映画『うまれる』被災地での感想

昨年の12月から2月いっぱいまで、
東日本大震災の被災地で無料上映サービスを行っておりましたが、
おかげさまで約20箇所で開催いただく事が出来ました。

上映してくださった主催者の皆さま、
誠にありがとうございました!

いくつか感想をいただきましたので、
シェアさせていただきます。

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震災で亡くなった人が沢山いるけれど、どこかでまたうまれかわるのでは
ないかと思う。生きている事に感謝です。

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原発事故がおきた今、子供達の命が優先されない現実もありますが
それはあってはならない。1つ1つの命が大事にされるべきだと思いました。

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生きているという事が、とてもすばらしい事だと思いました。
そして「生まれかわる」という事も深く考えさせられました。

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死と生はとなり合わせかなと思いました。
今年はたくさんの人の命がうばわれたけど、たくさんの新しい命も
うまれてほしいです。

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震災でたくさんの人が亡くなった中で、新しい命も誕生している現状に
生命の深いものを感じた。

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今後も出来る限りの被災者支援活動に取り組んでいきたいと思います。
ありがとうございました!

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「うまれる」観ました。

アンケートを書こうと思いましたが、想いがあふれて書ききれず、保健師さんに相談したらホームページから投稿したらとアドバイスしていただき、お便りしました。
チラシを見た時から、虎ちゃんに長男を重ねて見ていました。

静岡から愛知に嫁いで27年。子どもは23歳の息子と19歳の娘がいます。

2人とも元気に育ってくれて、今は神奈川と静岡の大学にそれぞれ通っていて、家では主人と主人の両親の4人暮らしです。

この映画を観て、ずっと自分の中で解決して抑えていた気持ちがあふれてきてしまったようです。

私は25歳・27歳・29歳・32歳で、4回妊娠・出産しています。
でも、長男と三男は、生後9ヶ月と3ヶ月で亡くなっています。

2人とも、予定日より早く生まれてしまい、未熟児・新生児仮死でした。

田舎の産院にかかり、最初の出産は里帰り出産だったので、いろいろな「なぜ?」を投げかけても、どちらの先生からも「出産をみていないから」「経過を見ていないから」と言われ、苦しかった記憶があります。

出産後、救急車で新生児センターのある大きな病院に運ばれた長男は、最初にみてくださった先生が驚くほど成長し、約4ヶ月の保育器生活の後病室に移って、私の付き添いで約3ヶ月病院で過ごしました。

育児が初めての私は、ただただ可愛い息子と毎日夢中で過ごしていました。
9ヶ月の生涯、鼻腔栄養だった息子、泣くとすぐにチアニーゼを起こしてしまう息子。

だから退院する時は、鼻腔チューブの入れ方も覚え、喉や鼻の吸引の機械も買って私ができるようにし、お出かけ用の酸素吸入の機械も買いました。

なぜなら、我が家は一番近い小児科のある病院まで、車で1時間かかる山奥にあるからです。

こんな状態で、周りの人には「お母さんがしっかりして」とか、「大変だねえ」「失敗だったね」など、いろいろ言われたりもしましたが、なにせ初めての我が子は他に比較する子どももいないし、とにかく可愛くて笑ったり、一緒に絵本を見たり、歌って手をトントンしたり、一緒にいることが幸せの全てでした。

だって、保育器から出て、いつでも一緒にいられたのですから。

退院後、静岡の実家で1ヶ月過ごし、いろいろなことに慣れて「もう家に帰ってもやっていける」と安心できるようになって、愛知の家に戻りました。

私が幸せだったのは、実家の両親も主人の両親も、みんながただひたすら息子を大事に、かわいがってくれたことです。

小児病棟にいると、いろいろな子どもとその家族を見ます。
だから、自分の家族に感謝でいっぱいです。

退院してからも、嚥下のリハビリに通ったり、専門の病院で検査してもらったり、体調が悪くなって入院したり、バタバタして、秋に入った頃亡くなってしまいました。

明け方、息をしていないと気づいて救急車を呼んで病院に向かいましたがだめでした。

実家の母が「光ちゃん、もう検査もリハビリもなくて、いい顔して眠ってるね」と言ったのを覚えています。

検査やリハビリに行く日は、決まって体調が悪くなった息子でした。

次男は、総合病院で里帰りをせずに出産すると決めて産みました。
やはり予定日まではもたなかったものの2700gあり、小さく生まれたわりに同級生の中では一番大きくなって、ありがたいものです。

