絶してしまって、それをを後悔しているなんて、話しにくいです。妊婦友達との接触を極力避け、子供達を叱る時に、中絶の後悔をぶつけるかのように怒ったり怒鳴ってしまったり。自己嫌悪の日々です。

胎話士、南山みどりさんに、赤ちゃんの気持ちを教えてもらいました。夫と、中絶する病院探しに行く直前です。
前夜に池川先生のお返事を拝見して、みどり先生のHPを拝見し、すがる思いで携帯電話に連絡しました。

運良く、そのまま20分ほどカウンセリングをしていただきました。みどり先生もご多忙でいらっしゃるのに、ご縁があった事を嬉しく思いました。

みどり先生は、(去年死産した娘だけでなく)天使の赤ちゃんには、負の感情は一切無い。赤ちゃんは、自分の寿命をわかってお腹にやってくる。私のお腹の赤ちゃんは、自分が私を悲しませているのがたまらない。

私はこれまでの人生で、重要な決断を、母(時には父、親戚や先生でもありました)の意向を尊重して、諦めたことが何度かありました。

今回の中絶騒動も、田舎の旧家に嫁いで、その生活や環境に縛られ苦労してきた母を、出産によって生じるかもしれない苦しみから救う為でした。
赤ちゃんは、これからは私は私の人生、母は母の人生を歩いたら…と言っていたそうです。

そして嬉しかったのは、今回の赤ちゃんは、去年死産した赤ちゃんだったのです。
しかも彼女は「チャレンジ赤ちゃん」で、私たち夫婦が望めば、何度でも来てくれると言ってくれたのです。

最初に行った隣の市の病院は中絶を扱ってなく、仕方なく地元で探す事にしました。

近所の産院は高額過ぎて(70万程)、その次の産院は、週数が経ちすぎて(12週近かった)扱えない、最後に聞いた産院で30万程で出来るというので、お世話になることにしました。皮肉にも、今回の妊娠で「ハイリスク妊娠」という事で、門前払いされた病院でした。

ここまで中絶する病院が決まらないのは、産みなさいって意味じゃ?と思いました。思いたかった。

でも夫は、「今回は皆で話し合って諦める事にしたんだから。会社には中絶する旨伝えているし、今日は中絶する病院探しで会社を半休しているんだから、今更それは出来ない」と。

あんなに苦労して頑張って旧家を切り盛りしている母を、悪者にはできない。産むなら、両家と絶縁するしかない状況。それは私もしたくありませんでした。
「これが最後(の妊娠)だと思ってないから」という夫の一言で、私も決心した中絶。でも、そういう言い方は、ショックでした。

結局、連休明けの7月21日(火)に入院し、皆既日食に沸く翌22日(水)に処置。12週3日でした。前後の出産ラッシュが、新生児の産声が、たまらなく辛かったです。

翌日退院し、日曜日に息子と3人(娘は幼稚園行事で不在)で火葬に立ち会いました。

8センチの赤ちゃんはとてもみずみずしく、胎盤も納めてあり、このままお腹に戻せば育つんじゃないかと思える程にきれいで可愛かったです。戻せるものなら、お腹に戻して育てたい。どうしてこんなに可愛い子の命を奪ってしまったのか。

母を助けるにしても、何か別の手段があったのではないか。夫も私も望んでいたのだから、もっと産む方向で、不安を取り除くことを考えられなかったか。

義父から、「こんなに問題が起こっているのは、何か大きい問題の前触れという事も考えられる。皆に祝福されて生まれてこられないのは赤ちゃんにとって幸せか」と言われました。

今となれば、中絶してしまった方が、私の気持ちに一生残る傷が出来ますと言えば良かったと思います。両親と兄姉が祝福してくれるなら十分です。でも、
言えなかったのが事実。

義父母は、母が賛成してくれるなら、出産にも反対はしないというスタンスでした。奇形や障害も、事故みたいなものと思う。

でも、去年死産した娘に奇形があったのなら、今回は奇形や障害を持つリスクが高まるのではないかと言っていました。出生前診断があるという話はしました。でも、義母は母から、とにかく諦めさせてくれと涙
ながらに懇願されたそうです。私の味方にはなれなかったと、最近聞きました。 
 
去年死産した時は、引っ越した友人が、予定日で12日違いでした。お互いメールで近況報告し合い、励ましあっていました。

今回は、幼稚園の友人が、中絶した子と近い予定日で妊娠しているようです。夏休み明けに幼稚園に妊娠報告したようですが、私は彼女と妊娠の話題に触れたくなく、何となく避けつつ、自分が苦しくない程度に少し会話をしています。
これも何か意味があるんだろうなと、考えたりします。

