体験談より「笑顔あふれる今に感謝」

「心臓がおかしい」

二人目の出産を2ヵ月後に控えた定期検診にて、
主治医から唐突の指摘がありました。

頭の中が真っ白になりました。

何がなんだか分からなくなり、喉の奥が熱くなって鳥肌が立ちました。
涙も出ないほどのショックでした。

通っていた総合病院ではNICUが無いため、急遽大学病院での出産を進められました。

エコーの結果

「お子さんは右心室型単心室症です」

という耳慣れない病名を告げられました。

更に、 

「産後も肺の状態が分からないので自発呼吸が出来るかどうかは未知であり、
生まれても生きていられるかどうかは分からない。本当に50%です・・・」

とも。

病気と今後の治療方針について説明を受けている間、
あまりのショックにまるで他人事のように聞き流してしまう私と、
そんな私を必死で支える夫。

治してあげることが出来ない・・・

何をしていても涙が止め処なく溢れてくる、無気力に陥りました。

それでもお腹の中で一生懸命生き続ける次男。
37週で陣痛があり、子供の体力が心配だったため緊急帝王切開で出産しました。

2,640グラム。自分で呼吸しています。

先生は、

「2,500グラムを切っていたら、命の保障はできなかったかもしれません」

とおっしゃっていました。

次男出産後は、床上げも待たずに毎日NICUにお乳を届けに行きました。

その頃、幼稚園年長であった長男を実家の祖父母に預け、夫も仕事を休み、
市内の大学病院に通うためビジネスホテルに泊まりながら1ヶ月、

心臓病にまつわる専門書を読み漁り、

同じ病気を持つお子さんやご家族のブログなどを読み、

とにかく情報を集め、今何をすべきかを模索しながら、
家族全員が一丸となって次男のために奮闘しました。

病院へ行って、毎日顔を見て、医師や看護師さんと

「今日は目を開けたね」、「点滴がひとつ抜けたね」

と希望が見出せる話もしていましたが

日に日に下がっていく酸素濃度、顔色も赤黒く、
ミルクもあまり飲んでくれない、

体重も増えない、だけど体重が増えなければ手術が受けられない、
とてももどかしい毎日でした。

それでも次男の生命力は強く、生後20日で最初の手術
「BTシャント手術」を受けることができました。
6時間も掛かる手術でした。

一命を取り留めたとは言え、
術後の酸素濃度はあまり上がらず70台が続くため、
少しでも泣けば顔色が真っ黒になり、常にチアノーゼが出ていました。

担当医からは、あまり泣かせないようにという注意がありましたので、
夜も夫と交代で見守りました。

更に、口唇口蓋裂も合併していましたので、
上手に哺乳瓶の口を吸うことが出来ず、ミルクを飲むのも本当に大変でした。

一ヵ月後に退院した後、
自宅治療を経て生後6ヶ月で「グレン手術」を受けました。

その頃から、細く小さな体だった次男の体は、
在宅酸素をしながらも見る見るうちに大きくなり、
大きな病気もすることなく

1歳半のとき、最終目標であった
「フォンタン手術」を受けることができました。

術後から先月で1年経ち、現在の酸素濃度も95-98台をキープ、
1年以上お世話になってきた在宅酸素も、
半年前に卒業することが出来ました。

術後も順調すぎるほど順調で、今までも大きな病気にかかってはいません。

しかしながら生まれつき脾臓が未熟なため、
感染症に気をつけながら生活しています。

次男は心臓病の合併症で、
肺動脈狭窄、口唇口蓋裂、内臓逆位という障害があり、
現在2歳半までに6回の手術を受けてきました。

そんな現在の次男は、とにかく元気です。

外遊びが大好きで走り回ったり転げまわったり、
2歳で階段の上り下りもブランコも一人でやってのけます。
言葉も少しずつ出てきて、意思表示をはっきりとします。

少しくらいぶつかっても、転んで擦り傷を作っても、絶対に泣きません。

唇の色もピンク、爪の先の色もピンク、顔色も明るく、
ちゃんと酸素が体中に行き渡っていることがよく分かります。

次男が最終目標に掲げていたフォンタン手術は、
未だ歴史が浅く一定のデータがないため、
次男の心臓と付き合いながら未来を見据えて生きています。

これから集団生活が始まれば、
体力的な面でもいろんな壁にぶち当たるでしょう。

体力面での制限は、
「オリンピック選手にはなれない」「吹奏楽は出来ない」といわれています。

親としては、
子供が好きなことをたくさんやらせてあげたい気持ちもありますが、

医師と次男の体と相談しながら、
無理せずゆっくり生きていければと思っています。

この障害を持って生まれてきた次男ですが、多方面の方々から

「治らない病気とは言え、ここまで元気に生きていられるなんて、
今の時代に生まれてきて良かったね」

と言われました。
日本の医療のレベルの高さもまた、次男を通して非常に有り難かったことです。

専門分野の信頼できる医師との出会い、全面的に協力をしてくれる周りの人々、

家庭の事情で1年半祖父母と暮らすことになってしまったことを
強く受け止め我慢してくれた長男、

私が精神的に倒れそうになっても必ず支えて立ち直らせてくれ、共に戦った夫、

そしてなにより私たちを選んでくれて毎日笑顔にしてくれる次男に心から感謝しています。

笑顔溢れる今が、2年半前の病気発覚を思い返せば、本当に夢のようです。

少し辛いことにぶつかっても、

「次男が生まれた頃を思い出せば、たいしたこと無いな」

と夫婦で笑い話に出来るほどに心の余裕も出来ました。

これからも、子供たちの緩やかな成長を眺めながら、
いつまでもこの時間が続いてくれることが、私たち夫婦のささやかな願いです。

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★ 映画『うまれる』の体験談より
http://www.umareru.jp/experience/

★ 「闘病」に関するブログはこちら
http://www.umareru.jp/blog/cat172/

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