「うまれる」から「うまれかわれる」

昨日ご紹介した、気仙沼で被災した方が、避難した土地で上映会を主催してくださり、
上映後いただいたメール
のほぼ全文をご紹介いたします。

※ご本人には許可をいただいています。

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・・・終わったね・・・。

上映も終わり、会場を片づけ、事務所に戻りケーキの差し入れを食べ終わり、
解散して駐車場に向かう時のボランティアさんの一言。

背中に突き刺さりました。

ともに2ヶ月、試行錯誤で進めてきた上映会。
色んな気持ちがあったのだろう。

無事におわり安堵と共に訪れたのは通り過ぎたひと夏の経験。
涙ぐみながら車で去っていく彼女の背中を見て一言。

「ありがとう」

そんな上映会でした。

上映中は終始泣き声が響き渡っていました。
老若男女のすすり泣き。

上映中に涙をこらえていた隣のお腹の大きいお母さんに、
「泣いてもいいですよ・・・」とさりげなく声をかけました。

そのお母さんは会場のロビーに出て行き、おもいっきり泣いてました。
多分・・・登場人物の誰かに自分がかぶっていたのでしょう。

エンドロールの最後まで誰一人、席を立つ者はいませんでした。
今思うと立たないのではなく、立てなかったんですね。
涙は他人にみせたくないものですから。

実は私・・・3月20日に千葉の嫁の実家に来たんです。

あの忘れもしない3月11日14時46分の未曾有の大震災にて
生まれ育った宮城県気仙沼市を失って・・・

家も流され何もかも失った時、
自分と同じ状況の方々に多大なる支援をいただきました。

地震後、たまたま営業で車で走っていた私は
すぐ長男の幼稚園にいき、嫁たちを待ってました。

家が流されていると知ったのは翌朝(12日)5時。家はなく水の中。
丘の上から見た気仙沼市内は地獄絵図でした。

その場でしゃがんだのを覚えてます。

あの現場を見れば嫁の生存はあきらめざるをえなかったから。

当初は途方に暮れた。ただそれだけだった。

翌日(13日)も幼稚園に長男を頼み探した。次々と知り合いが見つかるたび
・・・なぜ・・・うちの嫁だけ・・・
と思うようになったのを覚えています。

嫁は、車で二男と避難中に波にのまれました。
(長くなるので淡々と書きます。すいません。)

通常、津波の恐れがあるときは車移動は厳禁なのが地元では常識ですが、
千葉の生まれで気仙沼に来て5年。

津波なんて頭の隅にもないでしょうから、地震後、とりあえず人の流れについて走ったそうです。

案の定、道路は大渋滞。徐々に車を乗り捨て全く走れなかったとの事。

波にさらわれ慌ててチャイルドシートの二男(当時2歳)のベルトをはずした時、波は車を全て呑み込んでいた。ドアは開かない。次々車が流されて行く。

その時、後ろから流されて来た車に後ろの窓を壊され、水が入り込む。
嫁、慌ててそこから脱出。左手に二男を掴みながら。

泳げない嫁が浮いたのは寒い日でダウンジャケットを着ていた為。
海水から抜けると目の前には瓦礫と叫ぶ人の声。

嫁は瓦礫に二男をのせ自分も乗ると、知らないおじさんが、
「こっちこっち!!!大丈夫か!!!」
家の2階から叫んでたそうです。

なんとか瓦礫をかきわけ、おじさんの家の2階に避難。
既に1階は水の中。あと少しで2階に水が入り込む状態との事でした。

びしょぬれの嫁と二男におじさんは毛布を貸してくれました。
翌日(12日)午後。嫁と二男はおじさんと共に自衛隊により救助。
救助されても確認する手立てがなく、嫁と出会えたのはその翌日(13日)の夜。

嫁の存在を気付いたのは私が12日の朝に書いた避難所のメモでした。
そのメモに嫁が13日の朝に気付き「ここにいる」と記入。
それをたまたま見た幼稚園の職員が私に連絡。

嫁と再会した時、嫁は涙を流したが私は流れなかった。

涙は枯れ果てていたから。

嫁の涙をみたのはそれが2回目でした。
1回目は長男が誕生した時。
長男より泣いていたのを覚えてます。

生きているではなく・・・

生かされている。

この世にうまれるときに流す涙。
生きていると実感した時の涙。
どちらも似ていると思いませんか?

あれから5ヶ月・・・

いまだに現場は悲惨な状態です。

当初、慣れない土地に戸惑い、かなり心も疲れ涙も枯れ果てていました。

・・・うまれた事に、生き残った事に後悔さえしました・・・

しかし周りの人々の温かい事温かい事。

今の職場も嫁の姉の友達に紹介してもらい勤めてます。
そんなこんなで何もかも初めてづくしの上映会経験でした。

今回「うまれる」の上映にあたり色々な方にめぐり合い色んな思いをしました。

自分の中では「うまれる」から「うまれかわれる」になった気がします。

涙は枯れ果てたと思っていましたが、「うまれる」を見るたびに涙が流れます。

そう、この世にうまれた時の様に(*^_^*)

第1章 あの時の自分...