まだ赤ちゃんを望む気持ちは大きいです。
年中の娘の入学以降の出産なら、二人を放課後の小学校での指導「はまっこ」に預けられるし、産後の家事サポートサービスも利用すれば、夫や義母の負担も少なくなるはずです。

奇形や障害については、したくはないけれど、完璧ではないけれど、出生前診断もあります。
産みたいです。
どうしたら母に認めてもらえるか。

中絶したままでは、産むなと言われたままでは、ストレスで息子や娘を怒ってしまうし、母や義父母に対して心を開けないままです。開きたいけど、開きたくない。自分からは連絡したくない。それくらいのわがままは許して欲しい。そんな気持ちです。

赤ちゃんの事を、夫と話せるようになりたいです。話せない状態では、夫とも何となく距離がある感じです。「話せない=夫はもう赤ちゃんを望んでいない、夫はもう私の味方ではない」そう思えてしまうのが辛く悲しいです。話せない自分にも、これでいいのかと言う思いはあります。

こんなもやもやした気持ちを解消する為に、読書を始めました。
先週は、胎児の成長に関する本や、出産・育児エッセイ、胎内記憶。

なかでも、今回の中絶の根本的な問題解決には、「『家族神話』があなたをしばる」と「母は娘の人生を支配する」、これらの2冊の視点が有益に思えました。
私と母が関係を改善させて、お互いを理解・尊重できるようになればと思います。
そして、また赤ちゃんを迎えたいと思います。

2009.09.20 投稿者:ぱきぱき

娘が二人います。お嬢、5才と姫、3才です。

下の娘、姫が先天性心疾患を患って生まれてきて、頭では理解できてても、気持ちがどうもついてこないとき、考えててもしかたないのに、
「何が原因だったんだろう、、、」
って落ち込んでしまうことがありました。

夫からは
「原因とかいろいろ言われてるけど、5000人に1人の割合で生まれてくるもんだから、気にすんな」
と言われても

「やっぱり私のせいかな。あの時の夜更かし?あの時のカップめん?もしかして、あの時の、、、」
って考えてしまうこともあり、何かわかることはないか、私が納得いくことがないかとよくネットでいろいろ調べていました。

生まれてすぐに手術をして、すっかり元気になった姫ももう3才。
一見何も病気にも見えない「内部障害」を持つ姫。
元気に育ってくれたらそれでいい。
そう思ってましたが、また再手術の話がでて、落ち込んでいた時のことです。

5歳のカトリック系の幼稚園に通う姉、お嬢が、ある夜、布団の中で、私に
「どうして、私がお母さんから生まれてきたか知ってる?」
と聞いてきました。

「それはね、お母さんのお腹に入る前は、雲の上で神様と一緒にいたの。
私以外にもいろんなお友達がたくさんいてね、みんな天使みたいに羽がついてるの。

お母さんは「かわいくて、やさしい女の子が欲しい」ってお祈りしてたでしょ?
だから神様が私にあのお母さんのお腹に行きなさいって言ったので、雲から降りてきて、お母さんが寝てる間にスルってお腹の中に入ったの。
だから私が生まれたのよ。

自分でお母さんを選ぶ子もいるし、神様がお母さんを選ぶ子もいるけど、私の場合はお母さんが私を選んだのよ。知ってたでしょ?」

神様と一緒に雲の上にいて、、、、どこかで聞いた話だなって思ってましたが、以前からお嬢に名前の由来を聞かれて、

「かわいくて、やさしい女の子に育ちますようにって名前をつけたのよ」
って話してたし、カトリック系の幼稚園に通ってるからそんな絵本でも読んでもらったのかなっと思ってました。

ある日幼稚園の先生と話す機会があって、この話をしてみましたが、「いいえ、幼稚園ではそんな話をしたことはないですよ」。
じゃあ、お嬢の話は一体?

その時ふと思い出しました。

ネットで心疾患の子が生まれてくる原因を調べてた時にヒットしたHPの内容を。
胎児記憶。誕生記憶。
子供はまれに生まれてくる前の記憶やお腹の中での記憶を覚えてる子がいるってことを。

よく
「神様がこのご両親なら大丈夫って選んで病気の子を託すんだよ」
「神様は何人かに一人は病気の子を作らなきゃいけなくて、神様がこのご両親なら大丈夫って病気の子を託すんだよ。」
「病児は親を選ぶ」

という話を聞いたことがありますが、正直、慰めのような言葉でしか受け取れていませんでした。

でも、お嬢の言葉が本当なら姫はやっぱり私を選んで生まれてきて、自分の運命をちゃんと理解して生まれてきてるのだ!と思うと親としての責任感、使命感がふつふつをわいてきました。

この子は自分の病気をちゃんと理解している。
そして私たちを必要としてる。
くよくよしてる場合じゃない!
サポートしていかなきゃ!

