44歳、最後の妊活

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※右から2番目がさえさん。『うまれる』シリーズの自主上映会のオフ会より。

こんにちは、プロデューサーの牛山朋子です。
今日は、とっても素敵な女性のご紹介をさせていただきます!

さえさんは、56歳のだんなさんと2人暮らしの、44歳の女性。

『うまれる』シリーズの上映会を
何度も開催いただいたり、各地の上映会をお手伝いいただいたり、
千葉県では知る人ぞ知る方(^^)で、

これまで、さえさんが関わった上映会で映画を
ご覧いただいた方は5,000人以上。

お子さんはいらっしゃいませんが、

・ママたちを助けたい!
・次世代の子どもたちに幸せになって欲しい!

そんな強い想いから、これまで『うまれる』シリーズを
たくさんの方々につないできてくださいました。

そんなさえさんが、実は今春より、
「人生最後の妊活」を始められました
(さえさんの言葉をそのまま使わせていただいています)。

これまで『うまれる』を観ても、
上映会を開催しても、年齢の事も考え、
自分が母親になろう、というところにまでは至らなかったようです。

それは、
赤ちゃんを授かろうとしなかった、
そして、授かることができなかった理由があったからなのですが、

去る5月に、
さえさん自身が主催された新作『ずっと、いっしょ。』の
上映会と監督・豪田トモの講演会に
旦那さまが参加された事をきっかけに、

最後のチャレンジをしようという事になったようです。

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(さえさんのいくつかのブログを合わせてご紹介させていただいています)

私は17歳からてんかんを発病し、
強い発作止めの薬を飲んでいたので
医者から妊娠に気を付けるように言われていました。

奇形や障がいを持った子が産まれる確率が高いらしく
母からも常に「気をつけなさい」と強く言われてたので

「自分は子どもを産んではいけない」

30歳を過ぎるまで、
ずっとそう自分に言い聞かせてきた。。。

24歳で出逢ったダンナさんも
私が子どもを授かることは無いに等しいことを
もちろん納得して27歳の時に結婚しました。

てんかんの発作が起きなくなり、
薬を飲まなくてよくなって3年以上経った33歳頃。

もう子どもをつくっても良いだろうと妊活を始めましたが
自然にはなかなか妊娠出来なかったので
34歳頃に病院で不妊治療をするようになり
人工授精も3回ほど行いました。

でも、当時の私には不妊治療が長引くことに
精神的に耐えられる強さはなかったので
一年位で治療はやめて
毎月のタイミングに任せるようになりました。

しかし、17歳でてんかんになった後に拒食症になり
10年以上摂食障害の状態が続いていたことで
身体も精神的にもボロボロだった私が
簡単に妊娠出来る訳がなかったんです。

おまけに28歳の時に突然、卵巣嚢腫が破裂し
右卵巣を摘出して卵巣は一つだけ。

やっぱり私は子どもを授かることは
出来ない人生なんだ・・・

自分の中で密かにそのことに対して蓋をしたんです。

だからかな・・・

30代後半からは、子どもがいない自分でも
社会の役に立てるようなことがしたい、

若い頃の自分と同じように悩みを抱える女性を
サポート出来るようなことがしたい

そう思うようになり、いろんな勉強をしたり、
地域活性の活動を行ったり、

40代になってからは、ご存知の方も多いように
映画『うまれる』の自主上映会を開催したり、

最近では、児童養護施設の子どもたちや
里親制度普及の支援を考えたり・・・

いろんなことをやってきました。

ダンナさんとの間では、暗黙の了解のような感じで
流れのままに、子どものいない人生へと
向かっていこうとしていました。

でも、今年5月24日に開催した

『うまれる ずっと、いっしょ。』の上映会が

私たち夫婦に大きなキッカケを与えたんです。

映画に出てくるのはステップファミリーの家族ですが、
血の繋がりの無い親子関係の話の流れから
里親や養子縁組制度をもっと多くの人に知って貰おうと私が考えた企画で

上映後に豪田監督の講演を行い
その後半では千葉市の熊谷市長が参加して
里親や養子縁組制度についてのお話を絡めながら
トークセッションをして頂きました。

実は、その上映会&講演会には私のダンナさんも観に来てくれていて、
その時に心に大きく響くものがあったらしいんです。

前にも書いたように、私たち夫婦の中では
暗黙の了解のような形で
子どもが授からない人生を送ることを受け入れて
生きて行こうと考え始めていました。

でも、上映会の数日後にダンナさんから
思ってもいない告白があったんです。

まず、一つ目の告白は、

今回の上映会で里親や養子縁組制度について、
そういう選択肢があったことを知ったことで、

「自分たちも里親を考えても良いんじゃないか」

という話をされ
私は涙が止まりませんでした。

血縁に捉われず、二人で子どもを育てていく生活もありだと
ダンナさんなりに考えてくれていた・・・

今年に入ってから、特にダンナさんには説明せずに
児童養護施設の支援をしたり、
里親制度について勉強したりしながら
自分が里親になれるんだろうかと
自分なりにいろいろ考えていました。

しかし、もし私が里親制度の話をしたら
ダンナさんはどう考えるんだろう?...という心配もあったので、
ダンナさんの方から話をされてもう号泣でした。

そして、もう一つの告白が

「里親を考える前に体外受精に挑戦したい」

さえとの結婚生活に後悔を残したくないから
出来るところまでやってみたい。。。

そう言われて、私は言葉にならず
暫く泣き続けました。

今までもいろんなことを乗り越えてきたけど
いつもダンナさんがそばにいて守ってくれていた。

子どもを授かってはいけない状態の私も

子どもを授かりにくい状態の私も

全て受けとめて、

どんな私も愛してくれていた。

2年前には、いろいろあって
離婚を真剣に考えた時期もあったけど

やっぱり私にとって彼はかけがえのないパートナーなんだと考えて
彼との人生をもう一度選んで再出発をした。

体外受精への挑戦も、里親の話も、

この先にどんな人生が待っていても、

「この人となら何も怖いものはない」

改めてそう思えました。

今さら私の妊活の話を
公表するべきかどうか、すごく迷いました。

でも、もしかしたら誰かの役に立つかもしれないし、
私自身も、人生の記録として残したいと思ったので
ブログに書くことにしました。

人は、いざという時に期待をしすぎると、
ダメだった時のショックが大きくなることから
期待を小さくしようとします。

どうか、温かく見守って頂けたら幸いです!!

彼のためにも悔いのないよう私も頑張りたい!!

私の投稿が誰かの力になれることを祈って・・・

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44歳という年齢からか、
ドクターより

受精の確率は50%程度、
胚移植をして妊娠出来る確率は、5~7%、と言われたそうですが、

先日、奇跡的に受精をして、胚移植をされたそうです。

さえさんのブログが公開されていますので、
ぜひ、読んでみてください。

とっても感動的で、勇気づけられます!

着床しているかの検診まで、あと数日。
小さな小さな命が、無事に着床してくれることを
『うまれる』スタッフ一同、心より祈っております。

★ さえさんのブログ
http://ameblo.jp/pinky619/entry-12063488939.html http://ameblo.jp/pinky619/entry-12063494478.html http://ameblo.jp/pinky619/entry-12064114926.html http://ameblo.jp/pinky619/entry-12066048817.html

★ さえさんのFB
https://www.facebook.com/saeko.nameki?fref=ts

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