うまれる ずっと、いっしょ。|映画『うまれる』

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うまれる ずっと、いっしょ。

血のつながりのない家族 の全体験談

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私は母の連れ子です。
私の下には、弟が2人、妹が1人いますが、
もちろん異父です。

すぐ下の弟とも6歳離れています。
また、血液型も私だけB型で、
母と弟たちはO型。父はA型…

私は今年28歳になりますが、
弟たちが私が母の連れ子と知っているのかいないのか、
今まで1度も触れたことがないので分かりません。
もう今さら、触れなくて良いとは思いますが…

私が小学生にあがる頃、母は再婚しました。
当時、父は25歳。
いきなり6歳の子供の父親に。
父には女兄弟はなく、
また、母が初めての女性でした。

そんな父は、世間体を気にしてか、
幼い頃から暴力が酷かったです。
アルコールを飲んだ日は特に…

マウントポジションを取られて、首を絞められたり、
2階のベランダから突き落とされそうになったり、
首を締めたまま、壁に押さえつけられたり…

本当に毎日辛くて、母がなぜ離婚しないのか分からなくて…

親戚からの話で、
私が何か問題を起こしたり、私の身に何かあったら、
本当の父親じゃないから。
と言われるのが嫌で、そこまで厳しかったそう。

そうと分かっても、私のトラウマは消えません。
ですが、歳を取り丸くなった父、
私も結婚し、主人は父と二人で釣りに出掛けるほど、
仲良くやってくれています。

本心では、父のことを一生許せない。
でも、間を取り持ってくれてる主人や、
大好きな母の手前、その気持ちはもう表に出してはいけないと思っています。

また、父が私のことを気にかけて心配してくれているのも分かるんです。
ただ、当時はその表現が歪んでいただけだと思う。
それも理解出来るんです。

本当は、ちゃんと謝罪して欲しい。
後悔しているのか知りたい。
でも、今のこの関係を壊したく無いんです。
本当に人の心って、簡単に割りきれないですね。

2014年8月20日
私は初めての子供を産みました。

暴力を受けて育った私が、暴力を繰り返してしまわないか、不安もありました。
しかし、大きな愛で包んでくれる主人のおかげで、
とても可愛い娘を出産出来た。

今後、どうなるか分からないけど、
父に対する負の感情はこのまま仕舞いこみ、
娘の教育は父を反面教師にして、
明るく笑顔の絶えない家庭を築いていこうと思っています。

2014.08.27 投稿者:新米/愛知県

私自身が養子縁組で、子供が出来なかった両親のところへやって来ました。

ありがたいことに妹が生まれたことをきっかけに、戸籍上、実子として認められる裁判を起こし、戸籍上は親子です。

しかし、それは今となってはありがたいこと、と感じますが、幼い頃に事実を聞かされ、何かと自分は人と違う、という劣等感に苛まれてきました。

思春期を迎え、親でもないくせに口煩く言わないでよ!等とひどい言葉を吐いてしまった事を後悔しています。

裁判資料を見つけ、産みの親の現状を知り(私の他に三人の子供がいることが書かれていました)、そんなに生活が出来ない状態なら生まないでほしかった、と思ったこともあります。

しかし主人と廻り合い、「産んでくれなければこうやって出逢えなかったね。」という主人の言葉に、物凄く救われた気がします。

そんな私も、ステップファミリーです。

主人がバツイチで、お付き合いを始めた当初、小学校一年生の男の子のお父さんでした。

自分の子供と隔たりなく愛していける、という自信から、すぐに結婚を決め、一緒の生活を始めてみるといろいろな問題が浮上し、なかなか距離を縮めるのが大変なことに気付きました。