今までそんなこと話してこなかったお嬢が突然この話をしたのはほんと不思議ですが、
「このこと、大人になったら忘れちゃうかもしれないけど、今はちゃんと覚えてるよ。」
とよく私に話していました。

私の気持ちが落ち着いてきた今、お嬢はあまりこの話をしなくなりました。

そしてこの話から半年たった今、お嬢にこの話を聞いてみると
「えっ?生まれる前の話?私知らないよ。」
「神様がいて、雲の上?う~ん、覚えてないよ。前は覚えてたかもしれないけど、今はわかんない。」と言います。

記憶力のいい娘でいろんな話を覚えているし、少し話せばすぐに思い出すのに、この話だけはどんなに話しても覚えてないといいます。

これもまた不思議な話です。

Mary

2009.09.20 投稿者:Mary

一度、こんな質問がしたいと思っていました。
胎内記憶ってあるのですね。

いま、息子は中学三年生になりましたが
幼い頃に私に話しました。

ママのお腹の中。。
「ドン♪ドン♪って音がしていたよ」

ママのお腹の中。。
「赤くて広かったよ」

それから、驚いたのが
「ぼくね、天国で神様の家で順番に並んでいる時に横入りしたんだよ。
どのお母さんのお腹にいこうか、みんな順番で並ぶんだけど
前にいた子の前に入ったの。
だから、ママのところに来れたよ。」
と、言いました。

何度聞いても、嘘じゃないと言います。
こんなことも本当にあるのか不思議に思っていましたが、息子を信じてあげようと思いました。

でも、なぜに、、横入り(笑)

そして、私と息子には同じ場所にそっくりのエクボがあります。
生まれてすぐくぼんでいました。
それを見た時はすごく愛らしくて、私の子に間違いない、、と思ったのですが。
私自身も、産む数日前に産んだ子供と同じ顔をした赤ちゃんの夢を観ました。不思議でした。

しばらくたって、息子がいいました。
「神様が、このエクボがママとぼくとの印だって!」

なんか、少し怖くなりましたが。
あるかもしれない、天国の赤ちゃん順番待ちセンターのような場所を信じたいと思います^^。

2009.09.11 投稿者:エクボ

胎内記憶かどうかさだかではありませんが…。

子どものころから私はよく話す子どもでした。
母や周囲の大人から「口から生まれてきた」と言われるほどでした。

ある時、母にこう言ったそうです(自分でも覚えています)

「あのね、Tちゃん(弟)とお腹の中にいて、じゃんけんをしたの
 それでちっちは言葉をもらったの。
 Tちゃんはからだをもらったんだよ」

「出てくる順番もTちゃんとじゃんけんして勝ったからちっちが先だったんだよ」

今から30年以上も前のことですが、何度も何度も母に伝えていたことを覚えています。


そして、2歳年下の弟は自閉症でほとんど言語を持ちません。
その代り大病というものをしたことがありません。
虫歯さえほとんどない健康体です。

私自身は、手術を4か所、こまごまとした病気が常に続いていて医者と縁が切れない生活をしています。


母や弟には申し訳ないですが、自分たちで自分の運命を決めてきたのかな…と思っています。


そして、今。
流産を2回続けてし、その子たちがどんな運命を記憶してきたのか…。
知りたいと思います。

2009.08.29 投稿者:ちっち

現在、海外に住む4歳児と7ヶ月の男の子をもつ母親です。
3日前に長男が出産前の話を始めたので、お友達にもその話をしたら
池川先生の事を紹介して頂きましたのでこちらに投稿させて頂きます。

3日前の朝、長男と次男が笑いあいながら遊んでいる声で目が覚めて、
ボーっとその様子を見ていましたら、長男が突然

長男(T)「ママ知ってる?A(次男)は天国でT(長男)のお友達だったんだよ。
      天国で一緒に遊んでいたからAはTの所に来たんだよ。」

母 「本当?!」

T:「他にも赤ちゃんが沢山いたよ。他の赤ちゃんもTと一緒に来ようと
   したんだけど、他のママの所にいったんだよ。
   Tはママを選んでママのお腹に入ったんだよ。」

母:「どうしてTはママを選んだんだろう?」

T:「それはママがいいママだからだよ!」


そして、その次の日も、

T:「Tのパパとママは天国にもいたんだよ。」

母:「それはどんな人だったの?」

T:「Tのパパとママは、サバンナみたいに髪が長くて、
  長~い杖を持っていて、青くて長い服をきていたよ。
  天国のパパとママがパパとママを選んで、タイキも決めたの。」

確か西洋美術では、聖母マリアやキリスト、天使など聖なるものは
青い服を着て描かれている場合が多々あるので正直驚きました。

その後に天国のパパとママの絵を書いて、といったら
T:「ほらー、これ昔の人がよくかぶってるぼうしがあるじゃん!」
と言って中世の教会の司祭者のような長い帽子をかぶっている
男性と女性の絵を書いてくれました。

