今日もいいお天気でした〜。
恵比寿でお友達とランチをしたのですが、気持ちのよい午後だったせいか子どもたちがたくさん遊んでいて、思わずベンチに座って子どもたちウォッチングをしてしまいました。
さて、今日はぐっときた1冊本をご紹介。
4年ほど前に「オニババ化する女たち」という本が話題になったのを覚えていらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、その著者である、三砂ちづるさんの新しい書籍「タッチハンガー」です。
「タッチハンガー〜がんばり続けてなお、満たされないあなたへ〜」
タッチハンガーとは、Touch=ふれあいにHunger=飢えている人たち、のことで、ふれられたい、しっかり抱きしめられたいという人としての欲求のことです。
副題ずばり!な女性が多いんじゃないかなぁ、と思います。
一生懸命働いてきたけれど、ふと気づいたら、どうしようもない孤独感に襲われてしまったり、自分で自分を抱きしめるしかそのときのつらさを押さえることすべがなかったり。。。。
命を産むということ、流産が意味するもの、認知症や大切な人の死が気づかせてくれること、など、人の根源について、三砂先生のエッセイがぎゅぎゅっと詰まっています。
■タッチハンガー
あなたが欲しいのは、燃え上がるような恋愛でしょうか。
身も心も焼き尽くすような、激しい恋でしょうか。恋人が欲しい、誰かにそばにいてほしいという思いは、しかし、ひょっとしたら、そっと誰かに抱きとめられ、受けとめられ、背中をなでてもらいたいということではないでしょうか。今の日本では、恋愛を通じてしか抱きしめられ、やさしくなでてもらうということができなくなっています。セクシャルなニーズのもっともっと前に、そっとふれられたい、しっかり抱きしめられたいという人としてのニーズがあることに、なかなか気づけずにいます。
リストカットを繰り返す16歳の女性が「小さいころからお母さんに抱きしめてもらいたかった」という新聞記事がありました。ひとごとではないと思った方も多いのではないかと思います。お母さんがあなたを最後に抱きしめてくれたのはいつでしょう。。。。。
わたしたちは世代として抱きとめられていない。
そう思えば、あなたも、あなたのとなりにいる友人もお父さんもお母さんも、みんなやさしくふれられることを望んでいるのがわかります。またねっていうかわりにそっと相手にふれられないでしょうか。
一生懸命仕事をしながら出産した女性たちに話を聞くと、産後鬱になってしまったと打ち明ける女性たちがとても多いことに驚きますが、三砂先生もこんなことを書いていらっしゃいます。
■思うようにならないことを学ぶ
今の働きざかりの女性たちは本当にがんばっていると思います。いわゆる、キャリアを重ねられてきたような方はとくに、がんばれば自分の思うようになってきたと感じられる方も多いでしょう。(中略)
最近、あるがままに受けとめられた、自分が自分であるというだけで存分に愛されたという感覚をもてないでいる大人がとても多いと感じます。意識できているいないにかかわらず、あるがままに受けとめられなかった自分、十分に愛されなかった自分をどう受け止めればよいのか苦しんでいる人、あるいは親や親密な人に対してきつい思いを抱いている人も少なくありません。依存や嗜癖、精神的なしんどさ、なんとなくの体調不良といったことの根底には、こういう思いもあるのではないでしょうか。
社会的評価が得られるようにという価値観のみで育てられると親との葛藤を生みやすい。働き盛りの女性で母親との関係に悩む人はとても多い。こうした葛藤はどこかで解決して、それから先を生きるようにしないと自分がつらい。結果としてはどんな育ち方をしたとしても、子どもの側からは、親や時代を許さないと、先にいけないのでしょう。
「許す」というのは、とても難しいことだけど、まずはありのままの自分でいいんだ、って自分を受け入れるところからスタートすればいいのかもしれませんね。
■ふれることができる、ということ
からだがあるということの恩寵。お互いにからだがあるということのありがたさ。今の世をからだをもって生きるということのほうが、むしろ、つかの間のごほうびのようなものであるということ。生きているということは、「あなたにふれられる」ということなんですね。命あるあなたにふれていたい。命あるわたしにふれてほしい。それは、人間の根源的欲求であるというより、生きることそのものなのでしょう。
目の前にあなたがふれていもよい人がいるならば、あなたにふれてもらうことを望んでいる人がいるならば、勇気を持ってふれてください。誰かにふれることで、実はあなた自身がその人によってふれられてもいる。
身近にいる大切な人に愛情を持ってふれていきましょう〜。
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