知的障害を持った男性T君(33歳)とは、
数年前に「しごとのいみ」というドキュメンタリーを作らせていただいた時に
仲良くなりました(本作には登場していません)。
★ DVD「しごとのいみ」
http://www.tomoichiba.jp/s_tomobook_1487.html
宮城県の豆腐工場で働くT君とのファースト・コンタクトは、
なかなか衝撃的でした。
JR白石蔵王駅で新幹線を降り、車で30分ほど走った、
少し雪の残る山あいに、その工場はあります。
初取材でいささか緊張気味にレンタカーを降り立った時、
白い作業服を来た20代後半くらいの男性が
ひょろひょろと僕の方に歩いて来て、
予想外に明るい声で声をかけてくれました。
「靴下何色!!?? 」
え????
いきなり靴下何色って聞かれても。。。。
心の中でちょっぴり笑いつつも、とっさに
「う~ん。。。灰色かな?」
と答えたその瞬間、
僕の答えはどうでも良いかのようなカウンター。
「今日泊まってく!!??」
え????
いま来たばっかりなんだけど(笑)。。。
しかも顔近いし
(顔と顔の距離は数センチです)。。。
こんな感じで、とってもオリジナリティのある、
そして何だか憎めないコミュニケーションを取ってきてくれたのが、
T君でした。
豆腐の入った発泡スチロールを運ぶという作業をしていたT君は、
脳に障がいを持っているようで(障がい名はよく分かりません)、
身体は30代の普通の大人ですが、知的には小学校低学年くらいのようです。
日常の簡単なコミュニケーションは出来ますが、
いわゆる「大人の会話」は難しくて、
子どもと話している感覚に少し似ています。
T君とはそれからとっても仲良くなって、
毎回、撮影に行くたびに、
「靴下何色!!?? 」
「今日泊まってく!!??」
という一連のコミュニケーションを
欠かさずに取ってきてくれました。
最初はちょっと戸惑ったものの、
さすがに何度も聞かれると笑えてきて(笑)、
T君と会うのが、いつもとっても楽しみでした。
T君も僕らに会うのを楽しみにしてくれていたようで、
お母様の配慮もあって、
僕らと一緒に撮った写真を
部屋に飾ってくださっていました。
ただ、
T君は人の名前がうまく覚えられない事があるので、
僕の事を
「カメラマ〜ン!」
プロデューサーの牛山朋子の事は
「女の人〜!」
と呼んでいました(笑)。
障がいを持った方と接し始めると、
「笑っていいのかどうか」
という課題に突き当たります。
でも、僕はたくさん、
一緒に笑うのがいいんじゃないかなと思い至っています。
これまで撮影やボランティア活動などで50カ所以上の
障がい者施設に伺っていますが、
どこの施設でも皆、笑顔があります。
もちろん相手を見下したり、バカにしたりと言った理由で笑う訳ではなく、
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普通の人と同じく、面白い事をしたら笑う、
という通常のコミュニケーションの一環としての笑顔
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がそこにあります。
様々な考えがあるとは思いますが、
施設の方々にお聞きした話を自分なりに総合すると、
「笑っちゃいけない」と思うのは、
「障がいを持った可哀想な人だから、笑ってはいけないのでは」
という礼儀正しさから来るもののようですが、
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障がいを持った多くの方々にとって、
「可哀想な人」だと思われるのは最も嫌な事の一つで、
病気や障がいがあったとしても、普通に接して欲しい
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と思われるようです。
そのような事もあって、
僕は障がいを持った方と接する時、
障がいを持っていない方と接する時とほぼ同じように、
笑ったり、からかったり、気を使ったり、
話をしたり、話を聞いたり、します。
これが正しいのかどうかはよく分かりませんが、
いまのところ、みなさんと楽しい時間をすごせています。
と言うか、会うたびに
「靴下何色!!?? 」
「今日泊まってく!!??」
と聞かれ続けたら、
笑わざるをえないですよ(笑)。
そんなT君ですが、
東日本大震災で
人生が一変してしまいました。
T君の住んでいた場所は、仙台空港に近い場所にあり、
津波の被害は避けられたものの、
家から500メートルの距離まで海水が迫っていました。
電気も水道も全てストップし、
真っ暗で余震の続く不安な夜を1週間ほど過ごしているうちに、
T君はパニック状態に陥ってしまったのです。
大声で叫び、暴れ、
ついには家族では対応しきれなくなってしまいました。
しかし、
いつも通っていた病院が津波で流されてしまったため、
全く初めての精神科に入院。
知的な障がいを持った方にとっては、
環境の変化は精神に大きな影響を与える事が多いようなのですが、
慣れない環境にT君のパニックは過激に
なってしまいました。
壁をたたき続けて手が血まみれになってしまったり、
ドアに頭や顔をぶつけて腫れ上がってしまったり。。。
自宅に一時的に戻ったり、外泊をしましたが、
パニックがおさまらず。。。
再び、精神病棟に入院せざるを得なくなりました。
あまりにも暴れてしまうため、
病院のスタッフの方々は、
ベッドに手足を拘束するか、
薬を投与して鎮静させるしか選択肢がなくなってしまったようです。
薬の副作用でふらつき、身体ごと倒れてしまったり、
ついには自分の脚で歩くことすらできない状態になってしまいました。
震災後、何度かT君のお母さんにお電話していますが、
変わり果ててしまった息子さんの姿と将来への不安に、
お母さんも壊れてしまいそうな気配を感じます。
ただ、
今でもT君は僕らの事を覚えてくれていて、
一緒に撮った写真を見せると、元気はないながらも
「カメラマン。。。」
「女の人。。。」
と嬉しそうに反応してくれるそうです。
震災から2年3ヶ月が過ぎました。
ニュースには登場しないけれど、
T君のような状態になってしまった人たち、
T君のような人を支える人たちが、
まだまだ、たくさんいらっしゃるのではないか、と思います。
東京に住んでいる僕らは日常生活に戻っていますが、
多くの方々にとっては、震災は終わっていません。
改めて、
「僕らに出来る事は何だろう?」
と考えます。
監督・父
豪田トモ
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