ちなみに我が家はクリスチャンでもなんでもありません。

他にも昔は自分は女だったなど前世の事?をたまに言うことがあるのです。
(仮面ライダーも好きですが、プリンセスやピンクが大好きな男の子です。)

1年前に夜中のトイレで起きた時にも「Tは昔、お空にいた。上のほう、上のほう」
「パパとママを選んできたんだよ」と言っていたのを覚えています。

主人は「どっかでそんな話を聞いたか読んだりしたんだろう、、」と言って信用して
くれませんが、私は彼らが自分達の意志で私たちの子供として生まれてきてくれた事、
そして、私達を選んだ事は何か意味があると信じたいです。

2009.08.05 投稿者:toko

胎内記憶というより、この世に降りてくる時の記憶をお話します。

私は20代後半に魂と向き合いたいという思いでヒーラー養成講座を受講しました。
受講後に色々なことを覚醒し、私がこの世に降りてくる時の出来事を明確に思い出すに到りました。

前世の記憶もおぼろげながら思い出すこともあります。


私の家庭は私が幼い頃から父の暴力が絶えず起こり長女の私は、母をかばい、弟や妹をかばいフォローしてきました。何故に私ばかりがこのような思いをせねばならないか。ずっと思って来ました。
温かい家庭に育っていればこんな苦労をしなくて済んだものを。と。


しかし、その考えは間違っていました。
この世に降りてくるときの記憶を思い出した今、明確に話すことが出来ます。


私は、家庭内暴力が激しく、とてつもなく苦労するであろうことを分かっていて、両親を選びこの世に降りて来ました。


私はなぜかとても急いでいました。あの世に上がってからとても長い時間を過ごしまた。この世に降りてくる仕組みになっているところをもっと早くこの世に降りたいと申請を出していたのです。


そして私に声がかかりました。
子供が見えました。
しかし魂が決まっていませんでした。

もうそろそろ魂が入らなければいけないリミットが近づいてきているのに、この夫婦はとても人気がなく誰も降りたがらないのです。

その子の身体もそんなに強くはありませんでした。
心が強くなければきっと生きながらえることも出来ないかもしれないくらい苦労をする境遇の基にだれも怖くて降りれませんでした。

そこで一日も早くこの世に降りたい私に声がかかったのです。
そして私はこう答えたのです。

「私は絶対に大丈夫。強いから、必ず自分のやりたいことを実現して戻ってくる」

と。
そして私はこの世に生まれて来たのです。


先生の本にも書かれていましたね。境遇は全て分かっていて降りてくるのだと。
私も本当にそう思うのです。

私は病弱だった経験を生かし、漢方の先生(医薬品販売業ですけれども)という慢性病に悩む人たちに役立つためにお仕事をしています。

社長という立場の人間の多くは幼い時の逆境をばねに強い精神力を養っています。
不屈の精神、何をもってもガンバル根性は幼い時の経験が血となり身となって活きていると信じています。


そうです。そうなることが分かっていてこの両親を選び、降りてきてるのだから。


----------------------------------------------------------------------------------
お母さんの下に降りてくることが多いわけ。話は変わります。

私達は魂として肉体に入るとき、だいたいの将来の予想を立ててきます。
大きく外れてしまうこともあるでしょうし予定通りいくこともあります。
女性の場合は子供を産むのかどうかは魂として降りてくるときにすでに決めてくるのです。

私はちなみに子供を産む、絶対に産みたいと決めて降りて来ています。

子供を産みたいと思って女性の身体に降りてくる魂だとすると、妊娠出産できる年頃になると、その女性のもとに降りてきたいと希望する魂というのが出てきます。

人気が高ければ、沢山の魂がその女性の周りにちかちかと複数見えることがあります。また魂が子供を産むことを決めて降りてこなければ、まったく見えません。


私にも一人男の子の魂が私の元に降りてきたいと15年以上前から待ってくれています。
彼は理数系がとても得意で身長が高くしょうゆ顔です。

私は数学が苦手で身長が低いですから、将来のパパは身長が高く理数系が強い男性と結婚する必要があるんです。

私は漢方薬の相談販売をしていますが、不妊で悩む女性の相談にも乗るのです。
そんな時はこの女性に降りてきたい魂が居るのかどうかを確かめます。

居ない場合は、魂と話をして、この世に降りてくるときに子供を産みたいと決めてきたのか否かを聞きます。

子供を産みたいと決めてきたと言う場合は、このお母さんの下に生まれたい。
この夫婦の下に生まれたいという魂がなぜいないのかを探り、お母さんの考え方が幼稚であったり、母としては頼りなかったり夫婦の関係がうまくいっていないなど、不人気の原因を察して、接客の合間に少しづつ話をして人気が出るように指導します。

