たまーに誤解されるのですが、
僕は「胎内記憶の信望者」という感じではありません。
「あったら楽しいだろうな」という気持ちと、
実際にその可能性を考えてみた事で人生が好転したという点から、
「もし、胎内記憶で前向きになれるなら信じてみると良いのでは?」
というスタンスです。
なので、
「胎内記憶で前向きになれないなら信じなくて良いのでは」
とも思っています。
書籍や映画でもお伝えさせていただきましたが、
不妊、障害、虐待、戦争など、数々のネガティブな経験をされた方にとっては、
受け入れるのが難しい部分があると思います。
※ 映画『うまれる』第一回イベントの時、左から豪田トモ、大葉ナナコさん、久保純子さん、池川明先生
映画『うまれる』の中に、長年、不妊治療を続けたものの、
お子さんを授からなかった女性が
「どうして中絶する人のところには赤ちゃんが来て、私のところには来ないの?」
というシーンがあります。
これは胎内記憶の二面性と曖昧性を表現していますが、
編集段階では、「このシーンはカットして、"子供が親を選ぶ"という立ち位置を明確にした方が良い」という意見もありました。
でも、僕は胎内記憶の二面性をお伝えした方が深みが出るとも思ったし、
そもそも僕が前述した考えを持っているので、
このシーンは敢えて、残させていただきました。
先日、胎内記憶の伝道師として知られる、敬愛する産科医の池川明先生と対談をさせていただき、意見が一致したのですが、
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実は僕も池川先生も、
胎内記憶を知って欲しいとは願っているけれど、
信じて欲しいとは思っていない
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んです。
それは前述の通り、胎内記憶、ひいては
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物事には常に二面性・多面性があり、
人それぞれの人生経験によって、
受け取り方が異なる
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からです。
僕と池川先生とで一致を見たのは、
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「胎内記憶」という概念で本当に伝えられるべき事は、
「子供が親を選ぶ」という信じる事ではなくって
(もちろん、それはそれで良いのですが)、
「物事には見方によって様々な考え方があるので、
自分にとって前向きになれるものを受け入れて行きましょう」
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という事。
僕は
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捉え方によって印象の異なる「胎内記憶の曖昧さ」が、
日本の「わび・さび」とつながる部分があり、
とても日本的な考え方
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だなぁと思うんです
主に一神教のキリスト教を文化の背景にしている欧米では、
「Yes」か「No」かの二者択一論が大勢を占めます。
カナダのバンクーバーに4年近く過ごした経験からも、そう感じます。
しかし、
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八百万(やおよろず)の神を認め、
仏教、儒教、神道、キリスト教など様々な神が入り乱れる日本では、
本来、「曖昧な多様性」が受け入れられる素地がある=====================================================
と思うんです。
日本人はすべての物事をクリアにするというよりも、
色々と曖昧なままにしておく傾向が多々ありますが、
これは決して悪い事ではなく、日本人が古来から持っている特性で、実は
【受け入れ間口が広い】
という点で素晴らしい。
これが胎内記憶という、非科学的でファンタジーな考え方が、
割と多くの日本人に受け入れられている理由の一つではないかなぁと思います。
監督・父
豪田トモ
こんにちは。広島で産婦人科医をしている藤原紹生と申します。
胎内記憶の日本的曖昧さ、ですか。 なるほど、面白いですね。
勉強になりました。有難うございます。
ちなみに、私、6月に広島の二か所で行われる『うまれる』上映会のPRもかねて、地元のFMラジオに出演してきました。
そのことが、番組ブログで紹介されていますので、どうぞご覧になってください。
http://blog.livedoor.jp/smilepafe/