目を閉じながら携帯を取り出し、
眼下にそびえる景色を避けるようにしてメールを読み返す。

11/02/11 14:46:55

緊急地震速報
宮城沖で地震発生
強い揺れにそなえてください。(気象庁)

すべてはここから始まった。

僕は気仙沼の外観を走るバイパスを走行中だった。
魚市場の近くにある実家の様子が気にならないわけでもなかったが、
揺れがおさまると迷わず西に向かった。

この地にうまれた時からの教えなのか、津波が来る...と胸騒ぎしたからだ。

ただ単に西に向かったわけでもない。
山の麓にある長男の幼稚園に一直線に向かった。
その時、嫁に送ったメール。

3/11 15:03
パパ大丈夫。ママと次男大丈夫かな。パパはこれから幼稚園に長男を迎えに行く。

幼稚園に着くと不安そうな園児達を温かく見守っていた先生たちが迎えてくれた。
すぐさま長男を確保すると嫁にメールを打った。

3/11 15:22
ママ大丈夫か?長男確保。幼稚園んで待つ。

余震は相変わらず続く。まだ嫁から返信がない。

3/11 15:53
ママ連絡下さい

待てど待てど返事はこない。

この時、僕はこの町がどんな状況だったのかまだ知らなかった。

3月中旬の空はすぐ暗くなる。
度重なる余震に不安を抱えながら、残された園児と先生と僕ら二人は幼稚園バス
にて夜を過ごす。

雪が降ってきた。
車内の光に反射して白いのがわかる。

時折、爆音が聞こえる。
町の中心が大火事で赤く染まっている。

なんとも言えない状況に誰一人言葉を発する者はいなかった。
こんなメールが残っている。

3/12 1:28
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫みんな生きてる。大丈夫

3/12 4:40
ママ次男大丈夫か。パパ長男は幼稚園。

返事は来ない。くるはずがない。

すでに嫁の携帯は海の藻屑になっていたのだから...

そうとも知らず最後にもう一度メールしている。

3/12 14:26
助かれ助かれ助かれ。お願いしますお願いしますお願いします。

あの時を思い出すと目頭が熱くなる。

空を見上げる。

眼下に見える景色を見たくないだけじゃない。
枯れ果てたと思っていた涙を、もうこの地に浸したくはないから。

第2章 あの時(嫁)

目を閉じて心を落ち着かせる。

14:46
実家の2階で次男とテレビを見ていた。あまりの揺れに身動きができず、
とにかく揺れが収まるまで抱き合っていたとの事。

14:55
嫁は次男を車に乗せ幼稚園に向かう。
地元では津波の避難に車を使用するのは厳禁だった。

身動きができず流されてしまうからだ。
しかし500キロも離れたところから来た嫁にその格言は知る由もなかった。

走行中にパパのメールに気づく。
(長男確保)の文字に安心し愛犬(チワワ)をそのままにしていた事に気付きUターンしてしまう。

15:10
チワワを確保し再度幼稚園に車で向かう。

今思うと、これが生か死かのターニングポイントだった。

車は渋滞。全く進まない。まだ波はこない。
5分後、あの悪夢が嫁を襲う。

15:20ごろ
左から波が襲う。前から川から溢れ出た波が襲いかかる。車は流され水にのまれる。流れた後ろの車がぶつかる。
後ろの窓が割れる。水が勢いよく入ってくる。
車全体、水につかる。

もがきながらなんとか後ろの窓から脱出する。
左手に小さな次男の手をつなぎながら。

そのつながった二人の手は水の中でも離されることはないだろう。
へその緒でしっかりつながっていた二人なのだから。

二人とも海面から顔を出すと「プッハー」と息をした。
なんとか次男を瓦礫の上に押し上げる。

嫁は周りの地獄絵図に気にしてる間もなく瓦礫にあがる。
また二人の手がつながる。

近所の2階に避難していたおじさんが瓦礫の上の嫁たちに気づく。
なんとか2階に避難する。

一晩、余震や家事の不安・寒さに耐えしのぐ。
翌日(12日)午後、おじさんと共に嫁と次男が自衛隊に救出される。

なんとも言葉にできない現実がそこにはあった。
現実はどんなテレビの映像や写真で見るより酷だった。

停電が続き、携帯もつながらない。連絡手段がない状態。
結局、嫁と次男に再会できたのは更に翌日(13日)の夜だった。

第3章 再会

震災翌日、丘の上から見た気仙沼は壊滅的だった。

実家は流れ水の中。
あちこちに散らばる瓦礫、残骸。

その場にしゃがみ込む自分がそこにいた。
知り合いに逢う度、「いきててよかった!」と抱き合った。

心のどこかに...

何故嫁と次男は...