すると、数ヶ月するとちかちかと見えはじめるお母さんがいます。
するとその数ヵ月後に妊娠することが多いのです。


また、こんなケースもありました。
高度医療に踏み切れない女性がいたのですが、後ろに確かに女の子が見えるのです。
でもその女性は「そこまでして子供が欲しいとは思わない」と言い張ります。

しかし話をしました。
今の医療の進歩の恩恵を受けて子供が授かるかもしれない、チャンスを本当に逃して自分に悔いが無いのか?子供が本当に欲しいと思っているのであれば手法は考えないほうがいいよ。

自分の心、自分の魂と向き合って決めたらどうなの?と。


その女性は顕微授精を受けることにし、見事に妊娠。
双子を授かりました。男の子と女の子。

私が後ろに見えた女の子が生を受けたのです。
本当に良かったなと思ったのです。
無事すくすくと育っています。

こんなことは誰にも話をしたことがありませんよ。
お客様にも、内緒です。

先生も医療人だからお話したのです。


もっともっと沢山ありますが今日のところはここまでにします。

2009.07.31 投稿者:しーちゃん

あれは、2005年の12月のことでした。

図書館で見つけた「お母さんをえらぶ赤ちゃん」(ジョナサン・ケイナー著)
という本を読んだわたしは、
ある夜、お風呂の中で
幼稚園の年少さん(4才)の娘に、

「ねえ、☆☆ー」(☆☆=娘の名前です)
「ママのおなかに来る前に、どこにいたの?」
と、半分期待しながら、軽い気持ちで、訊いてみました。

すると、突然、隣にいた長男の○○(6才の年長さん)が
よくぞ訊いてくれました!というふうに
だーっっ!っと話しはじめたのです!!
瞳を爛々と輝かせて☆

「うんとね!むこうではね!
とっても気持ちが良くて、しあわせでね!・・・・・・」
「うん!それでそれで?!」いきなりの展開に

興奮する気持ちををおさえながら
わたしは訊きました。

私:「むこうって、どこ? どんなところなの?!」
長男:「うーん、天!天のうえ!」

私:「むこうで、天で何をしていたの?」
長男:「ピンクとかきいろとか、みずいろとか、きれいな色の
  はくちょうさんとあそんでいたの!」

長男:「それでね、そこは すごくいいにおいがするんだよ」
長男:「あんまりしあわせすぎて、たいくつで、たいくつで、
   それで○○、こっちにきたんだよ!!」

私:「ふ~ん!!」
感心するやら、感嘆するやら、驚きでした・・・!!
そして極めつけ、

私:「それで、むこうには神様がいたの?」
長男:「いないよ!」

私:「えっ?!そうなの?!(???あれ?本と違うぞ!?)
   (神様みたいな人が)いるんじゃないの?!」
長男:「いないよ!」  「かみさまは いない。」
  「だって!」 「○○が かみさまだから!」

威厳に満ちた表情で。「自分が神様だ」と断言する長男。

わたしはとんでもない応えに
(は?!???)と放心状態。
長男:「みんな かみさまだから。」
私 (は~??? は~???((理解不能!!!)))

長男:「ようちえんのみんなはむこうでもいっしょだったよ!」
  「△△がいっしょだった!」(ようちえんのクラスメイトのお名前で、
                  特に仲が良いわけではなく、
                  家でこの子の名前が出たのは初めてでした)

長男:「こっちでは、みんなグループわけするのがよくないんだよ!」
  「グループわけするから、よくないんだ」
(確認するように、またわたしに教え、諭すように、何度も言ってました)

私:「それで、みんなどんな姿だったの?
   ○○はどんな格好だったの?」
長男:「姿は・・・ ない!!」(これまた断言!)

私(え~~っつ???え~~っつ???わからない~~××!!)
となりには 長湯でふやけている妹☆☆、
でもわたしももっと聞きたい!

長男からはどんどん話しが続きそうなので、
「ちょっとまって!お風呂でたら、また話しきかせて!」
そう言って、急いでお風呂からあがり、
パジャマに着替え、

走ってノートとペンを取りに行き、
インタビューを続けました。
さて!どんどん聞かせて~!!♪♪

長男にノートとペンを持たせて(強制的に!です!(××)!)
私: 「ここに描いてちょうだい!!」
長男: 「何を?」

私: 「むこうで○○はどんな姿だったか、描いてちょうだい!!」
長男: 「だから、姿は無いんだってば!!!」

私: 「姿が無いって、 どおゆうことお~~???!!!」
長男: 「だから~、無いんだってば~~・・・」(困ってます)

私: 「とにかく!描いてちょうだい!!」(かなり興奮してます(××))
   「イメージでもなんでもいいから、とにかく描いて!!」
強制的にペンをにぎらせ、描かせたものが、こういう絵です!
それは、羽をつけた、天使??(かなり絵はヘタです)
昆虫の羽のような・・・

そして、その羽には
みんな金色か、銀色かのラインが入っているとのこと。
○○の色は?と訊いたら、
「○○は銀色」だったそうです。

私: 「大きさは?」
長男: 「ちっちゃい!こお~んなに!ちっちゃい!」
両手の指を、(親指と人差し指)
4本あわせて、くっつけて、ほとんど、すきまはありません。
(そりゃあそうですよね、「姿はない!」んですから!(××))
むりやり絵に描かせて、いま思うと無知でひどい母親だったな~と反省です!