ある程度の距離感がありますが、継母ではなく姉のような存在になれているので、それはそれでも良いのかな…

いろんな事がありますが、今、幸せです。

2014.01.12 投稿者:ゆーちゃん/山形

私は22歳で妊娠しました。大好きな彼の子どもでした。

結婚するつもりでした。

遠距離だった彼は他にも女の人がいて、それが発覚して、出産のときも籍が入っていませんでした。

一度は、彼が学校を卒業したら結婚することを許してくれていましたが、女性問題から、私の両親が反対し、彼の両親もとりあってくれず、わたしは未婚で息子を産みました。

世間は未婚の母に、とても冷たかった。

それでも大好きな彼だったから、息子は愛しくて愛しくて。

ただ、彼はその後籍を入れた後も、他の女性との間に子どもが出来ました。
その人とと今は結婚し、家族で幸せそうです。

私は彼と離婚しましたが、孤独で辛い毎日でした。
幸せな家庭を築きたかった。

息子が3歳のときに、再婚しました。

その後、娘が生まれましたが、やはり夫は娘には自然に愛情を注ぎます。

息子は夫のことを本当の父親と思って育ちましたが、最近はやはり娘との愛情の差を感じてきているようです。

中学生になった息子は、娘のことをとても嫌い、夫にも遠慮している感じです。

夫婦喧嘩は、いつも娘と息子の対応の違いで、

私は息子も可愛がってほしいと言い、
夫は同じようにしていると言い、

いつも離婚話が浮上します。

近所に元夫家族が住んでおり、子ども達とは同じ学校です。

息子が本当のことを知ったとき、生まれてこなければよかったと思うのではないかと、そればかりが辛いです。

血が繋がっていなくても上手く親子になれている方々がいるのに、どうして私達家族はうまくいかないんだろう

努力しているのに、なぜ?

元夫の家族はみな血が繋がっていて、

私はそんな幸せそうな彼らが憎くて、

そんな自分にも嫌気がさします。

息子に申し訳ない。幸せにしてあげられたら、いいのに。

夫も、同じように接していると言いますが、どうしてもそう受け止められないんです。

息子が娘と喧嘩していると、ものすごい鋭い目で息子をにらみつけています。

私がそう感じているだけ?わたしの思い過ごし?

そう思いたいけど、息子は、
「パパは僕がかわいい?」と聞くことが多いんです。

そんな風に思わせてしまっていることが、辛いです。

今はどうしていいのか、この先私達は本当に家族として継続できるのか。

息子は真実を知り、受け止めきれるのか。
家族で乗り切れて、ささえてあげられるのか。

悩んでいます。

私は息子を生んだことで、息子を苦しめているのではないでしょうか。

2013.10.19 投稿者:匿名

先ず、ここに書けないこともあることをお断りさせてください。
血の繋がりのない家族にとって、事実は社会的に表に出したくないことも含まれます。これは家族の内情が、自分一人の責任で背負いきれないものを含むからです。

私自身は平凡な家族構成で、妻も初婚で、離婚歴はなく、娘(高校生)が一人います。
娘の前に二卵生の双子を早産で亡くしています。
結婚歴は25年になります。

血の繋がりのない家族を迎え入れることになったのは、義弟(妻の弟)が亡くなったことで、その子ども達を、誰かが引き取らなくては、という部分からでした。

子ども達と生活したいからではありません。施設に入るより、我々の元の方が子ども達にとって安全だと考えたからです。もちろん、親族の子ども達ですから、愛着もあります。しかし、止むを得ず養育を肩代わりするのが、親族養育であることを先ず、お伝えする必要があると思います。

義弟は子どものいる女性と結婚し、その女性との間に一人赤ちゃんが生まれました。
が、家族として継続することは上手くいかず、薬に依存し、結果的に養育を果たせなくなり、離婚に至りました。

実母が子育て出来る状態ではないので、子どもの親権は2人とも義弟がとり、実際の養育は義母(妻の母)が肩代わりしていました。
子ども達が成長するにしたがって、年老いた義母の負担は大きくなっていきました。