と思っていた。
今思うと目の前にしたあの光景に全てを失わされていた。

嫁と再会出来たのは一つの連絡紙だった。

自分の名前を書き生存している事を伝え探してる人を書いた。
丘から見る前に書いた連絡紙。

見た後は意味のない連絡紙になっていたと思っていた。
翌日午後に救助された嫁はその翌朝(13日)にメモに気づき(次男とここにいる)と記入。

それを見た幼稚園関係者が幼稚園にお世話になっていた僕に連絡。

まさか...

それが最初に思った気持ち。
長男には言えなかった。
この目で嫁を見るまでは。

暗い避難所へ長男と向かう。
幼稚園で借りた懐中電灯の明かりを照らしながら。

嫁と次男に出くわす。

何も言わず抱き合う。

僕は不思議と涙は出なかった。

枯れ果てていたからね。

我慢強い嫁は僕の目の前で涙を流した。
嫁の涙を見たのは2回目。
1回目は長男がうまれた時。

痛みとうれしさの混ざったうまれた瞬間にに長男に見せた涙。
そして生きて再会出来たときのあの涙。

僕には嫁の貴重な涙。
不思議とどちらも似ている涙だった。

走馬灯の様に脳裏を駆け巡る。

第4章 旅立ち

走馬灯の様に脳裏を駆け巡る。

嫁の父と嫁の姉の旦那が気仙沼まで500キロの道のりを10時間かけて迎えに来たのは3月20日。
100㍑のガソリンをかき集め夜通し走ってきてくれた。

嫁の父に気仙沼に継がせた事を申し訳なく心が痛んだ。

しかし嫁の父はそんな事には微塵もふれず私と嫁と孫二人を快く迎えてくれた。
後ろ髪を引かれる思いだったが...僕に出来る事は嫁と長男次男の未来だった。

嫁の実家に引っ越しをする。
土地柄も違う慣れない町に気仙沼から被災して来た自分にかなりお世話してくれる。
助けてもらった。

あれから1ヶ月...2ヶ月...
心が病んでいく。

慣れない土地、あの3.11のフラッシュバックに耐えられなくなる。

あの日、

僕は何故生き残ったのか...

うまれた事に助かった事に後悔さえしていた。

間もなく映画『うまれる』にたずさわった。

震災から5ヶ月。
絶望の中から見様見真似で始まった上映会が無事終了し答が出る。

生きてるのではなく生かされている事に。

親を選びうまれたならうまれた場所が気仙沼である事に全く悔いはない。
決して短い命だったとしても。
ずっと冷蔵保存されていたとしても。
チューブが付いてたって体の一部だ!って笑ってやる。

人は...うまれかわれる。

第5章 今後

空を見上げながら口元を緩める。

堪えきれなかった涙が一粒気仙沼の地にこぼれ落ちる。
これで終わりにしよう。
悲しい涙で気仙沼を潤す事は出来ない。

母なる大地に胸を張る。
瓦礫の中でも負けずに生えている草の様に。花の様に。

草の上に大の字に寝てみる。
何故かうまれる前を思い出す。

母なる大地に、胎児の記憶が蘇る。
うまれるからうまれかわれる自分がそこにいる。

最終章 感謝

「うまれる」により前を見れる様になった男がいます。パパがいます。
制作に携わった方全てに感謝します。

言いたい事はこれだけです。

ありがとうo(^-^)o

うまれてきて...よかった。

あとがき

引っ越し先で露頭に迷った自分にあらゆる方(嫁友、嫁親、嫁の親戚、近所)から支援して頂き誠にありがとうございました。
今の就職先も嫁の姉の友達による紹介です。

「こんな映画がある。」

所長から話されたのは6月中旬。
8月中旬に実行する部会によるメインイベントに上映会をするとの話。

申し込みがなにかの不具合で所長がメール出来ず声をかけられたのが最初でした。
今考えると上映会なんてとても出来ないと言っていたかもしれない。
携わった事はむろん上映のイロハのイも知らない。

僕には何もなかった。

だから上映会と言われても素直に受け入れられた。
忙しい所長に変わりメールで連絡を取るにつれ、うまれるに引き付けられている自分がそこにいた。

わかりやすいホームページ。
わかりやすいメールの返答に不安も少しづつ取り除かれていく。

僕の背中を最後に一押ししたのは今、側で気仙沼に残った両親と楽しそうに話し笑っている嫁と子供たち。
僕の側で横になって寝ている愛犬チワワ。
みんな前向きに歩いていける。
全員でなくても一人でも何かを感じて貰えれば幸いです。

長い文章、最後まで付き合って頂き誠に感謝しております。

「うまれる」は僕にとってのバイブルです。

あの日、僕が走っていたバイパスには綺麗な花が植えてありました。
赤、紫、黄色。

縁石に長い距離植えてありました。
何事もなかったかの様に。
バイパスの入り口に沢山の風車。

「負けないよ、気仙沼」の文字。

いつか気仙沼市民会館で開催したいな。

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