こんにちは、企画・監督の豪田トモです。
現在、『うまれる』シリーズの第3作「オネエ産婦人科!?(仮)」の
小説執筆に取り組んでいますが、
本作には性的マイノリティ(本ブログでは、議論はあるかと思いますが、
便宜上、LGBTと書かせていただいています)の方々が多く登場する予定です。
ゲイの方、レズビアンの方、アセクシャルの方、バイセクシュアルの方、
トランスジェンダーの方、、、、などなど、たくさんの方に取材を
させていただく中で、
様々な悩みや葛藤、不安を抱えながらも、普通に
(すみません、特別な人たちと思っている方たちもいらっしゃるかと
思うので、敢えて、"普通"という言葉を使っています)、
楽しく、そして、社会的にも大きな役割を持ちながら
暮らしている方たちと出会うチャンスをいただいています。
そんな中、LGBTの方々に対して
「男と女という神の摂理に反する不自然な存在」
みたいな事を言う人がいたりもするので、
彼らの存在の意味、生まれてきた意味、ということを
改めて、考えています。
性的マイノリティの人たちが、人口の5〜10%もいるという事は
「不自然ではなく、全くもって自然な存在」
と言って良いのではないかとボクは思っています。
そもそもボクは
何かをネガティブにジャッジする時に、
"神さま"を持ち出すのはズルいぞと思っていますが(^^;、
日本に600万人近くいる、
鈴木さん、佐藤さん、高橋さん、田中さんの総数と同じくらい
存在する、という事は
「神の間違い」で生まれて来るわけはない、
世界でみたら、3.5億人も自然の摂理に反する存在が産まれるわけがないんじゃないかなぁ
と思うのです。
僕に宗教的背景は全くないのですが、
もし仮に「神」を語るのであれば、
こんなにたくさんの人を神さまが「間違えて」世に使わすわけはないので、
必ず何かしらの意図があってお産みになられた、
と考える方が、僕は自然ではないかなぁとも思っています
「性的少数者は子どもを産まない・子孫を残さない存在」
として揶揄され、この事から「不自然な存在」として扱われる事も
ありますが、
そもそも
【産まれる・生きる目的は子どもを産む・子孫を残すだけではない】
し、そんな事を言い出したら、
・欲しくても授からない不妊・不育症の方々
・病気や事故などによって子どもを産めない状態になった方々
・結婚しない・子どもを産まない方々
をどう解釈するのでしょうか?
社会に存在する価値がないわけはないですよね。
子どもを産まないからこそ、社会に貢献できる事が
たくさんあるんじゃないかなぁ、とも思うのです。
誰かを助けるために生まれてきた人、
社会の中に面白いことを生み出すために生まれてきた人、
隣りにいる人を笑わせるために生まれてきた人、、、、
いろーんな意味を持って、生まれてきていると思うんです。
性は関係なく、存在する価値のない人はいません(^^)。
さて、そろそろ、小説執筆にもどりまーす。
監督・父
豪田トモ