下の子が小学2年の時に、学校で問題が起きました。友達のゲームを取ったというのです。保護者会で義母は養育を責められました。躾がなっていないと。また、このような家庭環境の子と同じクラスなのは迷惑だと。子ども達は地域的に追放されることになりました。

施設に行くか、別の地域の私たち家族が面倒を見るかでした。

2人の子どもを引き取るために家の改造などは必要でしたが、行き場のない家族の養育を交代するのは当たり前のことだと思っていたので、私はさほど迷いもなく、引き取ることにしました。

実際の困難は引き取るまでは気づきませんでした。

子ども達は無垢ではありません。娘に意地悪をする、嘘をつく、やる気を起こさない、子ども達はとても自己肯定感が低くなっていたのです。

引き取った当初、姉と兄が出来ることを喜んでいた娘が「おねえちゃんとおにいちゃんが来なければよかった」と言うに至り、私は初めて、自分の考えの甘さに気づきました。私たち夫婦はなんとかしてあげようと努力しましたが、実の娘と同じようにと思って育ててきましたが、結果的にそのようにはなりませんでした。

私も様々な機関に相談し、自らも大学へ入りなおし、児童心理学や児童福祉を学びました。姪は療育手帳を取得し、年金受給の手続きまで漕ぎ着けました。知的に低くない甥には特別な支援はありませんが、高校卒業までもうひといきというところまで来ました。

引き取ってから10数年、一番大変な思いをさせたのは、本来愛情を一身に受ける権利があった、私たちの娘であったと思っています。

私は、血の繋がらない家族も、家族だと思っています。しかし、実親の代わりになる権利はないと思っています。実親の代わりになることは、実親の存在を否定することです。この子達の親は、一人は亡くなりましたが、他の血の繋がった親は生きていて、子ども達には会う権利がある。相続の権利もある。(放棄する権利も含め)

実親は子育てには参画しなかった。でも血の繋がった親であることを変える権利は誰にもないと思うのです。

子どもが可哀想とか、愛情不足とか言いますが、そうではありません。
逆に、自分の子どもと同じ愛情を注ぐ事は、自分の子の愛情を減らしていることと大差ありません。

可哀想な子として育てられた姪と甥は愛情メタボになっていて、いくら与えても遠慮することはありません。実娘と同じでは満足出来ないのです。彼らを満足させることが出来るのは、実親の愛情であって、私たちではありません。

中途から養育に関る場合、その子育ての立ち位置として、社会は実親の替わりを求めます。

親のいない子を、「可哀想な子」として見ます。それは全てが間違っている訳ではありませんが、「可哀想な子」と言われて育つ子は、「可哀想」が基底として育ちます。可哀想にしているのは、社会であって、実際の子どもは可哀想ではありません。

しかし、「可哀想」から始まるので(通常の)血の繋がった家族と同じ子育てをしても、満足出来なくなってしまうのです。

今、姪が成人するにあたって、ずっと連絡のなかった実親から連絡がありました。もちろん、引き取れるような状況ではないですし、むしろ成人した姪に、血の繋がった親に対する、社会的責任が出てくることでもあります。もちろん、それを拒む権利もあると思いますが、決めるのは当人同士です。我々がすることではありません。

私たちに出来ることは、縁を繋ぐことであって、実親の変わりに愛することではありません。実親を否定し、養育することは不可能ではないかもしれません。しかし、実親がどこかで生きているのなら、その縁を隠すのは、私は不自然だと思っています。

とはいえ、全ての事実を子ども達に伝えている訳でもありません。やはり精神的にショックなことも含まれるでしょうし、それを伝えず育てたことを責められる日が来るかもしれません。

でも、それを伝えるのも、我々ではなく実親の権利であり、責任なのかもしれません。

中途養育者は子育てにおいてあまり報われないと思います(苦笑)

