僕が敬愛している映画監督の一人に、中国のチャン・イーモウ監督がいます。
彼はカンヌ、ベルリン、ヴェネツィアという三大映画祭でグランプリを取った現存する唯一の監督で、ドラマからアクション、ドキュメンタリー・タッチの作品まで様々なジャンルにチャレンジし、たくさんの傑作を生み出してきています。
実は僕が彼を敬愛する理由は、良い作品を作っているから、とはちょっと違うんです。
どういう事かと言うと、彼が
「遅咲きの苦労人」
だからです。
1951年生まれのチャン・イーモウ監督は1960年〜1970年代に起きた
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文化大革命に巻き込まれ、15歳から10年間、
下放(地方の農村で肉体労働を強いられること)
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されてしまいます。
いわば、貴重な青春を奪われた形になりますが、その時に写真の魅力に取り付かれた事が、後に映画への道を開きます。
当日は絶望と失望の日々だったと思いますが、
【すべての事に意味がある】
んだなぁと思わせてくれます。
北京に戻り、「本格的に映画を学びたい!」と思い、27歳の時に国立の有名な映画学校に願書を提出しますが、年齢制限によって却下(たしか25歳まで)。
しかし、チャン・イーモウ監督は「文化大革命のせいでこの年での願書提出になってしまったのです」と、諦めずに事情を説明して、何とか「オーバーエイジ」で入学を認めてもらいます。
すごい執念。
そして行動力です。
日本よりも国の威圧が強いでしょうから、
強い信念と勇気をお持ちなのだなぁと思います。
おそらく学校では、彼は一番年上で「おっさん」。
そんな中で頭角を現し、
37歳の時に「紅いコーリャン」という作品で
長編映画監督として鮮烈にデビュー
しました(その作品でさっそく、ベルリン映画祭で賞を受け取っています)。
僕は29歳から映画を学び始めました。
新婚6ヶ月の時にカナダのバンクーバーに行って映画を学びましたが(その後、離婚。。。)、
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周りはほとんど20歳前後の若者で、
30名のクラスメートの中に
アラサーの「おっさん」はほとんどいません
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でした。
※ バンクーバー時代 地毛ではありません(笑)。
世で大成している映画監督の多くは、若いときから映像を作り始めています。
スピルバーグ監督、「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン監督、「シックス・センス」のMナイト・シャマラン監督など、10歳に満たない時に既に「初監督作品」を作っています。
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29歳から映画監督を目指すのは、
30歳からJリーガーになって、
日本代表を目指すようなもの
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で【無謀中の無謀】でした(笑)。
でも、「遅咲きの苦労人」であるチャン・イーモウ監督の事を思い出しながら、頑張ってきました。
そして38歳の2010年、『うまれる』で劇場公開映画を作らせていただく幸運に恵まれました。
※ 娘はまだお腹の中にいましたー♪
僕が経験したことは
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・夢を実現するのにスタートする年齢は関係ない
・自分の将来を決めるのは、自分の意思と行動力
・周りの支えがあって、自分の夢に近づける
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ということです。
(全部がすべての人に当てはまるわけではないと思いますが)
ただ、
元々の僕の夢は一本の映画を作ることではなく、
たくさんの良い映画を作り続けること。
これからも、謙虚に、そして強く、頑張っていきたいと思います☆
監督・父
豪田トモ
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