それから、
「どうしてママのところに来てくれたの?」
という質問に、

「上から見ていたんだよ。
 そして、白い建物があって、みんなで見に行った。」
「たくさんのお部屋があって 覗きに行ったんだよ。
 いろんな部屋を覗いて、それで、みんなそれぞれ、おかあさんを決めるんだよ。」

というようなことを、言っていました。
私: 「ほかに、ママは何してた?」
あ: 「バスに乗ってた」
私: 「え? バス?!」
  (う~ん・・・。当時は意味不明××。でしたが、
   なんと!この4月から、ママは高速バスに乗って、都心まで通っています!)

どうして、ママをえらんだの?
という質問には
「やさしそうだったから」だとか。
これもまた、ピン!と来なかったのですが・・・!!(笑) 

「ママのおなかに来るときは、どうやってきたの?」
「遠いの?!」
長男:「遠いけど、近い。
   すぐ来れるから。」(一生懸命泳いできた、ようなことも言っていたような・・・。
              すみません、あいまいです・・・××)
  「途中で木星で休憩してきたんだよ!」
私:「?木星??」(これまた壮大なことをいうなあ~・・・)
長男:「うん。こうやって、座ってたんだ。」(足を組み、その上にうでを乗せ、
                   あごを手の甲で支えるポーズ。  
                   「あご杖」とでも言えば・・・?)
   「水星にも行ったよ!」
私:「へ~」(それしか言えない・・・××!!)
長男:「太陽にも行ってきた!」

私:(・・・・・・)
  「それでそれで?!」 ←(理解できず、話しを変えるわたし。)
私:「ママのおなかに入るときは大変だった?」
あ:「けっこうたいへんだった。
  なかなか いいところが みつからなかった」
(いいところっていうのは居心地の良いところ?!

 この子の妊娠がわかったすぐあとに、
 わたしは大出血を起こして、入院しました。
 病院では、「残念だけど、よくあることだから、」と、
 慰め(?)られたくらいの出血だったようです(××)
 それでも、長男は無事にうまれてきてくれました。)
その時のことをすぐに思い浮かべました。

私:「ねえ、おなかに来たけど、
   また帰っちゃう子もいるでしょ?
   そんな子は・・・どうなの?また来るの?」
長男:「ううん、だいたいは来ないよ。
   でも、(同じ子が)来ることもある!」

私:「お母さんはどういうふうに考えればいいのかな?」
長男:「明るくしてればいいんだよ。
   ばいばいって手を振って。
   ありがとう、またねって。」

その子は苦しくもないし、来るときより、戻るときのほうが
ピューンと、早く戻れるそうです。
来るときは、ちょっと泳いだり、するのかな?
そんなようなことを言っていました。

そして、赤ちゃんをなくしたおかあさんには、
 「「また来てね!」ってつよくつよく思っていれば、
   必ず来る!!ぜ~っったい来る!!」
と断言してくれました。

天での話しを、「よく覚えているね~」と言ったら、
「ちがうよ!一生懸命、思い出しているんだよ!!」と
教えてくれました♪

わたしも、「思い出すんだ!」と努力すれば、
もしかして・・・?!

2009.07.07 投稿者:achumama

胎内以前の記憶だと思うんですが・・・

私は10年前に中絶手術をしました。

全身麻酔で処置をされているときに見た夢です。
私は雲の上にいました。
そこから、虹色の滑り台にのってずっと滑り降りてゆく・・・という夢です。
その、滑り台には、後ろで待っている女の子が2人いました。