長くなりました。

血の繋がりのない家族について、体験談を募集していると我々のスタッフが教えてくれたので、私の体験でもなんらかの参考になればと思い、投稿させて頂きます。

2013.10.01 投稿者:hodaka@

ステップファミリーの継父です。

再婚を機に3人の子供の保護者になりました。
(当初:長女が中1、長男が小6、次女が小2、自分:28歳、妻38歳)
(今 :長女が大1、長男が高3、次女が中3、自分:34歳、妻44歳)

家族とは”なるもの”だと感じてます。
結婚式をしたから家族になるわけではない、子どもが生まれてしまったから家族になるわけではない。

”家族になろう”と思い、実行する(し続ける)から家族になるのだと感じています。
(もちろん、結婚式や出産等は家族となる事に有効だとは思いますが、それは家族になる手段の1つだと感じてます)

話は変わりますが、継親子である事は、世間の偏見にさらされる事も少なくありません。
かと思えば、たとえ親になって3日目だとしても、世間一般から見れば、親である事に変わりない。のが理屈です。

例えば、普通の初婚家族なら、母親が妹より兄を可愛がっている事はあまり問題になりませんが、ステップファミリーでは、相手の子どもを自分の子どものように可愛がれないと思う事に、罪悪感を抱き、問題と扱う方が多いです。

(一緒に暮らして数日の人間を、長年一緒に暮らしてきた自分の子どもと同じように関われ方はかなり少ないと思いますが、、、)

継父である私の場合には、『3人も子ども育てるのは大変だねぇ』等、周囲は善意で伝えてくれているのですが、普通に子どもが3人いるだけなら言われないであろう、励ましの言葉を頂ける事が多いです。

もちろん、その方々へ感謝もするのですが、”普通では無い”扱いをされていると感じ、"気を遣わせるから、うかつな事を分かち合い出来無いな"と孤立感を感じた事もあります。

そんな中でも、"家族になっていく"過程で学んだ、大切な事をご紹介します。

①夫婦のビジョンを共有する
②"親になれない"時があっても、"家族になれる"
③心の繋がりがあれば、血のつながりにこだわりは無くなる

①は、"どのような家族になりたいか?"の姿を分かち合い、共有する事で、生活習慣や子どもの教育方針等、夫婦の価値観を統合していくことが大切です。夫婦のパートナーシップが良好であれば、家族の問題は大抵解決します。(しました)

②は、一緒に生活していると"生物学的に親では無い"と目の当たりにする出来事が発生しますが、これを覚えておくと、"私達は家族なんだ"と自信を持てます。

③は、自分がどれだけ愛をもって子どもへ関わっているかが大切です。子どもに関心を持ち、彼らはどんな事が好きで何に喜ぶのか?自分は子どもにどうなって欲しいと思い、彼らはそれをどう感じているか?この関心を持った関わりの連続が、家族である事の自信になります。そして、家族になっていきます。

最後に、いつも自分を支えてくれている妻のブログを紹介します。
私が助けられたように、"血のつながりのない家族"と関わりのある全ての方の支えとなれば嬉しく思います。

http://ameblo.jp/happy-stepfamily/

2013.09.30 投稿者:りょう/千葉

弟の元お嫁ちゃん

両親からの愛情をまともに知らず、養護施設、更生施設での生活を経験して、ようやく父親の元に戻るも初任給を取られてケンカし、家出。

結果、人を信じることも嫌になってしまったのかな。

いきづらさをかかえているように見えたけど、精神的にもとても子供のようで放っておけなかった。

あなたのお父さんは、自由にさせているつもりだっただろうけど、寂しさは、私たち家族には見えていたよ。

思い通りにいかず、キレて暴れて、家を出て行く。

私達家族とも衝突しあったね。あなたに、真っ向から向き合って、話し合いもたくさんしたよね。

そうやって、家族になっていけるように、あなたの心が少しでも開けるようにみんなでがんばったのよ。

でも、夫婦喧嘩で警察呼んだり、いろいろあって。。。大切な子供の前でも自制がきかなくなって。。。

児童相談所や保健婦さんと何度も話し合い。育児を休む案に、あなたは、私達に子供は預けたくないから乳児院へといいました。そのときのあなたの顔は、今でも忘れられない。

その後、あなたのお父さんが来て、お金で解決を求めてきた。あなたを心配しているようにはみえなっかた。お金の話がでたら、あなたも「つらいけど、子供をお願いします」と。まだまだ家族になる途中だったけど、お互いが限界にきていたね。