もう大丈夫だと信じきっていたので、年子で次の赤ちゃんを授かって、なんの心配もせず過ごしていたら、早産になってしまい3男を出産しました。

次男と同じ病院で、家から車で1時間かかります。

3男は黄疸がひどくて全身輸血などもしたり状態が重篤で、結局保育器から出られないまま、3ヶ月で亡くなってしまいました。

「どうして私だけこんな目にあうの!?」

と叫びたい気持ちでした。

亡くなった小さな息子を、私が編んだおくるみにくるんで抱きながら車で帰る時、「このまま天国の光ちゃんの所へ行っちゃう?」と、主人に言ったほど、絶望でいっぱいになっていました。

次男がいなかったら、そうしていたかもしれないほど、神様を恨みたい気持ちでいっぱいでした。

私も主人も3人兄弟です。
だから、子どもは3人は欲しいとあたりまえのように思っていました。

でも、3人も産んだのに1人しか残っていない。
この不条理!!

「生んだ数だけ子供がいるっていいなあ」と、どれだけ周りをうらやんだか知れません。

流産した知り合いに「あなたの子は、ちゃんと生まれて名前も付けてもらって幸せだ。あなたが羨ましい」と言われ、「10ヶ月近くおなかに入れていた子を出産してから亡くす方がつらいんじゃないか?」と悔しがったり、近所の人に「お宅は夫婦が血液不適合だから、子どもが亡くなるんだってね」と言われ驚いたり、もうグチャグチャの精神状態でした。

主人は「今度出産するときは、出家する」と言ったくらい、二人とも行き詰まっていた気がします。

医学の進んでいる今の現代に、どうしてこんなことになるのか訳がわからず、でも、どうしてもせめてもう1人子どもが欲しくて、長男を診てもらった病院の産婦人科に行って聞きました。

「私はもう赤ちゃんを諦めたほうがいいですか」と。

その時の先生がおっしゃったのは、
「卵巣は2つあって、左右交互に出産にかかわるという説もあるので、あなたの場合、1回目と3回目が悲しい結果でも、今度は大丈夫かもしれませんよ。他に何の問題もないのだから、がんばって」というようなお話でした。

とにかく嬉しくて、その女医さんに抱きついて「ありがとうございます」を繰り返していました。

子宮が回復して、赤ちゃんのベッドが整うように年子は避け体調を整え、やっと授かった4人目は、自宅から車で3時間近くの新生児センターのある総合病院で産みました。

元気な産声をあげて生まれてきたのは、周囲や自分の予想を裏切り、嬉しい女の子でした。

お陰様で2人の子どもは天国の兄弟の分も元気に育ちました。

私は、田舎で子育てをする若いお母さんたちが少しでも不安をなくし、楽しく過ごせるようにお手伝いをしたいと思い、子育てネットワーカーとしてささやかですが活動しています。

おやつ作りや絵本の読み聞かせや、ただおしゃべりをしたりですが、せまい地域なので、どの子もどのお母さんもみんな顔見知りの状態は、とても楽しくて幸せな毎日です。

若いお母さんや子どもたちからたくさん癒されます。パワーをもらえます。

そんな幸せな毎日を過ごしていますが、

「赤ちゃんは短い一生だとわかっていても、お父さんとお母さんの子に生まれたくて、選んで降りてきたんだよ」

というのは、私の中の何かを揺り起こしました。
そんなこと、一度も考えなかったから。

涙が止まらなくなりました。

「光ちゃん、ひいくん、そうだったの?あれでよかったの?」
しまっていた想いがあふれてくるようでした。

長々書きました。

こんなに 夫以外の人にこの気持ちをぶつけたことはありません。
最後まで読んでくださったのなら感謝します。
  
この映画を観て、抑えていたものが解放されて、救われた気がします。
そんな人が増えていきますように、お祈りしています。
ありがとうございました。

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