すぐ会えるからと言って滑り降りていきました。

そうしてしばらく滑っていると真っ暗な闇の中に入っていく夢でした。

怖くて目が覚めました。

初めての麻酔で思い出したのでしょうか・・・
その当時は嫌な思い出でしかなかったのですが、本を読ませていただいて、もしかしたらと思いました。

ちなみに私には妹が2人います。

2009.06.22 投稿者:いくみ

もうすぐ4歳の息子にお腹の中にいた時の絵を書いてもらいました

息子は円の中に自分を書いて、その横にバナナを書きました
最初は「なんでバナナ?ふざけてるの?」と思いましたが、
何度書いてもらってバナナを書くのです

聞いてみても「バナナあったもん」の一点張り
しばらくして、思いついたのが、へその緒!
バナナはへその緒のことなんじゃないかと思い至りました

確かに日常生活でへその緒みたいなものってなかなか見当たらないし、自分の知っているものに置き換えたのかもしれません

たとえふざけていたとしても、嘘だったとしても、親子のコミュニケーションになればそれでいいんだし、体内記憶の話をする時は、変に勘ぐったりせず、こちらも純粋にならなければ・・と考えさせられた出来事でした

2009.06.05 投稿者:ナンギラス

現在4歳の息子がいます。絵本とお話し作りが好きでどちらかというとスピリチュアルな
男の子だと思います。

2歳半のときに語った胎内記憶
 「ちっちゃくなってママのおっぱいからお腹の中、入ったの」

 「暗かったよ、おっぱい飲んでいたの」

 「でてくるとき ぐるんぐるんして、ごろんとおちたの、まぶしかった」

 「でてきてからママのお腹の上のったの」(カンガルー抱っこ覚えているのかな?)


4歳10ヶ月のときに語った胎内記憶
 「ぼく、お空にいて、白いドレス(ウェディングドレス)を着ていた
  ママを見つけて、キレイだと思ってママのお腹にやってきたの」

 「お腹の中は赤くて、お水の中泳いでいたよ」

 「雲の上にいる神様は10人ぐらいいてみんな男、子どもたちには羽が生えていて
  みんな女の子なの」

 「お腹の中、入ってから、ぼくは男の子になるって決めて男の子になったんだ」

胎内記憶、覚えているんだなーと不思議に思い、池川先生の著書を図書館から
借りてきて息子に見せたら

 「あ、ぼくがお空で書いた本だ! 空から落っことしたんだよー」ですって

こどものおはなしって、本当にかわいいです!

2009.06.05 投稿者:kiyoppi

追記:

息子の予定日は7/9だったのですが、
私はなぜか6/29に生まれると思っていました

パパといつ生まれるだろうね?と話していて、
七夕だったりして~と冗談交じりに言っていたら、
ふと、6/29だという気がしたのです

何の変哲もない水曜日だし、別に思い入れのある日でも数字でもなく、
男の子は遅いだの、初産は遅いだの、周囲に言われていたのに、
天啓のように思いついた日にちでした

実際6/29の午前6時に、目覚めたら破水というところから出産は始まりました
そして午後1時23分に2704グラムで無事生まれてきてくれました

今思うとあれは息子からのメッセージ(テレパシー?)だったのかな・・と♪
「本当にその日に生まれたら名前はムニック(629)にしよう」と言ってたくらいナイと思ってたんですけどね~

ちなみに名前はムニックではありません(笑)

2009.05.26 投稿者:ナンギラス

もうすぐ4歳を迎える息子に一年前、胎内記憶を聞いてみた時の話です
夜、電気を消して、パパ、ママ、息子、布団に川の字になって寝転がっていました
なかなか寝付かない息子に、ふと思いついて聞いてみました

ママ「おなかの中にいる時何してた?」
息子「赤ちゃん」

これには笑ってしまいました、確かにそうですね

ママ「おなかの中は何色だった?」
息子「水があった、暗かった、寒かった」

色を聞いているのに、水があったと答えてびっくり!

ママ「おなかの中でどんなことしてた?」
息子「こんなんしてた(手足を縮めて突っ張らせての繰り返し)」

胎動を懐かしく思いました、確かによく突っ張ってました

パパ「パパの声聞こえた?」
息子「・・・(ボソボソ声で何か言う。何度聞いてもボソボソ)」

パパいわくお腹の中ではそんなふうに聞こえてたんじゃないかと

ママ「おなかの中から出てくる時どうだった?楽しかった?」
息子「楽しくないよ!しんどかった、こんなんした(体を回転させて)」

狭い産道を通るのに苦しいに決まってるけど、あえて逆を聞いてみました
胎児は回りながら産道降りてくるそうで、これまたビックリ!