離婚して、もうじき1年。また、子供ができ結婚すると・・・正直、悲しかった。
同じ過ちを繰り返してほしくない。

どうか、子供もあなたも、パートナーやその家族の支えのもと、幸せであってほしいと願わずにいられない。そして、今度こそ、彼女に家族ができますように。。。

2013.09.11 投稿者:ゆか/長野県

実子が六才、五才、三才、一才のときに県の養育里親に登録しました。専業主婦として子育てにかかりきりでしたが、周囲の友人・知人に助けられ充実の毎日でしたので、自分自身も社会に少しでも貢献したいと思い、実親と暮らせない子供たちを預かることにしました。

以来10年弱、最短で一週間、最長で二年間、国籍や年齢も様々なお子さん八人が入れ替わり、我が家の子供たちと一緒に生活しています。

今回ご紹介するのは、この夏私たちと暮らした、アジア系外国籍の一才の女の子です。5月のある日、三才の兄と外国人のお母さんの3人暮らしのアパートに警察が来て、お母さんは麻薬の不法使用で逮捕されてしまいました。兄は児童相談所の一時保護所に、彼女はその夜遅くなってから家に来ました。

一才一ヶ月の彼女はやせ細って体重は7キロしかなく、枯れ枝のような腕で私にしがみついて弱々しくひと晩中泣き続けました。児童相談所の職員によると、一才を過ぎたのに粉ミルクしかあげていなかったようでした。

近所の小児科から大学病院を紹介され、血液検査などの結果、慢性的な低栄養との診断でした。ともかく食べさせてとの医師の指導で、家族総出で一日に小分けにした食事を何度もあげました。

幸い食欲旺盛で、好き嫌いもなく、6月半ばを過ぎると体重もふえ、それに伴うように表情や反応も豊かになりました。

家族ひとり一人の名前をカタコトで呼んだり、見知らぬ人にも手を伸ばして挨拶する等、めざましい成長ぶりに、検診をお願いした大学病院の担当医も感心してくださいました。アトピ-や気管支が弱いせいで、なかなかぐっすり寝られなかったのもだいぶ改善し、生活のリズムも安定してきました。

一緒に旅行に行ったり、地域の農家でブルーベリー狩りやバーベキューをしたり、うちの小学生の学校行事に飛び入り参加したり…すっかり我が家の一員となった頃、初犯だったお母さんが保釈され、ほどなく兄が先に自宅に帰りました。

お母さんの希望もあり、児童相談所で面会をすることになりました。

はじめて会った彼女のお母さんは、犯罪に関わった不良外国人というイメージとは程遠い、生活に疲れて弱々しくやつれた感じの人でした。現地の家族のために十代で来日して20年、心も体も消耗してしまったお母さんは、早く一緒に暮らしたいと泣いていました。

その後、公務員であるという彼女の日本人のお父さんからも速やかに家族を再統合してほしいという要請があり、八月になって彼女は実家に帰ることになりました。

認知もせず、他に家族がいるので一緒には暮らせないというお父さんに経済的援助をしてもらっている引け目を感じているのか、お母さんはその男性の前ではひどく気を遣っているように感じられました。

父親というのに、子供の将来についてどのように考えているのかと思うと、我が家の高校生までもが不快になりました。

夏休みのある日、彼女はとうとう帰ってしまいました。児童相談所には私と子供たち全員で送って行き、別れを惜しみました。本人は何もわからないまま車に乗せられて帰って行きましたが、その後も我が家では彼女がどうしているかな、としょっちゅう噂しています。

