私自身の記憶です。
私は最初、真っ白い所におりとても小さな白っぽい生き物でした。
声をかけてくれる大きな人の顔を見る事もしたいと思わず、
沢山の人が楽しそうに降りて行くのを眺めている方が好きでした。
一度試しに降りてみたものの、
暖かい場所に居たはずが急に悲しい気持ちになり、
ソワソワしている内に何か恐ろしい怪物が侵入しすぐに戻らざるを得ず、
とても消極的になっていました。
いつからか一緒に居てくれた子と、
嫌だねぇなんて話しながらずっと座っていると
大きな人は、何度でも降りないと...と、出口に連れて行ってくれました。
一緒に居てくれた子が代わりに行こうと言っても、
大きな人は 君はまだダメだよ と言います。
私が「出来るだけ小さいままでいたい」と言うと、
そうしよう と見送ってくれました。
一緒に居た子はずっと私が降りるのを覗いていました。
次の記憶はピンクと赤の狭いけど明るい部屋です。
寝たり身体を伸ばしたり、良い感触で意外と堪能していました。
しかし、ある時周囲が硬く狭くなり、
岩のようなモノに追われる様にしてそこから出ました。
緑一色の部屋に、どこかから激しい光が射し、
寒さで私は恐怖を感じていました。
次が、透明のカバーと、顔の下まで覆う白い何か、
そして祖父の大きな目と、赤と白のケーブル...。
ここからは母の話です。
母の友人は皆早い時期に子供を産み、
母自身も18の頃妊娠、しかし、父方の祖父に猛反対をされ
一度「まな板の鯉」の様に堕胎をさせられたそうです。
次が私の妊娠で、
私があまり大きくならないため促進剤で予定日に出す事になりました。
古い産院で3日間苦しみ、暑さに雪の舞う中、
窓を全開にして出産に臨んだそうです。
オムツをすれば首まで隠れる様な小さな赤ちゃんで、
保育器に入れられ、
嫌味な親戚に「産みやすいから小さくて良かったねぇ」と
何度も言われたそうです。
29歳になっても未だに夢を見ます。
洞窟で大きな岩が迫って来て逃げ惑い、
助かった瞬間「小さくて良かったね、小さくて良かったね」と
不気味な声が響き渡る夢です。
これらの繋がりを知らなかった5歳の頃、
どこかに帰りたい気持ちがピークに達し、
幼稚園で毎日「帰りたい」と泣いていました。
その後すぐに、弟が宿りました。
私は「いつ産まれる?」なんて聞きながら、
出てこない方が良いよと願い続けていました。
弟はなかなか産まれず、帝王切開で出そうかと言う話が出たとき、
「出た方が良いよー」と私が叫んだそうです(ここは覚えていないので母の話)。
弟はその日の内に自然に産まれましたが、
お腹に居過ぎたために肌はボロボロに剥がれていたそうで...
弟もしばらく保育器で育ちました。
小さな頃は、ねーちゃんを守る!
なんて言ってくれて居ましたが、
弟には産まれる前の記憶はありません。
臓器の障害で移植を受けたり、
余命宣告をされながらも、しぶとくしぶとく生きてくれています。
私達姉弟の周囲では、あり得ない程の不幸が起こり続けています。
私が母子家庭になり、子供も発達障害が発覚してからも、
奔放な性格の弟はいつも通り過ごしています。
おそらく、弟の方が魂のレベルは相当上で、
産まれる前からボロボロになっても付き添ってくれているのだと感じています。
私の魂が弱っちいから
多くの不幸で鍛えられてるのかな...とか
弟がこの先帰った時、
心配させない様にしっかりしないとなーなんて考えています。
こなたぬさん
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