以前、児童養護施設の子どもたちの夢スピーチ・コンテスト「カナエール」のチケット・プレゼントを募集させていただきましたが、
★ ブログ「カナエールのチケットをプレゼント!!」
http://www.umareru.jp/blog/2014/05/post-1294.html
先日、5名(計10枚)の方に当選のメールをさせていただきました。
その中で皆さまとシェアさせていただきたいご応募動機がありましたので、
ご本人に許可をいただいてご紹介させていただきます☆
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私は小さい頃から親の顔色を伺いながら生きてきました。
顔色を伺うといっても褒められたいとかそういう物ではなく、
いかに親の機嫌を損ねないか、いかに気に入られるかというような、
常にビクビクした思いでいっぱいでした。
親らしい事をしてもらった事はないに等しいです。
そんな私が、結婚をし、義父母はこんな私と親を受け入れてくれました。
義父母は、私にとって、本当の親以上に親らしく、私にとって、
主人と結婚した事よりも義父母と出会えた事の方が幸せで、
家族ができたように思います。
何かあれば義父母に相談し頼り、親子ってこんな感じなのかなぁっと安心できる居場所でした。
それが最近、義兄の結婚を機に状況が変わりました。
義兄夫婦は次男で義父母の近くにすみ、主人は三男で県外に住んでおります。
ちなみに義兄のお嫁さんは引きこもりだった事もあり社会の常識や家事など、
何も知らない、出来ない人です。
義兄が結婚した事で、家族だと思えていた所に、私の居場所がなくなりました。
義父母は悪気はないのですが、義兄夫婦の方を優先的に可愛がってみえてしまうのです。
それは、私のただの嫉妬心だと言うのも承知してます。
ただ、あまりにも辛く、義父母にその思いを伝えた所、
「そんな風に思うならあなた達はもういいよ」
と言われてしまいました。
私にとって、受け入れてもらえた、初めて家族ができた、
ありのままの自分で許された唯一の場所から、見放された気持ちになりました。
そして、そんな状況を、自分の子育てと重ねて考えてしまうのです。
私には子供が2人います。
上の子は二歳の男の子、下の子は8ヶ月の女の子です。
上の子は、下の子を殴ったり蹴ったり、下の子が泣けば一緒になって奇声をあげたり、
と下の子を受け入れる様子はありません。
そんな状況をみて、上の子は私、下の子は義兄夫婦に思えたのです。
今まで、自分だけが可愛がられる対象でチヤホヤされ褒められてきました。
そこに、何もできない子がきて、少し出来ただけで褒められる。
自分は出来るのが当たり前、片方は出来ないのが当たり前、
同じ事をしても褒められるのは相手。
だから、相手の事を嫌いになってしまう。
でも、親としては、どちらも同じ子どもで、
その子なりの成長過程にあわせて褒めて期待しているだけ、
それを子どもから文句を言われ、どうこう子供と関わっていいのか...。
私と子供の関係が、義父母義兄夫婦との関係と重なり、
イヤイヤ真っ盛りの上の子との付き合い方に色眼鏡でみてしまいすごくすごく複雑です。
血の繋がりのある親は親と思えず、血の繋がりのない親をとても信頼でき、
でも血の繋がりのある我が子達に自分の色眼鏡で正しくみてやる事ができず...。
家族って何でしょう、
血の繋がりって何でしょう、
親って何でしょう。
多分、私は人格形成の部分で大きくズレて、育ってしまったのだと思います。
自分の子供にはこんな私のように生きにくい子になって欲しくない、
少しでも子供達をいい方向に導いてやれたら...。
でも、今の私の人間性では、無理な気がしました。
そんな時に「カナエール」の応募プレゼントを目にしました。
血の繋がりがなくても、人の支えで夢を叶え、前向きに生きる子達。
血の繋がりにばかり固執して今を楽しく生きれない自分。
単純に会ってみたいと思いました。
ただ子供2人、頼れる実家がない私にとって、行きたいけど東京...。
行くには色々なリスクや手助けが必要になります。
もし応募が当たったら、それだけで、何かの導きのような救いと言うか、光が見える気がします。
児童養護施設の子供たちが自己肯定感をもったステキな人に育ちますように。
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きっと、この方はカナエールで大切な何かを感じて帰られる事と思います。
内容的に「いいね!」と言いにくい内容ですが、
より多くの人に知っていただきたいので、
もし宜しければご協力をよろしくお願いいたします!
※ 僕はカナエールの回し者でありません(笑)。ただのファンです。
監督・父
豪田トモ