2015年8月10日(月) 2歳10か月の娘が中間生の話をしてくれました。
その内容は、私にとって何とも神秘に満ちた話でした。
先に、私の家系についてお話します(中間生との関連を強く感じるため)。
私の実家の両親は、ともにクリスチャン(プロテスタント)の家庭に生まれ育ちました。
父方の祖父は生前世界中を伝道して回った牧師、母方の祖父母も敬虔な信者でした。
私の両親は今でこそ熱心に教会に通っていますが、仕事の関係でゆかりのある教会とは
遠い場所に転居したこともあり、私が物心ついた頃から成人するまでは
年に数回、家族で訪れる程度でした。
このため、私自身は礼拝に行く機会は少なく、聖書の中身について詳しく知りません。
妹は成人した後、洗礼を受け、以後現在も教会に通っているので、聖書の内容もちゃんと知っています。
そういった背景があり、このたびの中間生の話です。
ここ数か月ぐらいかと思いますが、娘が時々「アッバ、アッバ」という言葉を
口にするようになりました。
たいてい家で、私とだっこなどして触れあっている時です。
少しにこっとして、甘えるような感じでのけぞって、「アッバ、アッバ」というので
赤ちゃんぽい感じがしていました。
私はその言葉の意味が分からず、単に赤ちゃん返りしてわざと赤ちゃん語を話しているのかと
思っていました。なのでそのたび、「なぁに?そんな赤ちゃんみたいなこと言って。
もうちゃんとおしゃべりできるお姉ちゃんなんやから、やめとき~」と、つっこんでいました。
そして先日、妹がうちに遊びに来ている時もまた「アッバ、アッバ」というので、
「この頃アッバ、って時々言うねんよ」と話すと、
「え?!アッバ、って、イエス・キリストが言った『父なる神よ』っていう意味の言葉やで!」
私は驚き、娘が次にアッバという時を待ちました。
そしてこの夜、お風呂で「アッバ」の話になりました。
さりげなくアッバについて質問してみました。
すると、
「〇〇(娘の名)、おこってん」
なんで?
「アッバがママのとこに行ったらあかん、て言うたから」
〇〇はどうして怒ったの?
「ママが呼んでたから」
「〇〇 泣いてん。そしたら、アッバが『いっていいよ』って言うた」
「もう帰っていいよって」
ママのところに前に来たことはあるの?(私はこの子を産む前に流産を経験しているので、
「帰る」という言葉が気になり、聞いてみました)の質問には、
「ない(最近娘は、家に入ることを「お母ちゃんのところに帰る」と言いますので、
流産で一度私のお腹に来たことがあって再び、という意味ではなく、家に来る・入るというような意味で
使ったのかもしれません)」
最初からアッバは反対だったのかどうか、聞いてみました。
すると
「アッバは(最初)行っていいよ、って言ってて、あかんって言うたから、
〇〇がおこったら、いいよって言った」
〇〇はその時どこにいたの?
「場所」
場所ってどんなとこ?
「こうなって、こうなった、いぐりちがある」
(横長の四角形のような形を示して。大きさは生まれたての赤ちゃんより一回り大きい
ぐらいのサイズぐらいでした。いぐりちは入口のことでしょう)
場所はどこにあるの?
「(浴槽内の斜め下を指して)ここ」
「(指を斜め下の角度でいろんな方に動かしながら)
こういって、こういって、こういったらある」
(ちなみに、お風呂から上がってからもう一度聞くと、
今度は部屋においてあるチャイルドテントの側面に
指を走らせながら、こういって、こういって、こういったらある、と
同じことを言っていました 笑)
ママのお腹にはひとりで来たの?
「ううん」
アッバも一緒に来たの?
「うん」
アッバには今も会うことあるの?
「ある」「アッバ今来た」
ほんと?! 〇〇のことずっと見ててくれてるんだね。
「うん」
(私)「こんにちは、〇〇をママのところに来てもいいって言ってくれて
ありがとうございます(と頭を下げる)」
(私)「☆☆ (注:第二子を望んでいて、娘と名前をつけています) も来てくれますか?」
(娘)「アッバが、来るって言ってる」
(私、アッバがいるというほうに向かって) ありがとうございます」
そのうち「アッバがチョコレート食べていいって」「ぶどう食べていいって」
など、にやっとしながら言い出しました。
これは自分が食べたいから言ったのかな?という感じです。
この日はここまででした。
妊娠中に池川明先生の胎内記憶の講演を聴き、ご著書・胎教CDも愛読・愛聴し、
2歳になった先日も再び子連れで講演を聴き...という私ですから、
45歳の高齢出産で授かった愛娘から胎内記憶や中間生などの話が聞けることを
心待ちにしていました。
時々「ママのお腹の中ってどんな風やった?」「〇〇はどこから来たの?」
と聞いてみるも、プーン、だった娘。
「アッバ」の話からこんなにすらすら、Yes Noはっきりと話してくれるとは、本当に驚きました。
「アッバ」。それは、私の全くもって知らなかった言葉。
だからもちろん、私は口にしたこともないですし、
娘はこの世に生まれて以後、この言葉をどこからも聞く機会はなかったと思います。
でも、この言葉を知っていた。しかもそれが、私の両親家族が祖父母の代から信仰している
キリスト教の大切な言葉だったことに、えもいわれぬ神秘を感じます。
と同時に、あんなにほしかった赤ちゃんが、実は天の神様の反対を押し切ってまで
自らの意志で私の呼びかけに応じてやってきてくれたことに、
深い感動を覚えました (娘は意志がはっきりした、喜怒哀楽の感情表現がとても強い子です。
おそらくアッバに対しても、相当な激しさで怒り、泣いたと思います)。
私はこのことを真実と受け止め、ずっと心に刻んで
天から来てくれた奇跡のような我が子を、慈しんで育てていきたいと思います。
(大阪府/ninaetmaman さん)
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