※ バンクーバー時代。たくさんの仲間に支えてもらっていました。
このブログをお読みいただく頃、
僕らはバンクーバーに到着しているかと思います。
6年ぶりの「帰国」はフィルムメーカーとしての自分の
「原点」に帰るような気分でもあります。
浪人生の頃に「映画監督になりたい!」と思い、
学生時代は独学で映画製作を学んだものの、
いざ就職活動の時期になって「映画監督のなりかた」が分からなくて
あっさりギブアップ。
失意のままコンピュータ会社に勤め始めたものの、
営業という自分の資質とは合わない業務と
数々のプレッシャーに襲われ、いわば、
適応障害(ウツ状態)になりました。
人生、一度きりだから、トライしてみよう!
と思えるようになり、貯金を始め、2002年、29歳の時に
単身、海を渡りました。
当時の奥さんとは離ればなれでしたが(後に離婚)、
【10年越しに夢を追いかけられる事にとても幸せ】を感じていました。
※ バンクーバー時代。自前ではありません(笑)。
クラスメートは皆、20代前半で、僕だけ「おっさん」。
北米は映画先進国だけあってレベルも高く、
自分に十分な才能があるのかは最後まで分かりませんでしたが、
毎日がワクワクドキドキで、とにかく一生懸命でした。
いま思えば、
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天才的才能のない自分を伸ばしてくれたのは、
熱意と行動力と周りのサポート
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なのだろうと思います。
※ バンクーバー・フィルム・スクールの卒業式にて
自分より才能のある人は、正直、ゴマンといる。
それは自分でも認めます。
でも、当然のことながら、大切なのは、
生まれ持った才能だけでは成功は掴めません。
熱意を持って、
周りとつながりながら、
一生懸命、行動した事は、
僕の人生にとって、かけがえのない体験になりました。
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実現するかは分からないけれど、
夢を持つ事、そして追い求めて行動する事、
それだけでも意味がある
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ものなんだなぁと思いました。
おそらく、僕が自分の夢を実現できなかったとしても、
たくさんのものが自分の中に残ったはずです。
そんな「原点」と6年ぶりに向き合ってきます。
さて、バンクーバーではどんな出来事があるのでしょう〜?
監督・父
豪田トモ
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