数えてみると僅か79日間を一緒に過ごしただけでしたが、私たちにとっては濃密でかけがえのない時間でした。

小さな体に社会の矛盾や汚い部分を一身に背負わされて、そこでもがきながらも逞しく成長しようとしていた彼女の芯の強さが損なわれないよう、日々幸せに暮らせることを、家族一同、切に願っています。

そして身近なところに、わずか一才で、このように難しい環境で育つ子供が大勢いることを、たくさんの方に知っていただきたいと思います。

外国人のシングルマザーの問題や国籍、年齢層を問わずまん延する麻薬にはしる母親たち、あまりクローズアップされることが少ない社会問題ですが、

「子供を救うにはまずその母親から」

の原則に立ち返って、解決の糸口をみんなで探っていかなくてはならないと痛感します。

2013.09.10 投稿者:リネンチャイルド/千葉県

映画を拝見しました。色々と考えさせられます。
少し趣旨が違うのかもしれませんが、私の話を聞いていただけると嬉しいです。
不適切だったら消去してください。

数年前ですが、結婚をして2年目に故郷を離れて遠くにある夫の実家に嫁ぎました。夫は思春期に父親を亡くし母子家庭で育った長男です。
嫁ぎ先には義母と義妹と私たち夫婦の4人での生活となりました。

義妹は広汎性発達障害という障害をもっていました。結婚前から聞いていたし、本人と話をした感じではあまり障害を感じなかったため、なんとかなるだろうと同居に至りました。

だけど、理不尽な怒りを母親にぶつけたり、だらしない生活の割に言うことは一人前で自分の非は棚に上げて周りを非難する。私には到底意味の分からない人でした。
普通の会話の中でも怒りのスイッチが入って、私にも怒りをぶつけることもしばしば。

私も発言を控えるようになり、家ではあまり話さなくなりました。
しかし、義母には義妹についての相談を受け、私に話を聞いてあげてほしいと頼まれたりすることもあります。
母親や私の夫に怒鳴り散らす事もたくさんあり、部屋にいてもお風呂にいても聞こえてき、耳を塞いでやりすごす事もありました。

怖くて怖くて。腹が立って。自分の腕をつねって気持ちをそらしたり。
精神的におかしくなりそうでした。毎晩のように泣き叫び夫に心配をかける毎日。
元々悲観的な事もあり、家出や離婚、しまいには、生きる喜びも忘れました。

一生義妹の面倒を見ないといけないのかと。

それでも、大好きな夫の可愛い妹。嫌いになることもできず。
それに加えて、自分の不妊治療。ストレスしかない毎日です。

義妹は私たち夫婦が帰ってきて半年後から半日の仕事ができるようになりました。それまでは家でほぼ引きこもりです。今は母親の支援で一人暮らしをしています。
しかし、料理ができず毎日、家にきます。週に2~3回泊まっていきます。
家のものを色々と持って帰ります。

イライラすることのほうが多いけど、以前よりは楽
に生活できています。
いい方向に向かっているとはいえ、支援している母親が亡くなれば義妹は私たちが支援しなければいけないのか。
これから先も義妹のご飯の準備をしなければいけないのか。

正直、先に不安しかありません。生きている目的もわかりません。
毎日苦しいのに同居をしている意味も分かりません。
存在意義も見失いそうですが、それでも大好きな夫が決めたこと。

大好きな夫の大事な家族。血はつながらないけど家族になった人たち。
色々と方法を考えながら生きていきたいと思います。

誰かに聞いてほしかっただけの文になってしまいました。この話は理解されにくいし批判されやすいし、親しい人たちには心配をかけるから言いたくない。夫には言っていますが、大事な家族の事を言われていい気はしないので、あまり言いたくない。

ここで体験談として書かせていただけることを嬉しく思います。頑張ります。ありがとうございました。

2013.08.05 投稿者:maru

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2013.07.11 投稿者:※※※※※