次回作の製作で、ある老人ホームで撮影をさせていただいているという話を
何度か書かせていただいておりますが、
★ 【撮影】素晴らしい老人ホームに出会いました ★ 【撮影】老人ホームに親を預けること ★ 【撮影】僕の顔を見ると泣いてくれるおばあちゃま
先日、そこで写真を撮らせていただいた方のお一人がお亡くなりになられました
(ご希望される方の写真を撮影してプレゼントさせていただいた事があったんです)。
僕自身は一度写真を撮らせていただいただけなので、
その方とはあまり交流を持っていなかったのですが、
どうやら僕が撮った写真を遺影に使ってくださったとの事でした。
その方が亡くなってしまったのはとても悲しく残念な事ですが、
最期の儀式に自分の写真を使っていただくのは、
とても光栄で名誉な事だなぁと感じました。
これで遺影に使っていただいたのは2度目になります
(最初は4月1日に亡くなった義理の父)。
※ 写真のおばあちゃんと亡くなられた方とは無関係です。
以前、看取りの仕事をされている医師、看護師、ヘルパーさん、
葬儀関係者の方々にお話をお聞きした時に、
世間では
「人の最期の場面にいるなんて縁起が悪い」という声もあるそうですが、
「とても栄誉ある荘厳な仕事です」
とおっしゃる方が多く、とても印象に残っています。
何度か『うまれる』のサウンドトラックを
お葬式に使っていただいたという報告もいただきましたが、
僕自身はとてもありがたい気持ちになりました。
人の最期というのは、その方の集大成である事が多く、
「人生の卒業式」に参加させていただくというのは、学びもたくさんありますし、
忌みな事というよりも、
誉れな事なのではないかなぁと、
作品作りを通して思うようになっています。
監督・父
豪田トモ
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