監督・父の豪田トモです。
以前もご紹介させていただきましたが、
長野県の児童養護施設・軽井沢学園の高根英貴さんが
書かれている、とっても素敵な日記です。
許可をいただいてご紹介させていただきますー。
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軽井沢学園には、
昔から誕生月に子ども達を外食に連れていくという習慣があります。
施設暮らしでなかなか外食をする機会のない子ども達ですから、
ひと月以上も前から、
「ボクは誕生外食に"ガ○ト"に行きたい」
「わたしは"ス○ロー"がいい」
とか、それはもう楽しみで仕方ないといった感じです。
数年前、私は高3のケンジ(仮名)の他、
3人の子ども達を連れて焼き肉に行きました。
普通、高校生ともなれば親と出掛けるよりも
友達付き合いを優先しますが、
この日ばかりはケンジも急いで帰ってきました。
店に到着し、皆で焼き肉を食べながら、
たわいのない話で盛り上がったのですが、
そんな中、ケンジはふとつぶやきました。
「俺さ、小5の時に親から虐待を受けて学園に来たでしょ。」
突然の話題にドキッとしましたが、
私は「そうだったね。」と、あいづちを打って続きを聴きました。
「俺さ、学園出てから、もし親に会ったら殺すかもよ。」
冗談交じりの言葉でしたが、
私は動揺を悟られまいと冷静に反応します。
「そうか~、ケンジは今、そんな風に思ってるんだ~。
あの時は大変だったもんな、
ケンジが初めて学園に来た時の事は今でもはっきり覚えてるよ。」
私はケンジの口から出る言葉を否定しませんでした。
その後ケンジは、
「な~んて、冗談だよ。」
と、笑顔で言いましたが、おそらく本心でしょう。
おねしょをしてしまった翌朝は親に殴られる。
殴られたくないから夜尿がばれぬよう押し入れに衣類を隠す。
それが親にばれて再び殴られる・・・
この繰り返しによって、
ケンジは親に嘘ばかりつくようになりました。
そして、学校でも嘘ばかり。
「こんな嘘つきの子どもは、これ以上面倒見られない。」
そんな親の言いぶんによってケンジは施設へ来ました。
中学生になると彼はリストカットを始めます。
多い時には14日連続で切り続けたこともありました。
手首から始まり、それが上腕部に移ります。
さすがに切る場所がなくなったと思ったら、
今度は太ももを切り始めました。
そんな彼も高校に入学する頃にはリストカットも減り始め、
今ではほとんどしなくなりました。
何故しなくなったのか理由はわかりませんが、
切る必要がなくなったから切らなくなったんだろうと私は認識しています。
ケンジはデザートを食べながら私に、
「俺は、親からの虐待で自分の意志とは無関係で学園に来たけど、
もし学園に来なければ、今の友達とも彼女とも出会ってなかった訳だし、
就職の内定ももらえてなかったかもしれない。
だから、ちょっと複雑だけど学園に来て良かったってことかな。」
そう言いました。
虐待は連鎖します。
放っておけば親から子へ、そして孫の代へとしっかりと受け継がれます。
でも、虐待の世代連鎖は断ち切れます。
では、どうやって断ち切るのか。
あるデータがあります。
それによると、虐待を受けた人が、
我が子に虐待してしまう割合はおよそ3割であり、
7割の人は虐待をしないそうです。
その7割にあたる人達には一体何があったのか気になりますが、
その人たちは、
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大人になる過程において、
自らの体験を誰かに語ることができたこと。
そして、
「あなたは悪くなかった。」「大変だったね。」と、
自らの苦しみを誰かに受け止めてもらえる機会があったから
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だそうです。
それが自分自身の境遇と向き合うきっかけとなって、
そこで初めて自分の足で歩きだす(自立)ことができるそうです。
虐待が心に与える影響は計り知れなく、
そんなに簡単にはいかないと思いますが、
間違いなく言えることは、そうした機会が軽井沢学園にはあり、
それが私達の使命であるということです。
終わりに私がこの仕事をしていて一番うれしいことは、
子どもから「学園でよかった。」と言ってもらえることです。
そんな時、私はきまってこう答えます。
「俺も、○○くんが来てくれてよかった。」と。
(文:高根英貴さん)
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