パパ「おなかの中から出た後パパとママの顔見たの覚えてる?」
息子「覚えてない」

一瞬だったものね、やっぱりカンガルーケアできる病院で出産したら良かったなぁ

パパ「おなかの中から出た後何した?」
息子「布団で寝た、さみしかった」

母子同室の病院にしたら良かったね、さみしい思いをさせてしまってごめんね
一番小さくてか弱い時に一人ぼっちにさせてしまって反省です・・

この日は以上です
何度も聞くと嫌がってました
完全には覚えてない部分もあるようで、自分でももどかしいようでした

また後日に聞いてみた時のことです
ママと息子、風邪が治りかけで体調完璧でない時、一緒にゴロゴロしながら

ママ「お腹の中に何かあった?」(ヘソの緒のことを聞きたくてこんな質問)
息子「ウンチ、ポコッとでた」
ママ「ウンチしたの?○○君が?まさか今したってこと?」(オムツ確認・・大丈夫でした)

息子「ううん、ママのウンチ」
ママ「そんなことわかったの?」
息子「わかったよ。ママがウンチ、う~んってしてた」

そんなことわかるなんて恥ずかしい~
でもおもしろいですね
赤ちゃんは色んなことわかって感じて生きているんだなぁと改めて思わされたひとときでした

2009.05.26 投稿者:ナンギラス

現在4歳7ヶ月の長男、2歳10ヶ月の長女、10ヶ月の次男の母です。

長男4歳の誕生日前日。
長男が体内記憶の話を突如してくれました。内容は・・・

おなかに来る前、お空の向こうにいたこと。
長女、次男ともうひとり女の子と一緒に歌を歌ったり、踊ったり、サッカーをしたりしていたこと。

お母さんが上に登ってきたから僕が一番最初にお母さんのおなかの中に降りたこと。
(おなかの中には体操座りでいたそうです)
最初はおちんちんがなかったけど神様がおちんちんをくれたこと。

長男がおなかに宿る1週間ほど前に私が山登りをしていました。
だから「上に登ってきた」と言ったのかな?とおもったり。

もう一人の女の子がいつか本当に来てくれるのか、楽しみです★


2009.05.20 投稿者:YK

あゆは、只今6歳。いまはもう忘れてしまったようですが、
数年前にTVで胎内記憶をもつ子がいるとの話を耳にし、わが子にも聞いてみると、

ママが赤ちゃんが欲しいと願ったでしょう?
女の子がいいって言ってたでしょ?
だからままの所に来たの♪

お腹の中は、ふわふわして雲の上にいるようで、お水の音も聞こえたよ。お外に出るときは、狭いトンネルをグルグルしてきたの(^v^)と話してくれました。

2009.05.15 投稿者:あゆまま

初めまして。3歳の娘の母親です。

内の娘にも胎内記憶がありました。

以前、池川 明先生にお話しした内容と同じですが、参考になればと思い、娘との会話をメールさせて頂きました。


とある、寝付けない夜の話しです。

私が、「はじめは、お母さんのお腹の中に居たんだよ」というと、コロコロとパパのお腹の横に転がって行って、突然こんな事を言いました。

娘 「最初は、お父さんのお腹の中に居たの。それから、泳いでお母さんのお腹の中に行ったの」って

びっくりしました。今まで、何度かお腹の中の事を聞き出そうとした事がありましたが、はっきり答えたのはこれが初めて。

更に聞いてみると、
母 「お腹の中で何していたの?」
娘 「バチャバチャ遊んでいた!」
母 「寒くなかった?暖かかった?」
娘 「あたたかだったよ!」
母 「暗かった?明るかった?」
娘 「暗かった!」
母 「暗くても、怖くなかったの?」
娘 「怖くなかったよ!」

ここまでは、2才7ヶ月くらいの話しです。
最近は、あまり話さなくなりました。

でも、2、3日前にパパとの会話の中で、
「ねね(娘)は、お母さんから、ニュル!!って出てきたの!」
って、言ったそうです。
改めて私が聞いてみると、又の辺りを触りながら、お母さんのお尻からニュルッと出てきたの。」って。

更に聞いてにると、今度は体をくねらせながら、
「頭からニュルッと出たの!!」
と。

確かに、間違いないと思いますが、何だか不思議です。

2009.05.14 投稿者:アレックス

先日大葉先生の講座に参加させていただきましたときにも
大葉先生にもお話したのですが、5歳になる娘は私のお腹の中に入る前の記憶を話してくれました。

いろいろなお空を飛びまわり窓から下をのぞいてママになる人を探していたようです。
私と母が笑いながら楽しそうに買い物をしているところをみつけてこのママがいいと思ったそうです。

で、神様がやってきて『このままでいいの?このママのところではパパと離れて暮らすようになるんだよ』と聞かれたそうです。娘はそれでも『このママがいいの』と言ったそうです。

そしたら階段があって下るのでなく昇って言ったそうですがきずいたらお腹の中だったそうです。

ママを探しているときに出会ったお友達は違う国に言ってしまい『また会おうね』と約束したそうです。
私は今シングルマザー。かなり娘に寂しい思いをさせてしまい胸を痛めるときもありました。

しかし娘ははるかが選んだんだからいいの。ママは笑っていたからきたんだよ。笑ってよ!といわれました。この記憶のおかげで私は今救われています。
この子に選んでもらったんだから今のままの私でがんばろうと思いました。

2009.05.01 投稿者:土屋奈緒子